巡礼0日目:リヨン〜ル・ピュイ=アン=ヴレ

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 さて、これまで二週間ほどフランス国内を観光して周ったワケだが、いよいよ明日からこの旅行の主目的であるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を始めたいと思う。まだ行きたい場所は数多くあるものの、しかし日本人がビザなしで欧州に滞在できるのは90日間と定められている。巡礼にかかる日数を考えると、そろそろ出発しないとまずい頃合いだ。

 というワケで、今日は現在滞在しているリヨンから、巡礼のスタート地点である「ル・ピュイ=アン=ヴレ」という町へ移動する。そしてル・ピュイで巡礼の準備を整え、明日の出発に備えようという寸法だ。私は9時にユース・ホステルをチェックアウトし、地下鉄でリヨン駅へと向かった。


さらばリヨンの町よ

 駅のカウンターで聞くと、リヨンからル・ピュイへはまずサン・ティエンヌという町へ行き、そこで列車を乗り換える必要があるらしい。列車の本数もそれほど多くはなく、次のサン・ティエンヌ行きは二時間後の11時24分発であった。待ちくたびれながらもようやくやってきた列車に乗り込み、シートに座る。車窓の景色が動いていくと、私は得も言われぬ気持ちの昂ぶりを感じた。列車での移動というものは、相も変わらず心が躍るものである。明日から巡礼が始まるというなら尚更だ。

 列車は順調に進み、サン・ティエンヌに到着したのは12時10分であった。ル・ピュイ行きの列車は12時52分発なので、まだ少々時間がある。この空き時間を利用して昼食でも取ろうかと思ったのだが、駅の周囲をプラプラしているうちにどうもタイミングを逃してしまい、結局自販機で1ユーロのグミを買ってそれを昼食とした。しかしグミは所詮グミ。列車内で向かいに座ったご夫婦がフランスパンを取り出し、うまそうなチーズを塗りたくって食べだしたのには正直参った。


曇り空のル・ピュイ=アン=ヴレ駅

 14時半、私は大勢の乗客と共にル・ピュイの駅に降り立った。その中には私と同じようにザックを背負う巡礼者の姿も少なくない。皆一様に、町の中心に位置するカテドラルへと歩みを進める。

 サンティアゴ巡礼は各国から大勢の人が来るらしいが、そのほとんどはフランスとスペインの国境に位置する「サン=ジャン=ピエント=ポー」という町から歩くのだそうだ。故に、このル・ピュイから歩く人はそう多くないのではないかとタカをくくっていたのだが、どうもそうではないらしい。もっとも、ここから始める巡礼者はサン・ティゴまで歩くというワケではなく、数日間のトレッキング的な感覚で来ているのかもしれないが。


カテドラルを目指す巡礼者


ル・ピュイ中心部とカテドラル

 私は他の巡礼者の後を追い、とりあえずカテドラルを目指す事にした。「ル・ピュイ=アン=ヴレ」という町の名は「谷間の丘」という意味だそうで、その名の通り、町の路地はアップダウンが激しい。山間地に位置する事もあり、春とはいえ気温が低く肌寒かった。天気もあまり良くなく、小雨が時折パラついている。

 しかしまぁ、濡れた石畳の路地というのも風情があって悪くはない。……などと思っていると、途端に靴を滑らせて転倒しそうになったりもするので、私はやはり晴れが良い。


ル・ピュイのカテドラルはイスラームの影響を感じるロマネスク建築だ

 息を切らせながら坂を上り、さらに石段を上り詰め、カテドラルへ入る。丘の上の狭い土地に建つこのカテドラルは、思いのほか複雑な構造となっており、薄暗い廊下を歩いてさらに階段を上るとようやく天井の高い身廊に出た。

 このカテドラルには黒い聖母子像が祀られ信仰の対象となっている。真っ白い服に身を包んだ黒い顔のその像は、どことなくインドのカーリー像を彷彿とさせた。……などと言っては失礼にあたるかもしれないが。何しろ聖母マリアは慈悲の象徴、カーリーは死と殺戮の象徴なのだから。


カテドラルの内部は天井が高い

 身廊からさらに奥の小部屋へ入っていくと、そこにはシスターさんがやっている売店があり、巡礼に必要な品々が販売されていた。私の前に入った女性(フランス人ではないようだ)は、巡礼手帳と地図を買い求め、さらに「コキ、コキ」としきりに言っていた。「コキ」とはいったい何だろうと思っていたら、ご年配のシスターさんは棚の中からカゴを取り出し、女性にそれを差し出した。そのカゴの中には、十字架のマークがあしらわれたホタテ貝が入れられている。なるほど、ホタテ貝はフランス語で「コキ」というのか。

 ホタテ貝はサンティアゴ巡礼者を示すその象徴である。何でもサンティアゴのあるスペインのガリシア地方は海産物が豊富であり、巡礼を終えた人々は食べたホタテの貝を記念として持ち帰り、それがいつしか巡礼者の象徴となったのだそうだ。いくつもの筋が根元に集まるホタテ貝は、各地からの道が収斂してサンティアゴへと至るこの巡礼路にそっくりだ。そのような意味でも、巡礼者を象徴するモノとしてピッタリだと思う。


