巡礼21日目:レクトゥール〜ラ・ロミュー(19.0km)






 朝は寒さで目を覚ました。泊まっていたジットにはブランケットが用意されておらず、持参してきた薄手のサロンを毛布代わりに寝ていたのだが、それでは朝の冷え込みには不十分だったようだ。面倒くさがらずに寝袋を出せば良かったと少し後悔した。

 このジットには私の他、日本人女性のKさんと、それとベトナム人の女の子が泊まっていた。Kさんの話によると、その子はフランス語ができるそうで、フランスを一人で旅行しているらしい。ベトナムはかつてフランスに統治されていた歴史があるとは言え、今日日フランス語ができる若い人はごく僅かだろう。教養の高い上流階級と見受けられる。

 これは余談だが、ベトナムといいラオスといい、元フランス領の国はどこもパンがおいしいのが印象的である。その辺の屋台で売っているバケットサンドですら驚くほどにレベルが高く、両国に滞在中は毎日のように食べていた。フランス人の食に対するこだわりは、そのような所にも表れているのだと思う。


朝のレクトゥール。今日も良い天気だ

 さて、ジットで朝食を取った後は出発だ。ここレクトゥールから次の大きな町であるコンドン(Condom)までの35kmは、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に含まれる巡礼路7区間のうち6番目の区間である。

 この区間は7区間のうち最も長い道のりであり、本日はそのほぼ中間に位置するラ・ロミュー(La Romieu)まで歩く事となる。ラ・ロミューまでは20km弱。アップダウンの少ないイージーな道なのだが、昨日は結構な距離を歩いたので、今日はまぁ、その足休めという意味を込めてのショートルートである。


緩やかな丘に麦畑が広がる


この地方を代表する穀倉地帯の道である


二時間ほど歩いてマルソランという村に着いた

 途中で立ち寄ったマルソラン(Marsolan)はとても小さな村だが、唯一あるレストランがスピーカーから大音量でダンスミュージックを流していた。静かな環境の中で落ち着いて休憩したかっただけに、少し残念である。

 今日は比較的多くの巡礼者に会う日で、ここに来るまでの道中では様々な人を追い越し追い越されてきた。中にはベルギーから歩いてきたという人もおり、またKさんは歩きながら得意の縦笛を披露していた。いやはや、なかなか賑やかな行軍である。


小さな溜池を横切り歩く


丘を一直線に走る道が美しい


路肩にはバラの花がしだれていた


道の景観も素晴らしいものである


畑の先に大きな教会が見えた

 麦畑の丘を越えてちょっとした林を抜け、平坦な道を歩いて行くと、道の向こうに二本の塔を持つ巨大な教会建築が姿を現した。レクトゥールからここまでは畑の中に小さな村や集落が点在するだけだっただけに、その登場はあまりに唐突である。

 それはカテドラル級に大きな教会であるが、周囲に町が広がっているようにはどうも見えない。いくつかの家の屋根は見えるが、せいぜい村程度の規模である。小さな村に不釣り合いな大きい教会、それがここ「ラ・ロミュー」に対する私の第一印象であった。


小さいながらも質の高いラ・ロミューの町並み


ふと顔を上げると、猫の像が私を見下ろしていた


窓際にも猫の像が


ラ・ロミューは猫の村なのだ

 この村は、1062年にローマ巡礼を終えた修道士が1082年に開いたという。巡礼者を意味するローマ語から「ラ・ロミュー」と名付けたのだそうだが、フランス語で「ミュー(miau)」は猫の鳴き声である事から、今やすっかり猫の村である。村のあちらこちらに猫の彫像が飾られており、猫好きの私としては歓喜極まりない。

 猫ムード全開な村の中、とある一軒の家だけは犬の像を掲げていた。「村の名前なんて知った事じゃない。俺はあくまで犬派なんだ!」という強い意志が伝わってくるようで、なんとなく微笑ましい気持ちになる。そのまま我が道を突き進んでいただきたい。


猫の村に凛々しく立つ犬の像

 まだ時間は13時半と少々早いが、とりあえずはジットに向かう事にしよう。先日ジョンさんに予約してもらったジットの場所を聞くべく、私はまずオフィス・ド・ツーリズモを探した。小さな村である為、それは簡単に見つける事ができた。

