遍路38日目:千人宿記念大師堂〜遍路小屋 久万高原(26.4km)






 屋根と壁のある大師堂での快適な睡眠を終えた朝。すっきりとした気分で出発の準備をしていると、ふと壁に一枚の写真が貼られていることに気が付いた。たっぷりと白髭を蓄えた、まるで仙人のような老人が、滝に打たれている様子を写したものである。私が「この凄そうな人も遍路なんですかねぇ」と呟くと、同じく出発の準備をしていた白髪浅黒のおじいさんが眉をひそめて極めて不快気な表情を見せた。

 どういうことかと尋ねると、なんでもこの写真の人物はかつて「遍路の神様」などと言われ持てはやされていたのだが、実は人を刺して全国に指名手配されていた殺人未遂の逃亡犯だったそうだ。ずっと身分を隠して遍路を続けていたものの、テレビへの出演をきっかけに逮捕されたという。

 このかつての「遍路の神様」について、おじいさんは憤りを隠すことなく痛烈な批判を交えて話してくれた。昔から四国遍路に犯罪者が紛れ込むことはままあったようで、現に平成19年(2007年)にリンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した市橋達也もまた逃亡中の一時期に遍路をやっていたという。だがそのような人物は例外中の例外、ほとんどの遍路は善良な一般市民だ。ごくごく一部の犯罪者のせいで遍路全体のイメージが損なわれたら残念極まりないことである。何度も遍路を行ってきたというおじいさんの怒りはもっともだろう。


朝6時半におじいさんと一緒に大師堂を出発する


昨日に引き続き、小田川沿いの旧道を行く


少し進んだところに「楽水大師」なるお堂があった

 地元の言い伝えによると、かつて行脚に疲れた弘法大師がこの地で湧き水を飲んだところ、とてもおいしく体が楽になったという。このお堂の手前ではコンクリート法面の排水パイプから水が勢い良く噴き出しており、横には柄杓も添えられていて飲むことができるようになっている。すなわちこの水が言い伝えの湧き水ということなのだろうが、ただ、さすがに排水パイプから出ている水を飲むのにはいささかの抵抗があった。


出発から45分程で突合(つきあわせ)という集落に辿り着いた


橋を渡ったところには、二つの道標が掲げられている

 それぞれ別々の方向を示した二種類の道標。これはどちらかが間違っているというワケではなく、次の札所がある久万高原へ抜ける遍路道は二通りのルートが存在するのである。一つは北側の上田渡(かみたど)集落を経由し、下坂場峠(しもさかばのとう)と鴇田峠(ひわだのとう)を越えるルート。もう一つは東側にある小田という町を経由し、真弓峠(まゆみのとう)と農祖峠(のうそのとう)を越えるルートである。この突合集落はその分岐点にあたり、ここで遍路はどちらの道を行くか選ばなければならない。

 ちなみに久万高原には、第44番札所である大宝寺と第45番札所である岩屋寺の二箇所の霊場が存在する。前者の鴇田峠ルートを進むと大宝寺の門前へと辿り着き、その後に岩屋寺へ参拝して再び大宝寺へと戻ってくる、いわゆる打ち戻りの区間となる。一方で農祖峠ルートを使うと先に岩屋寺へ参ることもでき、それだと同じ道を戻ることなく一筆書きのように歩くことが可能なのである。

 私は少し迷ったものの、手持ちの食料が心許なくなっていることから、とりあえず商店がありそうな小田を経由する農祖峠ルートを選択することにした。おじいさんはより距離の短い鴇田峠ルートを行くとのことで、名残惜しいがここでお別れだ。


おじいさんは北へと続く国道379号線の旧道を行く


私は私で、東へ流れる小田川に沿った、国道380号線の旧道を進む

 おじいさんと別れて間もなく、白靄の立ち込める空から雨が降ってきた。その勢いはかなり強く、瞬く間にアスファルトの路地に水たまりを作っていく。レインウェアのフードを叩く雨音がうるさい。私は鬱屈とした気分を抱えたまま、ひたすら小田の町を目指して歩く。

