巡礼6日目:ナスビナル〜サン・シェリー・ド・ブラック(17km)






 何やら下の階が騒がしい。私は眠い目をこすりながらベッドを下りた。昨夜はなかなか寝付く事ができず、ようやく寝付いてからも夕食でルッコラを食べすぎたせいかやけに腹が張りトイレに起きた。さらに明け方にも雨が窓を叩く音でも度々起こされており、明らかに寝不足気味である。頭をしゃっきりさせようと、洗面所で何度も何度も顔を洗う。

 頭が覚醒してくると、今度は階段下から聞こえてくるざわめきが気になってくる。朝にしては少々賑やかすぎやしないか。不審に思い階段を降りた私の目に飛び込んできたのは、玄関前にたむろする5人程の警官、それと階段に腰掛ける刑事らしきコート姿の男性であった。私は階段の途中で足を止め、しばし呆然とした。

 最初は盗難事件でも起きたのかと思った。しかし、それにしては警官の数が多すぎる気がする。あまりに大事過ぎる。私は「パルドン(すみません)」を連呼しながら警官をかき分け、キッチンの扉を開けた。

 その時の光景は、きっと一生忘れる事はないだろう。テーブルに並んで座る沈痛な面持ちの宿泊者たち。その一番端には顔を手で覆いながら泣きじゃくる白髪の男性がいた。あの二本杖奥さんの旦那さんである。私は英語が話せる太めの中年男性に「何があったのですか?」と聞いた。その男性は言った。「彼の奥さんが亡くなったんだ」と。


宿の前に停めてあった救急車

 私は言葉を失い、そのまま二階へと戻った。ベッドに腰掛けながら頭の中を整理する。……亡くなったのか。あの奥さんが亡くなったのか。よく分からない様々な感情が込み上げては消えていく。サンティアゴ巡礼ではその途上で亡くなる巡礼者もいるとは聞いていたが、まさか私の周りでそれが起きるなどとは……夢にも思っていなかった。

 どのくらいの時間ベッドに座っていたのか不明だが、いつの間にか窓の外が明るくなっており、その日の光で我に返る事ができた。私は荷物をまとめるとザックを背負い、再び階段を降りる。私の姿を認めた警官たちは隅に避け、玄関までの道を作ってくれる。検視官だろうか、白衣を着た初老の男性と入れ違いに私は外へ出た。

 町には濃い霧がかかり、小雨がぱらついていた。商店の軒先に掲げられていた温度計を見ると、その目盛りは5度を指していた。今出発すべきではないのではないかとも思ったが、足は止まらなかった。どうしようもないままの気持ちを抱え、私はナスビナルを後にする。町の出口に立っていた石造の十字架がやけに冷たく見えた。


濃霧の車道をひたすら歩いた

 道を間違えていた事に気付いたのは、町を出てから30分後の事だった。地図によるとナスビナルの町からは脇道に入るはずなのに、そのまま真っ直ぐ車道を進んでいたのだ。当然ながらその車道には巡礼路を示す赤白マークが無かったが、それにすら疑問を抱かず霧がかかった車道を歩いていた。

 再び30分かけて戻ると、正しい巡礼路の入口にはちゃんと「右に曲がれ」のマークがあった。ご丁寧にも直進してはならないという事を示す×マークまで記されている。いくら霧がかかっているとはいえ、普段ならば見落とす事のない大きさのマークであった。自分がちょっとしたパニック状態に陥っていると自覚したのはこの時だ。


正しい巡礼路はナスビナルから林に入る


程なくして雨が止み、霧が晴れた

 時間が経つと共に徐々に霧が晴れていき、それと共に落ち着きを取り戻してくる。すると今度は亡くなった女性の姿が頭の中に浮かび、得も言われぬ感情を湧き起こした。ご夫婦とはそれほど親密だったというワケではないが、数日間毎日顔を合わして挨拶をしていた人の死は、やはりショックが大きかったようだ。

 林を越えて牧場に出ると、太陽が僅かながら顔を出した。辺りは広々とした牧場が広がっており、遠くまで連なる石垣の先には家の跡だろうか、廃墟が見える。良い景色だ。


牧場の中の廃墟

 余談だが、私が歩いている「ル・ピュイの道」及びフランス国内に散在するサンティアゴ巡礼に関する主要なモニュメントは、一括して「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」という名でユネスコの世界遺産リストに記載されている。ル・ピュイのカテドラルや、それに隣接するサン・ジャック施療院もまたその一部だ。

 巡礼路である「ル・ピュイの道」はそのすべてが世界遺産というワケではなく、七箇所の区間が飛び飛びで世界遺産になっている。その一番目の区間が、この日に歩いたナスビナルからサン・シェリー・ド・ブラックまでの道である(一部私有地を除く)。

 この区間はかつて荒野であり、巡礼路の難所とされていたたそうだ。現在は牧場が広がるものの周囲に車道はなく、比較的古来よりの巡礼路景観を保つエリアだと思う(だからこそ、世界遺産になったワケだ)。そのあまりに壮大な景色に、幾分気も紛れる。


牧場の柵を開いて通る


道を示すのは標識と先人の足跡だけだ


どこまでもどこまでも牧場が続く

 雪解けのこの季節、牧場の地面は緩みぬかるんでいる。牧草が生えている場所はまだ良いのだが、巡礼者が通る事で草が生えず土がむき出しになっている箇所も多く、上り坂では滑り、平地では足を取られる事が多々ある。だがしかし、その足跡が無ければ行くべき道が分からないのも事実だ。

