もうすぐ5月になるとはいえ、明け方はまだまだ冷え込むものだ。早朝、耐えがたい寒さを感じて目を覚ました。特に今の私は丸刈りなのだ。寝袋から突出する頭部は防寒耐性ゼロ。冷たい朝の空気に晒されるがままだ。 毛糸の帽子でも持ってきた方が良かったかなと考えながら、公園の水道で顔を洗う。近隣の住民が起きてこないうちにテントをたたみ、昨日買っておいたパンとお接待で頂いたコーヒーで朝食を取る。出発の準備は万端だ。 6時手前に公園をたち、第2番札所の極楽寺を目指す。車道をてくてく歩いていくと、10分足らずで極楽寺の楼門が見えてきた。……って、早っ! 各霊場の納経所が開くのは朝の7時。まだ一時間近くあるのに、極楽寺の境内には既に遍路の姿があった。遍路において、早起きは基本のようである。 昨日教えてもらった通りの作法でお参りを済ませ、それから庭園などを散策して時間を潰す。境内は小奇麗にまとまっているものの、長命杉と名付けられた巨木がそびえるなど、八十八箇所霊場ならではの歴史も感じられる。 トイレで用を足しているうちに時間は7時を周り、納経所の窓口が開いた。私もまた順番待ちの列に並び、300円を払って朱印を頂く。霊山寺では買った納経帳に既に朱印が記されていたので、目の前で朱印を描いてもらうのはこれが初めてだ。さらさらと走らせる筆遣いは慣れたもので、なかなかに見事だった。 遍路道は道案内が充実しており、迷うことは基本的にない。遍路道沿いの電柱やミラーには矢印のシールが張られており、また要所要所には道標も立っている。中には明治時代や江戸時代まで遡る石造の道標も結構ある。 第3番札所も第2番札所から2.6kmしか離れておらず、あっという間に到着だ。道標通りに歩くと金泉寺の裏手から境内に入ることになり、なんとなく申し訳ない感じもするが、まぁ、標識通りなのだから仕方がない。 本日二度目になる参拝を済ませ、納経所へ向かう。照りつける強烈な日差しに、朱印待ちの列に並んでいるだけで汗がにじんできた。まだ8時半なのにこの暑さ。なかなかハードな一日になりそうである。 それにしても、私は進むのが遅い。できるだけ疲労の蓄積を少なくしようと、意図的に休みを多く取ったりということもあるのだが、それにしてものんびりしすぎな気がしないでもない。 出発して以降、次から次に後ろから追い抜かれていく。若いお兄ちゃんに抜かれ、お姉ちゃんにも抜かれ、おじちゃんにも抜かれ、おばちゃんにも抜かれ、あまつさえカートを引っ張って歩くおばあちゃんにまで抜かれる始末。 もう少し気合を入れて歩かなければなぁとは思うが、いかんせん荷物が重くてしんどいのも事実。まぁ、終点が見えないくらいに先は長いのだ。無理して体を壊したら元も子もないし、他人は気にせず自分のペースで行こうじゃないか。 遍路道の途中に位置する愛染院は「那東のお不動さん」と呼ばれており、第3番札所の奥之院という位置付けだ。なんでも空海がここに堂宇を立て、自ら不動明王像を刻んで安置したという。 それにしても、昨日から右を向いても弘法大師、左を向いても弘法大師だ。遍路で立ち寄る寺院にはことごとく弘法大師伝説がついてくる。いやはやまったく、どれだけの伝説を残しているんだ空海は。四国遍路は弘法大師の足跡をたどる旅というが、まさにそれを実感である。 山の尾根を掘り切ったように通るこの道。横には古そうな地蔵尊や石碑も置かれており、昔ながらの古道であることが分かる。それほど長い区間ではないが、初めて遭遇する古道の遍路道だ。 左右に壁が迫る様子はなかなか迫力があり、まさに切通しといったたたずまいである。うん、これは良い道だ。 緩やかに傾斜する上り坂を進んで行くと、前方に大日寺が見えた。現在時刻は11時半。金泉寺からここまでの距離は約5km。途中に山道があったとはいえ、5kmに2時間半以上もかかっているとは、さすがに遅すぎると反省である。 私を追い越して行った人々はもうとっくに先へと行ってしまったらしく、心なしか境内にいる参拝客も金泉寺の時より少なく思えた。まぁ、気のせいのような気もするけれど。 とりあえず参拝を手早く終え、大日寺を後にする。これまではずっと上り坂ではあったが、ここからは下り坂だ。上りより下りの方が脚への負担が大きいというが、さほどの傾斜でもないのでガンガン進む。 五百羅漢を祀るこの羅漢堂は、第5番札所である地蔵寺の奥之院という位置づけらしい。昔から「羅漢さん」と呼ばれ親しまれてきたらしく、地元の人々にとっては地蔵寺よりこちらの方がより馴染みある存在なのかもしれない。 ちなみに羅漢堂の創建は、遍路の歴史よりも時代がかなり下って江戸時代中期の安永4年(1775年)。残念ながら当初のものは大正4年(1915年)に焼失しており、現在のものは大正11年(1922年)に再建されたものとのこと。 左右に延びる翼廊に羅漢像が並ぶその光景は圧巻だろう。内部を拝観してみたいという思いもあったが、時間がかなり押しているということもあって思いとどまった。