 ランチタイムで閉まっているかとも思ったが、オフィス・ド・ツーリズモは開いてくれていた。受付のお姉さんにジットの名前が書かれたメモを見せ、その場所を聞く。……が、どうもその宿はこの村を出て次の村に向かうその途上にあるらしい。えー、それは嫌だなぁ。私はこの村の見学がしたいのだ。

 困った私はふとKさんに今日の宿をどうするのかと訪ねてみると、Kさんはこの村の中にあるジットを予約しているのだという。あぁ、なら私もそこへ行けばいいか。予約してくれたジョンさんと予約先の宿には大変申し訳ないが、お姉さんにキャンセルの電話を入れてもらい、私もまたKさんが泊まるというジットに向かった。


そのジットはラ・ロミューの端に位置していた

 それはかなり大きなキャパシティを持ったジットであり、かなり早い時間に到着した事もあって、予約無しでも問題無くベッドを確保する事ができた。まだ取っていなかった昼食を食べ、シャワーを浴びて洗濯をしてもまだまだ時間はたっぷりある。私は村を散策する事にした。目指すはあの巨大な教会である。

 ラ・ロミューの中心を担うその教会は、カテドラルではなくコレジアルである。カテドラルは司教(カトリックにおいてその地区を管轄する聖職者)が管理する教会の事だが、コレジアルは参事会(自治体の議決機関)が管理する教会の事である。このサン=ピエール・コレジアルは、イングランド王に仕えていた枢機卿が自らの出身地であるラ・ロミューに1314年から1318年にかけて建てたものである。その後に管理が参事会へ移ったそうだ。

 この規模の教会建築を建てるには、当然ながら膨大な資金と人員が必要となる。故にカテドラルはその地域で最も大きな町に建てられるのが普通である。しかし、なるほど、ラ・ロミューの教会は私設だったのか。村の規模と教会の規模が釣り合っていないのも、それを知れば納得である。


あまりに立派なサン=ピエール・コレジアル


回廊も非常に美しい

 コレジアルへの入口は、先程訪れたオフィス・ド・ツーリズモである。通常より少し安い巡礼者料金4ユーロをお姉さんに支払い、まずは回廊へと進む。

 ゴシック様式で建てられたこのコレジアルは、巡礼路と並び「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成要素として世界遺産である。ル・ピュイやコンクのカテドラルなどと同様、非常に見ごたえのある教会建築である。


回廊から眺める教会がまた素晴らしい


フランス革命時に放火を受けたそうで、痛々しい部分もある


ゴシック様式なので内部はロマネスク様式の教会より明るい

 他にも眺めの良い塔や壁画が美しい聖具室、ノラ猫がうろうろする庭など、拝観料以上に楽しめるこのコレジアル。その中でも私が特に凄いと思ったのは、屋根裏である。


塔に登る螺旋階段の途中で屋根裏に入る事ができるのだ


こんな光景、初めて見た

 屋根裏を見学できる教会がどれだけあるのか知らないが、私はこれが初めての体験であった。交差ヴォールトの天井構造に屋根組など、非常に興味深い部分だらけである。天井が意外ともろそうな感じなので、踏み抜いてしまわないか少々心配だったけど。

 さて、コレジアルの見学後は夕食の調達である。村の広場にエピスリー(雑貨屋)があったのでそこに入った。個人商店という風情の小さな店であるが、なぜかワインの品ぞろえが非常に豊富でびっくりした。このような小さな村の小さな店であっても、ここまでの種類を扱っているとは、さすがはワインの本場フランスである。


店に隣接する部屋の棚すべてがワインなのだ

 私はいつものごとくスパゲティとソース、それとお店の人に「ヴァン・ド・イシ(ここのワイン)」と伝えて地元産のワインを購入した。お店の人は非常に親切に、予算に見合ったワインを選んでくれた。

 店を出て宿に戻る際、どこからともなく笛の音が聞こえてきた。Kさんがまた笛を演奏しているである。不思議な事に、歩いても、歩いても、その音は途切れることなく風に乗って私の耳に届いてくる。あぁ、そうか、きっとコレジアルの塔で吹いているのだろう。眺めの良い塔での演奏は、さぞや気持ちが良いに違いない。

 ラ・ロミューの村全体に響き渡るその笛の音を聞きながら、私は宿へと歩いて行った。