 風は相変わらず強く冷たく、指先は常にかじかんだ状態だ。手袋……とは言わずとも、軍手くらいは持ってきた方が良かったかと思う。


巡礼路はしばしば雪解け水の小川で寸断される


これを登り詰めれば峠だ


峠には避難小屋も設置されている

 この牧場地帯は風景こそ最高であるが、決して道が良いというワケではない。道が分かり辛い箇所、雨の増水によって通れなくなりそうな箇所が多いのだ。

 この日は朝こそ霧が出たり雨が降っていたものの、幸いにもそれらは牧場地帯に入る前に晴れてくれていた。もしあの濃霧が消えることなくこの牧場に入っていたりしたら……考えるだけでも恐ろしい。

 雪で覆われている時期はもちろんの事、それ以外でも霧が出ている時、雨が降り続いている時などは、この道を避けて車道を歩いた方が良いだろう。峠に設置されている避難小屋は伊達じゃない。


峠を越えてさらに歩くとオーブラックの村が見えた

 11時半、ようやく牧場地帯を抜けオーブラックという村に到着した。朝食を取っていなかった私は空腹も限界に達していた為、少し早めだが昼食を取る。フランスパンにナスビナルで買った蜂蜜を塗りたくって食べた。

 オーブラックはこの周辺の中心地らしいが、意外と村の規模は小さい。巡礼者以外にも観光客が多く、車や観光バスが頻繁に出入りしていた。……が、見どころと言えば教会とそれに付随する塔くらいなもので、何を目当てにやってきているのかは不明だ。この村を拠点に、周辺を観光するのかもしれない。村にはちょっとしたツーリストセンターみたいな施設もあり、そこではスタンプを貰う事ができた。


オーブラックを出て先を行く


車道から足場の悪い山道へ


オーノ&クリスティーナと話しながら歩いた

 オーブラックを後にしてからは眺めの良い車道を少し歩き、それから石がゴロゴロ転がる山道に入った。再度雨が降ってきたのでザックにカバーをかけ、ぬかるんだ箇所を避けつつ歩いていく。

 途中でオーノとクリスティーナが追い付いてきて、彼らと仕事の事とか住んでいる場所とかの話をしながら下っていった。彼らは今朝の事など無かったかのように明るかったが、意図的にそう振舞っていたのかもしれない。


彼らは先に行き、私は再び一人で歩く


山間の集落を越え、さらに森林の急坂を下る

 結構険しい下り道であるが、周囲は木々が茂り、苔むした石垣や遺跡のような廃墟も見られ雰囲気が良い。ここ数日はずっと牧場が続いていたので、こういう山らしい風景に変わったのも何気に嬉しい。


途中にはかわいらしい石屋根の家もあった


天気も良くなり、木漏れ日に石垣が映える


サン・シェリー・ド・ブラックの村が見えた

 14時半くらいにサン・シェリー・ド・ブラックに到着した。ジットを探してとりあえず村の中心広場に来てみたが、どうもそれらしい建物が見当たらない。しょうがないので近くを歩いていた人を捉まえて聞いてみるが、どうも私の発音が悪いらしく理解してくれない。困った私は手の平にこぶしを当ててスタンプを押す仕草をしてみると、今度は通じたらしく、その人は広場脇の建物を指差した。

 役場(MARIAE)の横にあるその建物に「ボンジュー」と言いながら入ると、ご年配のおばあさんが顔を出した。「タンポン・シルブプレ(スタンプください)」と告げ、巡礼手帳を差し出す。今日は日曜日なので役場はやっていないはずだが、このおばあさんは休日の窓口役なのだろうか。まぁ、スタンプも貰えたしついでにジットの位置も聞けたので、結果オーライだ。


サン・シェリー・ド・ブラックの町並み

 なお、この村の出口には「巡礼者橋」と呼ばれる橋がある。中世末期に架けられた古い橋で、これもまた世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」の構成要素の一つである。


ボラルド川に架かる巡礼者橋

中央の十字架には巡礼者の彫刻が


明日は、この橋を渡って次の町に行く

 ジットに入ってシャワーを浴びている最中、外からカンカンと何かを叩くような音が聞こえてきた。窓から顔を出してみると、なんと雹が降っているではないか。雨が降ったと思ったら晴れ、晴れたと思ったら雹が降る。相変わらずよく分からない天候である。

 キッチンの物干しに洗濯物を掛けていると、玄関の扉が開きジョン夫妻が入ってきた。私の姿を見るなり、ジョンさんは黙って私を抱擁する。マイティ夫人もまたそうだ。彼らもまた、今朝の出来事を乗り越えてここまでやってきたのだ。

 夕食はジョンさん夫妻にフランス語を習いながらスパゲティを食べた。覚えた単語は「オヴァ(バイバイ)」「アビエント(さようなら)」などの挨拶から、「オー(水)」「クトゥ(ナイフ)」「セル(塩)」など調理用語が主。ただ、砂糖を意味する単語だけはうまく聞き取る事ができず、(私には「シュクァ」と聞こえたのだが)発音してもなかなか通じてくれない。


夕食後はカフェで一杯

 この日は日曜日だった為にお店が開いておらず、ワインを買う事ができない。しょうがないので夕食後に広場のカフェに行って飲んだ(カフェは祝日でも開いているのだ)。ビールを二杯を飲み、三杯目にはリカール(フランスのアニス酒)を頂いた。リカールは食前酒だが、まぁ、度数が強いし寝酒になるだろうと考えたのだ。

リカールはなぜかロックで出てきたが、アニス酒は水で割るのが普通だと思うので(水を入れると白濁して面白いし)、早速覚えた「オー(水)」を連呼して水を足してもらう。これら三杯で6ユーロ。程良く酔いが回り、朝までぐっすり眠る事ができた。