ここのジットは朝食付きである。6時半に食堂へと出てみると、そこには既に朝食が用意されていた。他に誰もいないが、まぁ、用意されているのだから食べても良いだろう。勝手にコーヒーを沸かして朝食を食べ始めていたら、宿のマダムが慌てたようにやってきて、遅くなってゴメンナサイと謝られた。どうやら、本来はマダムが給仕してくれるところだったらしい。こちらこそ、勝手に食べてゴメンナサイ。 昨日に引き続き、今日もまた世界遺産区間第6番目の巡礼路を行く。今日の目的地はその世界遺産区間の終端に位置するコンドン(Condom)という町である。 ジョンさんが予約してくれたジットは昨日の分までで終わってしまったので、今日からは再び自分の力でベッドを確保しなければならない。でもまぁ、コンドンは結構大きな町のようなので宿の心配は無いだろう。そういえば、ここ数日ジョンさん夫妻と会っていないが、彼らは元気にやっているだろうか。そんな事を様々に思いながら、畑の道を行く。 正午少し前、私はコンドンの町に到着した。バイズ川沿いに広がるコンドンは、この周辺地域の中心地であるようだ。昔から物資の集散地、サンティアゴ巡礼を含む交通の要衝として栄えてきたという事で、その歴史を感じさせるたたずまいの町である。 まず私は町の中心であるカテドラルへと赴き、そのすぐ側にあったオフィス・ド・ツーリズモでガイドブックに書かれているジットの場所を尋ねてみた。そのジットは町の中心部から少し離れていたが、まぁ、許容範囲内のエリアにあった。 このサン=ピエール・カテドラルは回廊も付属する非常に立派な教会であるが、サンティアゴ巡礼路のピークから外れた16世紀に建てられたものである為か、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成要素には含まれていない。とはいえ、その建物の風情は味わい深く、タンパンの彫刻もなかなかなものである。世界遺産であるとかないとか、そんな区別をするのも馬鹿らしいというものだ。 私は近くのスーパーで食料を購入し、広場に据えられたベンチに腰掛けてカテドラルを眺めながら昼食を取った。コンドンにたどり着いた巡礼者はもれなくこの広場に集まるようで、私と同じように朝食を取っている人も多い。その中、特に私の興味を引いたのがカートを引いて歩く髭のおじさん巡礼者である。 以前、フィジャックのあたりで一輪車を引くおじさん巡礼者と何度か一緒になったが、こちらは二輪のカートである。それも手で引くタイプではなく、腰のベルトに括り付けて引くタイプのようだ。これで未舗装の巡礼路をガシガシ行くのだから、凄いものである。 さてはて腹も膨れたし、それではジットに向かおうかと思ったその矢先、ピエールさんご夫婦&コンニチハおばさんのグループに再会した。ピエールさんに「どこに行くのか」的な事を聞かれたので、とりあえずガイドブックに書かれているジットの名前を見せる。するとピエールさんはさっと携帯電話を取り出し、そのジットに電話を掛け出した。そしてピエールさんは言う、「コンプレ(満室)」と。 あちゃー、既に満室なのか。こりゃどうしたモンかと困っていると、ピエールさんはさらにどこかへ電話を掛けた。そして何やらペラペラしゃべり、「OK」と言う。続けてピエールさんはご自分のガイドブックを私に見せ、ここに行けと一つのジットを指差した。大変ありがたい事に、今しがた即行で宿を確保してくれたのだ。どうやらそれは、このコンドンから少し先にある、ラレシングル(Larressingle)という村にあるらしい。 バイズ川の橋を渡り、川沿いの遊歩道をしばらく歩く。その途中に建つサン=ジャック教会はかつての修道院の遺構という事で、レクトゥール〜コンドン間における巡礼路の付属という形で世界遺産となっている。 そのサン・ジャック教会を越えた辺りで巡礼路はバイズ川を離れ、再び麦畑が広がる丘陵の道となった。未舗装路と舗装路を繰り返しつつ一時間程歩いて行くと、巡礼路を横切る車道と交差する地点に出た。 本来の巡礼路はそのまま直進するのが正解なのだが、ピエールさんが取ってくれた宿のあるラレシングルは巡礼路から少し離れた所にある為、そこを右に曲がって車道を行かねばならない。 ラレシングルは丘陵上に位置する小さな村だが、そこにそびえる中世の城塞は驚く程に立派である。空堀を備えた城壁の内部には城と教会、それといくつかの建造物が建ち並んでいた。このラレシングルは「フランスで最も美しい村」の認定を受けている村であるが、正直なところ、村というよりはこの城塞がすべてといった感じの所である。それだけ、城塞のインパクトが強すぎたのだろう。 さて、肝心のジットであるが、どうもその場所が分からない。村にはジットよりも少し高級なシャンブルドットと呼ばれる宿泊施設が一軒あるのみで、教えられた名前のジットは存在しないのだ。オフィス・ド・ツーリズモもあるにはあるのだが、毎日開いているというワケではないようで、残念ながらこの日は休みだった。しょうがないので、城塞の前にあった売店のおじちゃんに聞いてみる。するとおじちゃんは丁寧にも地図を書いてくれた。それによると、なるほど、どうやらジットは村の中心から少し離れた場所らしい。 ……と、その時、城塞の中からピエールさんたちが出てくるのが見えた。あ、ひょっとして、予約してくれたジットはピエールさんたちが泊まるジットと同じ所なのだろうか?