テント泊の遍路には二つの心配事がある。ひとつは人の目、もうひとつは天候だ。前者は場所を選べびさえすればなんとかなるが、後者は人の力だけではどうしようもないだけに、なかなか悩まされるものである。 昨日の天気予報では、昨夜の降水確率は70%であった。気象庁の天気予報はというもの実に優秀なもので、見事に雨が降ったのだった。お陰でバチバチとテントを叩く雨脚に度々起こされ、やや寝不足な感じのスッキリしない朝となった。 びしょ濡れのテントを前に、私はまたもや頭を抱える。このままではたためないのでタオルで拭いて、あとはひたすら乾くのを待つ。雨後におけるテントの片付けほど、みじめなものはない。 今日の目標は明確だ。17時までに第23番札所の薬王寺に辿り着ければ良い。薬王寺がある日和佐までの距離は約20km。テントの後片づけに手間取ってスタートが少し遅れたものの、この距離ならば無問題だ。 平等寺の門前町を離れ、谷戸に沿って南へと進んで行く。舗装路ではあるものの、古そうな地蔵が路肩にたたずんでいたり、空海が命名したという「夫婦岩」が田んぼの中に転がっていたりと、思わず目を留めてしまうモノが多い。 30分ほど歩いたところで田畑が途切れ、立派な杉の巨木が聳える「月夜御水庵(つきよおみずあん)」というお堂に差し掛かった。もはや何箇所目か分からないが、空海が杖で山岸を突いて水を湧かせたという伝説の地である。 三日月が出ていた夜、弘法大師はこの裏山で野宿をすることにした。しかし三日月が山の向こうに入ってしまい、闇夜となってしまった。そこで弘法大師が一心に読経したところ、三日月が戻ってきて月夜に戻ったという。その伝説より、この地は「月夜」と呼ばれるようになったそうだ。凄いぞ空海パワー、水を湧かせるのみならず、ついには月まで動かしてしまった。 月夜御水庵からはぐねぐねとした車道を上っていき、ちょっとした峠を越えて南の谷筋へと入る。何の変哲もない舗装路の山道なので少々退屈だが、まぁ国道よりかは遥かにマシだ。……と思っていたら。 この先、遍路道は二つのルートに分岐する。ひとつは国道55号線をひたすら歩くコース。もうひとつは由岐という港町に出て、そこから海沿いを歩くコースである。私がどちらを選ぶか、いうまでもないだろう。国道なんて大嫌いだ。 海コースは国道コースより2kmほど長くはなるが、それでもただひたすら国道を歩くよりは、海コースの方が楽しそうだ。ここのところ山ばかりが続いており、そろそろ海が恋しくなっていたということもある。 途中で朝頂いた甘夏を剥いて食べたり、ちょくちょく休憩を挟みながら県道を歩いていく。10時少し手前くらい、阿南市と美波町の境である由岐坂峠に差し掛かった。この坂を下っていけば、由岐の町に出るはずだ。 これにはかなり興奮した。なにせ、鳴門市の岡崎港から出発して以降、9日目にして久方ぶりに見た海なのだ。ずっと田園地帯と山岳地帯ばかりだっただけに、どこまでも広がる海は実に新鮮だ。 足取り軽く一気に坂を下り、由岐の町には10時半に到着した。そろそろ手持ちの現金が心もとなくなってきたので、郵便局を探すことにする。小さな港町ではあるが、郵便局くらいあるはずだ。土曜日なのでATMが動いているかどうかが心配だったが、それも杞憂に終わり、無事当面の軍資金を引き出すことができた。 日本国内の長期旅行において、お金の管理は郵便貯金が最強である。銀行のATMは大きな町にしかないし、地方にいくとATMのあるコンビニも少なくなる。だがしかし、郵便局はどんな小さな村にもあるものだ。国営時代に全国に張り巡らされた強靭なネットワーク、郵便局に勝るものはない。 懐が温かくなった私は、余裕の心持ちで由岐の町を後にする。町並みを抜けたその先に、広々とした海岸線が広がっていた。 いつの間にやら空も晴れ、幾度となく打ち寄せる波と共に磯の香りが漂ってくる。そのなんとも夏っぽい雰囲気に、気分が浮き立ち自然と笑顔になってしまう。やはり、こちらのルートを選んで正解だった。ただ唯一、潮風にカメラが錆びついてしまわないかが心配だ。 田井ノ浜の駅を過ぎ、線路を渡ったところでおばちゃんに声を掛けられた。「お接待いかがですか?」そういっておばちゃんが指を差した先には、ウッドデッキの休憩所が。