 山間の狭隘な土地には石積で築かれた段畑や棚田が連なっており、なかなかに迫力があるのだが、天気が芳しくないのだけが残念だ。


突合から一時間半程で小田の中心市街地に到着した
雨は激しくなるばかりなので、道の駅に避難する

 道の駅の駐車場脇には独立した休憩所が設けられており、そこでしばらく雨宿りをすることにした。すっかりずぶ濡れとなったレインウェアを脱ぎ、水を払って欄干に干しておく。

 道の駅の中には売店があったので、とりあえず食料を補充することにした。残念ながらお弁当の類は売ってなかったので、主食とおかずになる品をバラで購入した。これで今夜は安泰だ。


稲荷寿司と天ぷら詰め合わせ、それと「志ぐれ」を買った

 天ぷらの盛り合わせが300円とはなかなかにお得感があるが、それよりも私の目を引いたのが「志ぐれ」である。「志ぐれ」は大洲に伝わる伝統的な郷土菓子で、小豆と米を使い蒸して作られる。もちもちとした食感でとても美味なのだ。

 先日、三間の道の駅で頂いた差し入れの中にこの「志ぐれ」が入っており、それですっかり気に入ってしまっていた。また機会があったら食べたいと思っていたのだが、まさか大洲を通り越した小田の道の駅で売られているとは。しかもかなりリーズナブルな価格であり、即決で買ってしまった。今日のおやつとして頂くことにする。

 1時間程が経ち、若干雨脚が弱まってきたようなので再びレインウェアを着込んで出発する。久万高原まではまだ20km以上の距離があり、この調子では今日中に辿り着けるか怪しい感じがしてきたが、まぁ、食料は確保していることだし何とかなるだろう。


国道380号線は小田からさらに深い山へと入っていく
れっきとした国道であるにも関わらず、狭隘な区間が多い

 山に入るにつれ再び雨が強まってきたので、バス停小屋で雨宿りをしつつ歩行を進める。小田の町を出てからも引き続き農祖峠ルートの遍路道を歩いてはいるものの、どうやらこの先に待ち構えている真弓峠には古道が残っておらず、トンネルを抜けなければならないようだ。何よりもトンネルが嫌いな私にとって、あまり面白くない事態である。

 手持ちの遍路地図を確認すると、真弓峠の手前から北へと分岐し、現在おじいちゃんが歩いている鴇田峠のルートに合流する畑峠(はたのとう)という遍路道があるようだ。あちらのルートはより多くの古道が残っているようなので、このまま農祖峠ルートを進むより得策かもしれない。


真弓峠の麓にある大平集落の三島神社に到着した

 時間を確認すると11時30分。どちらのルートを行くにせよこの先は山に入ってしまうので、しばらく休憩できる場所はないだろう。まだ少しばかり早い気がするが、せっかくなので神社の軒先を借りて昼食休憩とする。

 昔から遍路が歩いてきた道沿いであることが影響しているのか、この辺りの神社は拝殿に壁がなく吹き放しとなっており、休憩所として利用しやすい構造だ。遍路に向けた張り紙も見られ、地元としても容認しているのだろう。……と、その張り紙の中に気になる文言があった。要約すると、農祖峠を越えた先、槇谷(まきたに)という集落から岩屋寺へ通じる遍路道は荒れていて危険なので通行せず、大宝寺を経由してほしいとのことである。

 先に岩屋寺へ参拝することで打ち戻る必要がなくなるというのが農祖峠ルートを使う最大のメリットのはずである。岩屋寺へと続く遍路道が通行できないとなると、ますます農祖峠ルートを行く意義が薄れるというものだ。これはもう、畑峠を越えて鴇田峠ルートに入るしかないだろう。