まさにその通りであったようで、ピエールさんたちは一緒に来いと私を手で招く。彼らについて行く事約10分、麦畑に囲まれたジットにたどり着いた。 そのジットは、農家のお宅が副業としてやっているジットであった。まずはリビングルームに通され、ウェルカムドリンクとしてビールを頂く。小さな瓶のビールであったが、そのラベルは見た事がないものであった。この辺りの地ビールだろうか。 また、テーブルの上には青いボトルと小さなショットグラスが置かれていた。自由に飲んで良いという事だったので試しに頂いてみる。ボトルから少しだけグラスに注ぎ、口に含んでみると……おぁ!なんだ、これは。ゴクリと喉に流し込むんだ途端にカーッと熱くなるその液体は酒であった。しかも、物凄く度数の高い酒だ。 顔をしかめる私を見て、宿の主人は笑いながら「オー・ド・ヴィー」と言った。なるほど、その一言で理解ができた。オー・ド・ヴィー(Eau de vie)、それはフランス語で「命の水」という意味である。命の水などと言うと大層な感じがするが、要は蒸留酒の事である。強い度数と透明な色から察するに、これはニューポットなのだろう。 ウイスキーやブランデーといった蒸留酒は、原料(ウイスキーなら麦、ブランデーならブドウ)を発酵させてできた醸造酒を蒸留し、極めて度数の高いニューポットを得る。そのニューポットを樽に詰めて熟成させ、完成させるのだ。 なるほどなーと感心しながらボトルを見つめていると、ピエールさんが私の肩をポンと叩き、「アルマニャック」と言った。な、なんと、これはアルマニャックのニューポットだったのか!コニャックと並ぶブランデーの二大巨頭であるアルマニャック。このジットはそのカーヴでもあったのだ。しかも、後で飲ませて頂けるらしい。 ご主人がベッドに案内するとの事で、私はアルマニャックに浮かされウキウキした気分でその後を追った。ところがご主人は部屋には入らず、母屋から外に出ていってしまう。頭にハテナを浮かべながらついて行ったその先には、なんとキャンピングカーがあった。 どうやら、ピエールさんが電話したその時にはもう部屋は全て満室で、このキャンピングカーなら空いているとの事だったらしい。そういえば、宿の名前を教わっている時にも、ピエールさんはキャンピングカーとかどうとか言っていたような気もする。 まぁ、私としては雨風がしのげればどんなところでも問題は無い。というか、アルマニャックを目の前にして、今更別の宿に行くつもりなど毛頭無い。 寝る場所こそキャンピングカーではあるが、宿の施設は母屋のものを使う事ができる。私はシャワーを浴びて洗濯をした後、ジットの広大な庭で飼われているロバと戯れたり、猫を追いかけ逃げられたり、風に揺れる麦畑を見ながらビールを飲んだりしていたところ、すっかり夕方になってしまった。 そろそろ戻るかと母屋に向かうと、母屋の隣にある倉庫らしき所へぞろぞろと入って行く宿泊客の姿が見えた。あ、その倉庫はもしかすると、もしかしてですか? おぉ、これは凄い。ズラリと並んだ樽に巨大な圧搾機と、思っていたよりずっと本格的なカーヴである。蒸留器が見当たらないので蒸留は別の所でするのだろうが、それ以外はすべてこのカーヴでできるのだろう。 アルマニャックの製造工程について宿のご主人に話を聞くと、蒸留はポットスチルによる単式蒸留(ウイスキーや乙種焼酎などで行われる蒸留方法)ではなく、連続式蒸留(ジンやウォッカ、甲種焼酎などで行われる蒸留方法)でやっているようである。 まず最初は6ヶ月熟成、続いて3年熟成のアルマニャックを頂いた。甘口で濃厚ではあるがフルーティで爽やか。6ヶ月のものも十分うまいのだが、その後に3年ものを飲んだらよりまろやかかつ複雑な味わいになっていて驚いた。色も全然違うものである。 仕込んだばかりのまだ若い樽も味見させてもらったが、こちらはやはりオー・ド・ヴィーと同じく辛くて刺々しい。それが樽に入れておくだけでここまで味、色と共に変化するのだから、まったく酒というのは面白いものだ。 私が杯を乾すと、ご主人がもう一杯と進めてくる。それを何度か繰り返すと、私はすっかり出来上がってしまい、もはやベロンベロンである。お陰でカーヴを出る際にカメラのレンズキャップをうっかり置き忘れてしまい、後で再度、ご主人にカーヴを開けてもらう事となった。いやはや、ご迷惑おかけしてスミマセン。 アルマニャックの試飲の後は夕食である。私は夕食が付いていないものと思っていたので、これにもまた驚かされた。コースで出てくる料理はどれも美味である。こりゃ少々値が張るのかなと思いきや、要求された宿泊料は15ユーロであった。えぇー、普通なら30ユーロはするであろうに、そんなに安くてよろしいのかしら。キャンピングカーだったから、安くしてくれたのだろうか。なんだかよく分からないが、まぁ良しとする。 良い気分に浸りながら、私はキャンピングカーのベッドに体を横たえた。やはり少し飲みすぎていたらしく、あっという間に夢の中である。 深夜、トイレを催して目を覚ました。キャンピングカーのドアを開けると、ひんやりとした空気が酔いの残った頭を冷ましてくれる。ふと頭上を見上げてみると、そこには満点の星空があった。町から離れた農家ジットならではの光景であろう。私はプラスチックのイスに腰を掛け、体が冷えるまでその星を見続けていた。 Tweet |