せっかくなので、ご厚意に甘えさせて頂くことにした。 ウッドデッキにはもうひとりおばちゃんが待機しており、お茶を淹れてくれた。なんでも、この休憩所では地元のご婦人方が週一回集まって、遍路に接待しているとのことだ。これは非常にありがたい。 なにせ、昨日の朝に買っておいたおにぎりは既に底がついており、今日の昼食はカロリーメイトとウイダーインゼリーになるところだったのだ。おいしいお米と温かいお茶で小腹を満たすことができたところで、納め札と共にお礼を述べて休憩所を後にした。 港町らしい景色を眺めながら海沿いの車道を行く。集落の外れには木造二階建ての遍路小屋があり、ここでも野宿できそうだなぁなどと考えながら歩いていくと、遍路道は未舗装の山道へと入っていった。 海沿いなので内陸の山とは植生が事なり、日差しが入って明るい雰囲気だ。聞こえてくる潮騒も心地良く、なかなかにゴキゲンな道である。30分足らずで県道と合流する短い区間ではあるものの、個人的にはポイント高い遍路道であった。 この辺りは砂浜の入り江と険しい岬が交互に連続する地形である。手頃な大きさの集落を抜けると自然豊かな山となり、それを越えると再び集落に入る。集落、山、集落、山、とテンポよく景色が切り変わっていくので、歩いていてまったく退屈しない。所々に残る古い石造物も、程よいアクセントを与えてくれる。 どうやら日和佐までもうひと踏ん張りのようである。さあ、頑張ろうと気合を入れつつえびす洞を後にしようとしたところ、なんということだろう、打ち寄せる大きな波が洞内で砕け、私に降り注いできたのだ。塩辛いしぶきを受け、タダでさえショッパイ男がさらにショッパさを増してしまった。 こなくそとばかりに体力と気力を振り絞り、ラストスパートで歩くこと約30分、どうにかこうにか日和佐の町に到着した。 懐中時計を見ると、針は15時半を指していた。歩き遍路のみならず、自家用車の遍路やバスツアーの遍路も含め、境内は白衣を来た人々でごった返している。町が大きく宿も豊富な日和佐は宿泊地として最適なのだろう。薬王寺がその日の最後の参拝となるため、必然的に夕方がピークとなるようだ。 早速お参りをしようと山門をくぐり、疲弊した腿を持ち上げ石段を上っていく。……と、境内片隅の休憩スペースに、おなじみのザックがあった。 彼らは人混みの中でも非常に目立つ。ちょうどすれ違ったので「サヴァ(元気)?」と声を掛けると、笑顔で「サヴァ(元気)」と返してくれた。なんだかんだで毎日顔を合わせている気がするが、見かけないのもそれはそれで心配だ。 納経所で朱印を頂いた後、まだ少し時間があったので宝塔まで上ってみることにした。……が、入場料が必要とのことで諦めた。たった100円ではあるものの、なんとなく気分が乗らなかったのだ。それよりも、振り返った私の目に飛び込んできた日和佐の光景が素晴らしく、それで満足してしまった。 薬王寺を後にした私が次にすべきことは、今夜の寝床の確保である。近くに道の駅があるようなのでとりあえず行ってみようと歩き始めたところ、ふと「薬王寺温泉」という看板が目に留まった。ほぉ、温泉とな。 そういえば、三日目の鴨の湯以降、すっかり温泉はご無沙汰だ。普段通り濡れタオルで体を拭くだけでも良いのだが、今日は結構疲れたので足を伸ばせる湯船に浸かるのも非常に魅力的である。 薬王寺温泉という名の通り、薬王寺が経営しているのだろう。中はかなり込み合っており、私のような遍路のみならず、地元の人々や、頭を剃ったお坊さんらしき人の姿まであった。 さっぱりしてから改めて寝床の確保に道の駅へと向かう。しかし日和佐の道の駅は鉄道駅のすぐ側で、また国道55線沿いということもあって、汽車の音や車の音がいささかうるさい。もっと良い場所はないかと日和佐城の下あたりまで行ってみたりしたものの、イマイチピンとくる場所はなかった。しょうがなく、日が暮れてから道の駅の片隅にテントを張らせて頂くことに。 私は普段、些細な物音で目を覚ますタイプの人間である。この場所で安眠できるか少々不安だったのだが、人間というものは変化していく環境に自動で適応していくものなのだろう。意外にも騒音が気になることはなく、すんなり寝付くことができた。 Tweet |