三島神社の少し先で未舗装の遍路道に入る


集落の石垣を横目に坂道を上っていく


さらに山道を登り、真弓トンネルと畑峠への分岐点に差し掛かった
農祖峠ルートは直進だが、私は畑峠へ続く横道へと入る


少し登ったところで農場に出た


その先で林道に入ったのだが……

 立派な石柱の道標が指し示すこの林道に足を踏み入れたのは良いのだが、進んでも進んでも次の道標が見当たらない。ついには左右に分かれる分岐点に差し掛かったのにも関わらず、どちらを行くべきか示すものが全く見当たらなくなってしまった。

 私は困り果て、先ほどの道標まで引き返す。周囲に注意を払いながら再び林道を進んでいくと、驚くほど急な斜面で「遍路道」と書かれた札を発見した。


えっ、この壁のような斜面が遍路道なの?!

 木々の枝葉が積もった斜面に、うっすらと獣道のような筋筋が九十九折に続いている。いやはや、ここを登るのが正規の遍路道だとは。注意不足だったとはいえ、気付かず通り過ぎても不思議ではない感じである。引き返したから良かったものの、林道をそのまま進んでいたら遭難してしまうところであった。


ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら坂を上り、林道を横切る


傾斜は緩やかになったが、道筋が薄く先を見失いそうになる
天気が悪くて薄暗いこともあり、なんとも心細い遍路道だ


雨に濡れた枝葉を掻き分け、なんとか進んでいく

 畑峠は今でこそ道筋すらあやふやな感じではあるものの、真弓峠を越える山道はかなりの険路であったことから、昭和11年(1936年)に真弓隧道が開通するまで遍路はこの道を歩いていたそうだ。以降は歩く人がいなくなり山の中に埋没していたものの、平成18年(2006年)に鴇田峠ルートと農祖峠ルートを繋ぐ遍路道として整備されたとのことである。

 復興されたは良いものの、間道であるが故に利用する遍路は極めて少ないのだろう。何よりこのような道の状態が、通行者の少なさを如実に表している。地面は踏み固めれてない上に雨で緩んでいることもあり、正直いって進むのに躊躇う場面も多かった。


遍路道であること示す札に励まされつつ、尾根を下って林道に出た


本成という集落で鴇田峠ルートと合流である

 畑峠がかなり精神的に疲れる遍路道だっただけに、無事鴇田峠ルートに出られた時には心底ホッとした。合流地点にあった三嶋神社(奇しくも畑峠の登り口にあった神社と同じ名前だ)で一息入れてから再出発だ。

 こちらの遍路道は車の離合すら困難そうな細い車道ではあるものの、先ほどの山道に比べたら圧倒的に安心感がある。あれだけ降っていた雨もいつの間にか止んでおり、道行く足取りは軽い。


谷筋に連なる棚田を横目に山間の集落を歩く

 緩やかに続く上り坂をてくてくと進んでいく。上畝々(かみうねうね)という不思議な名前の集落を越えたところで舗装路は途切れ、遍路道は未舗装路の山道となった。こちらのルートの最初の峠、下坂場峠越えである。


入口こそ鬱蒼とした雰囲気であるものの――


しっかりと道筋のついた、実に頼もしい遍路道である


ゆっくり歩いても20分足らずで下坂場峠の車道に出た

 距離こそ短いながらも、歩く人が多いルートなだけあって良く整備された遍路道である。畑峠に渦巻いていた不安や心細さを微塵にも感じさせない、安心感のある山道だ。

 未舗装路が現存するのは下坂場峠までの上りの区間だけで、峠を越えてからはそのまま車道を歩いていく。坂道を下り切ると、宮成という集落に辿り着いた。


古い道標に導かれ、家屋と石積みの間の路地を抜ける


道沿いにはトタンで覆われた茅葺屋根の農家が建ち並んでいた

 集落の出口には自動販売機と共にベンチが設けられていたので、腰を下ろして休憩することにした。ザックから志ぐれを取り出し、ジュースを片手にもぐもぐと食す。峠を越えて疲弊した体に糖分が染み渡り、体力と気力を取り戻してから歩行再開である。