巡礼手帳とホタテ貝


こちらはミシュランのルート・マップ

 私もまた巡礼手帳とホタテ貝、それと地図を購入した。巡礼手帳はフランス語で「クレアンシャル(Creanciale)」と言い、まぁ、巡礼者の身分証みたいなものである。宿や教会などでスタンプを押してもらう事で、通ってきた道筋を明らかにする事ができるのだ。

 地図はメジャーなものとして「ミャンミャン・ドードー(Miam-Miam Dodo)」という本があるが、私は軽さと安さの面からミシュランのものにした。他にも「トポ・ガイド(TopoGuides)」のものは地図が詳しくルートも正確だが、フランス語のみである。

 カテドラルを出た私はユースホステルにチェックインし、荷物を置いて再び町へ出た。このル・ピュイはサンティアゴ巡礼の拠点であると共に観光地でもある。見どころもなかなか豊富なようだ。せっかくだし、ちょいとうろついてみる事にしよう。


カテドラル裏手の「コルネイユの丘」

 町歩きの手始めは、やはり高い所に上って町の全容をつかむべきだろう。そう思った私は、カテドラルの裏手にそびえる「コルネイユの丘」に登ってみる事にした。入口で入場料を払い、えっこらえっこら階段を上る。

 この丘の頂上には、1857年に建てられたという巨大なマリア像が鎮座し町を見下ろしている……のだが、残念ながら現在は修復中の為、その尊顔を拝むことはできなかった。しかし、丘からの眺めは想像通り見事なものだ。


山に取り囲まれた町だという事が良く分かる


北側には岩山の上に立つ礼拝堂

 赤い屋根、白い壁で統一された美しい町並みの中、一際目を引くのが少し離れた岩山の上に立つサン・ミシェル礼拝堂だ。どことなくギリシャのメテオラを彷彿とさせるたたずまいである。うん、良い感じだ。次はあそこに行ってみる事にしよう。

 丘を下りた私は、一路その岩山を目指して歩く。ル・ピュイの町並みは、特にカテドラルの周辺が素晴らしい。古い石造の大規模な建物が建ち並び、複雑な形状の路地を構成しているのだ。


石造の建物が並ぶカテドラル周辺の町並み

 のんびりと時間をかけて町を抜け、先ほど見た岩山の下にたどり着いた。平地にポツンと立つその岩山は、麓に立つとなかなか迫力ある姿を見せる。

 入口で入場料を払うと、受付の女性に「先客の女性グループに教会の鍵を渡したから一緒に行って」というような事を言われた。私はそのグループの最後尾に付き、先ほど登ったコルネイユの丘をさらに凶暴にした感じの険しい岩山を上っていく。


岩山の山頂に建てられたサン・ミシェル礼拝堂

 幸いにもこの岩山はコルネイユの丘より高さが無い為、息が切れる前には山頂に到着する事ができた。

 そこに建つサン・ミシェル礼拝堂は、10世紀から12世紀にかけられて建てられたものだそうだ。カテドラルもそうであったが、この礼拝堂のタンパン(入口上部の装飾)も、ロマネスク様式をベースとしながら、アーチやモザイク状の模様などにイスラームの影響を受けている感じである。

 元はル・ピュイの司教が初めてサンティアゴ巡礼を終えた後に記念として建てたものだそうで、その建築様式もスペインの影響を受けたという説、またル・ピュイの司教が十字軍遠征に行った際に、兵士がその技術を持ち帰ってきたという説があるらしい。


サン・ミシェル礼拝堂のタンパン


堂内は窓が少なく薄暗い


壁画も残り、神聖な雰囲気である

 うん、これは見事な礼拝堂だ。こぢんまりとしているが意外と複雑な平面を持ち、彫刻も壁画も状態が良い。ロマネスク様式が基調の古い建築なので、堂内は窓が少なく薄暗い感じであるが、それもまた良い雰囲気を作り出している。

 これはぜひともじっくり眺め倒したい所ではあるが、入口には既に拝観を終えた女性グループの面々があった。彼女らは「鍵を締めるから早く出ろ」と言わんばかりに、こちらの様子をうかがっている。しょうがないので、私は後ろ髪を引かれつつ渋々外へ出た。う〜ん、残念。

 その後は町をぶらぶら歩き、いくつかの教会や建物なんぞを見学し、それから再びカテドラルまで歩いて戻った。カテドラルの手前で振り返ると、そこからは町の奥に広がる緩やかな丘陵を望むことができた。明日の朝にはついにここから歩き出し、あの丘を越えてサンティアゴを目指す事になるのだ。


カテドラルから見るル・ピュイの町並み

 今回のサンティアゴ巡礼の日数は、フランス国内が30日、スペインは40日、計70日と見積もっている。果たしてその予定通りにサンティアゴへたどり着く事ができるのか、途上ではどんな道や町が私を待ち受けているのか、それは全く想像もつかないが、まぁ、何はともあれ気楽に楽しむとしようじゃないか。

 私はそんな事を思いながら宿へと戻り、この日は早々に床へと就いた。



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