今回は涙を呑んでスルーだ! 地蔵寺に到着したのは13時ジャスト。遍路がやってくるピークの時間を既に過ぎているらしく、境内にはまったりムードが漂っていた。うーむ、さすがに焦りが生じてしまう。 第1番札所から第10番札所までの序盤は札所の密集区間。30km足らずの距離に10もの札所が連なっているのだ。今日はそのうち第7番札所まで行きたいと思っていた。そこまで行かないと、テントを張る場所がなさそうだからだ。 しかし、次の第6番札所までは5.3kmと比較的長く、また参拝に必要な時間を考慮すると、その次の第7番所に辿り着く頃には日が暮れてしまうかもしれない。少なくともこれまでと同じペースでは、納経所が閉まる17時に間に合わなそうだ。よし、少しペースを上げるとしよう。そう思ってはいたのだが……。 ……とまぁ、ペースを上げるといいつつ、事あるごとに足を止めては休憩したり、古そうなモノをチェックしたりしていた。まったくもって懲りてない、相変わらずの鈍行である。だって、仕方ないじゃない。気になるんだもの。 さすがに焦りつつ、大急ぎで参拝をして朱印を貰う。安楽寺を出た頃には16時半を周っており、納経所が閉まるまでもうあと30分しかない。第7番札所の十楽寺までは1.2kmの距離。……なんとか間に合うか。早歩きで住宅街を行く。 その途中の神社では、欧米人の遍路二人組が境内にシートを引こうとしていた。おそらく寝床を確保しようとしていたのだろうが、それを見ていた老人が二人の元へと近付き、「ここは蛇が出るから寝ちゃダメ。分かる? スネーク、スネーク」と蛇のジェスチャーをして見せていた。 おそらく、蛇うんぬんというのは建前だろう。この神社を寝床にされると近所迷惑だから、蛇をダシにしてここで寝るなと言っているのだ。やはり、この周辺でテントを張るのは難しそうである。なんとかして次の札所までたどり着いておかなければ。 重い荷物が肩に食い込んで痛む中、荒い息を吐きつつ十楽寺に到着。本来なら先に参拝をすべきところだが、もはや一刻の猶予もない。先に朱印を貰うことにする。納経所はどこかと境内を探すと、やたらと巨大で近代的な建物の一階がその受付であった。どうやらこの建物は宿坊らしい。 遍路における宿泊手段のひとつとして、寺院の宿坊があることは知っていた。しかし宿坊というと、簡素な木造の宿泊施設をイメージしていたのだが、これはまぁ、普通の旅館と変わらないではないか。おそらく、宿泊費も旅館のそれと変わらないのだろう。さぞや大きなビジネスなんだろうなぁとしみじみ思いつつ、私は宿坊の建物を後にした。 17時を過ぎ、誰一人としていなくなった十楽寺の境内から出ると、先程の神社で見た欧米人二人組が駐車場の前にいた。やはりというか、なんというか、どうやら神社を追い出されてしまったらしい。 二人は私の姿に気付くや否や、「温泉に行きたいのですが、どこにあるか知ってますか?」と英語で聞いてきた。……温泉? この辺りに温泉施設があるというのだろうか。遍路地図を引っ張り出して調べてみると、確かに「天然温泉御所の里」という施設があるではないか。二人に地図を見せつつ「この道を真っ直ぐ行ったところにありますよ」と教えると、二人は「サンキュー」を繰り返し、笑顔で去って行った。 二人と別れた私は再び遍路道を歩き始めたが、ふと改めて地図に目を落とし、温泉施設の位置を確認してみる。それは住宅街から外れた場所にあるようで、ひょっとしたらテントを張る場所を確保できるかもしれない。たとえそうでなくとも、まぁ、ひとっ風呂浴びれれば御の字だろう。私もまた遍路道から外れ、その温泉へ向かうことにした。 2kmほど歩いて辿り着いた温泉施設は、私が想像していたよりも広く立派なものであった。建物沿いに庇が回してあるのだが、その一番端は暗がりで外から目立たず、テントを張るにピッタリな場所である。これは良いところを見つけた。こんな良い場所を教えてくれて、あの二人に感謝しなければ。 とりあえず温泉でリフレッシュしてから再び先程の場所へと戻ると……なんということだろう。そこには既に、別の遍路が寝袋を敷いていた。うかつであった。自分にとって魅力的な寝床は、他人にとっても魅力的な寝床なのだ。寝床確保戦争は早い者勝ち、問答無用のデスマッチである。 しょうがない。私は肩を落としながら近くの神社に移動した。既に日が落ち切った黄昏の時間、境内の片隅にテントを張らせていただく。途中のスーパーで買っておいた親子丼をかっこんで、寝袋の中に潜り込んだ。 暗闇に包まれたテントの中、私はかなりの疲労を感じていた。今日はなんとか予定通りに進めることはできたものの、時間に追われたことで体力的にも精神的にも疲弊した感じである。 ……やっぱり、遍路は急いで歩くべきものじゃない。無理をせず、その日に行ける場所まで行けば良いのだ。今後からは「今日は○○まで行く!」というような、自分にノルマを課すような考え方は捨てるとしよう。そう決心をしつつ、明日の旅路に思いを馳せた。 Tweet |