 宮成を後にすると、遍路道は再び山へと向かっていった。いよいよ久万高原へと入る最終関門、鴇田峠越えである。しばらくは細い車道を歩いていたが、途中で遍路道は車道から離れて未舗装の農道へと続いていった。


視界が開けた草地の坂を上っていく


やがて並木に囲まれた細い山道となった

 傾斜が急な上に浮石がゴロゴロしており、少々歩きづらい並木道をえっちらほっちら登る。本日三回目の峠越えということもあって、さすがに疲れが出てきたことは否めない。重い脚をなんとか持ち上げ、一歩一歩確実に踏みしめていく。

 途中で車道を横切ると、それまでの農場とは打って変わって木々が生い茂る山林となった。いつの間にか雲が晴れたらしく、枝葉の間から差す木漏れ日に気分が高揚する。

 なんでも鴇田峠という名称には由来があり、かつて弘法大師が四国を巡錫していた際に大洲からずっと雨が続いていたのだが、この峠に差し掛かった時にやっと晴れ、「日和だ」と述べたのがなまって「ヒワダ」になったという。今朝から雨に降られてきた私もまた、この峠でようやく日の目を見ることができた。その名の伝説の通り、まさしく日和の峠である。


途中に石積の上に築かれた祠が鎮座していた


その横には「だんじり岩」という大岩が存在する

 苔や草にこんもりと覆われていてあまり存在感のない岩ではあるが、なんでもかつて弘法大師があまりの空腹と疲労を感じた為に自分の修行の足りなさに腹を立て、この岩の上で「だんじり(地団太)」を踏んだそうだ。岩の上には弘法大師の足跡が残っているとのことだが、積もり積もった枯葉によって確認することはできなかった。


だんじり岩から急な坂道を一気に登り、標高800mの鴇田峠に到着だ

 ここまでくればあとは久万高原へと下るのみであるが、時間は既に16時半近く。納経所が閉まる17時までに大宝寺へ辿り着くのは無理だろう。今日はその近くに寝床を確保し、明日の朝一で参拝することになりそうだ。


峠からはなだらかな坂道を下っていく


うろのある大木の根元に石仏が祀られていた


山道を抜け、路地を進むと前方に久万の町が広がった


町へと下り、旧土佐街道を少し北へ歩く


久万川に架かる橋の袂には大宝寺の山門が構えられていた

 山門から緩やかな上り坂を10分程歩いていくと、住宅が途切れて大宝寺の境内地に差し掛かった。既に18時を回っているので参拝は明日にするとして、問題は今日の宿泊地だ。

 地図を見ると、大宝寺の近くに位置する久万公園にはトイレと東屋が存在するようだ。宿泊地として良さそうな感じであったが、実際に行ってみると入口の東屋には既にテントが張られており、また奥の休憩所には大勢の若い人の姿があった。既に日が暮れかかっているにも関わらず大声で騒いでおり、どうにも雰囲気がよろしくない。

 久万公園での宿泊は諦めて再び地図とにらめっこをする。久万公園から少し北にいったところに遍路小屋があるようなので、そちらへ移動することにした。


車道沿いだが通る車は少なそうなので、ここにテントを張らせて頂く

 この遍路小屋はテントのサイズに対していささか狭いが、まぁ、屋根があるだけで有難いというものだ。水道の類はないものの、この遍路小屋へと続く遍路道沿いに沢があったので、その流水でシャツとタオルを洗わせて頂いた。しかしこの水がもの凄く冷たく、まさに高原に来たということを痛感させてくれた。久万高原では春でも震えるくらいに冷え込むことがあるとのことで、今日はいつも以上に着込んで寝るとしよう。

 夕食は小田の道の駅で購入した稲荷寿司と天ぷらである。当然ながら温められないので冷えたままであるが、ふにゃふにゃの海老天やもそもそとしたイモ天はどこか昔懐かしい味わいと風情があった。