朝アルベルゲを出ようとしたところ、例のノルウェー人男性に声を掛けられた。「今日は巡礼を休んでバスで別の場所に行くんだ」と彼は言う。なんでも、この町の近くにメディテーション・スポットがあって、そこで瞑想してくるのだそうだ。毎日進んでいくサンティアゴ巡礼において、一日でもペースがずれてしまうと再会するのはなかなか難しい。つまり、この男性とはここでお別れという事である。 突然のその言葉に少々面食らったが、まぁ、“寄り道は巡礼の花”だと私も思っているし、笑顔で握手を交わしてお別れをした。数日間とはいえ、顔を合わせていた馴染みの巡礼者がいなくなるのは少々寂しい事ではあるが、実は私もこの先寄り道しようと考えている場所があったりするし、そのうちまた巡礼路上で会えるかもしれない。 昨日の夕食時に日本人女性から聞いた話によると、今日歩く区間は途中に町が少ないらしい。手持ちの食料が少々心許なくなっているので、エステージャを出る前にお店に寄りたい所である。しかし、この町に朝の8時から開いている店などあるのだろうか……と思いきや、宿のすぐ先で扉を開けている食料品店を発見した。 「オラー(こんにちは)」と声を掛けながら店に入ったものの、お店の中には誰もいない。とりあえず棚からバケットとバナナ、それと缶ビールを手に取り、会計をお願いしようとレジの前に立ったのだが……やはり誰も出てこない。少し声を張って「オラー、オラオラー」とお店の奥に向かって言うと、小さな女の子がひょっこりと顔を出した。私の姿を見るや否や、慌てた表情でとたとたと玄関から外に出て行ってしまった。 こりゃどうしたもんかと立ち尽くしていると、すぐに先程の女の子がお母さんらしき女性を引き連れてやってきた。どうやら、隣のバルでコーヒーを飲んでいたらしい。ニコニコと品物をビニール袋に入れ、会計してくれた。かわいらしい仕草の女の子と、のんびり気さくなお母さんがとても印象的だったお店である。 なお、エステージャの新市街から連続するアジェギの町には、巡礼路の分岐点が存在する。一つはそのまま国道北側の巡礼路を行くオリジナルのルート、そしてもう一つは昨夜に飲んだワインの産地であるイラーチェの修道院と市街地を経由して行くルートだ。 ここに分岐点がある事を知らなかった私はそのままオリジナルルートを歩いたのだが、イラーチェ修道院には12世紀に建てられたロマネスク様式の教会が建ち、また巡礼者に一杯のワインを提供する「ワインの泉」があるそうだ。時間がある場合はイラーチェに立ち寄り、ワインの産地らしい粋な計らいを受けるのも一興であろう。 イラーチェでワインを生産している「ボデガス・イラーチェ社」のブドウ畑を横目に巡礼路を歩いて行くと、向かい側から地元の人らしきおじさんが歩いてきた。私を呼び止めてスペイン語でペラペラと何かを言ってくる。そのジェスチャーの様子から察するに、おそらくここから先の巡礼路について道案内をしてくれたのだろう。言葉は理解できなかったが、私を心配してくれるその心遣いは嬉しいものである。 イラーチェを通り過ぎてからは、巡礼路はちょっとした山道へと入った。森林と麦畑の丘陵地帯である。私はここで、一組の東洋人ご夫婦とお会いした。木陰に腰掛けて休憩していたそのご夫婦は、50代くらいの年齢だろうか。外見は日本人のように見えるが、イマイチ確証が持てない。とりあえず英語で「ハロー」と挨拶してみると、旦那さんが「ハロー」と返してくれた。その発音はしっかりしたもので、日本語訛りは感じられない。う〜ん、どうも日本人ではないような気がする。 この「フランス人の道」を歩いている日本人は定年退職後のお年寄りが多く、韓国人は逆に若者が多い。このご夫婦は若者ではなくお年寄りでもなく、壮年というべき年なのでそこから国籍を判断する事もできない。まぁ、一言、「Where are you from?」と聞けばそれで分かる事なのだが、この時はとりあえずスルーし、私はそのまま歩いて行った。 アスケタの村を出ると、巡礼路は三角錐の形をした特徴的なモンハルディン(Monjardin)山の裾を掠めるように西へと続いていた。周囲はブドウ畑と牧草地が広がっており、笑ってしまうくらいに映える景色である。 ただ、そう遠くない所を高速道路が通っている為、車の音が頻繁に聞こえてくるのが少しだけ残念だ。まぁ、道を周辺環境共々保護するのは並大抵の事ではないので、しょうがないと言えばしょうがないのだけれど。 またモンハルディン山麓の巡礼路沿いには、切り妻屋根とアーチの入口が印象的な「ムーア人の泉(Fuente de los Moros)」が存在する。中に入ると数段の下り階段があり、その底には水が溜まっていた。ちょっとした階段井戸のようである。 この「ムーア人の泉」は1200年頃に築かれたものだという。モンハルディン山の頂上にある砦はムーア人(北アフリカのイスラーム教徒)の侵攻を食い止める目的があったそうだが、こちらの井戸はムーア人と名が付くもののムーア人とは関係が無いようだ。 きっとこの井戸では、昔から数多くの巡礼者が喉を潤してきたのだろう。さすがに現在この水を飲もうという人はいないだろうが、休憩スポットとしては現役なようで、数人の巡礼者がここでザックを下ろし休んでいた。もっとも、ほんのちょっと歩けば次の村であるビジャマヨール・デ・モンハルディン(Villamayor de Monjardin)に到着するので、どうせならそちらで休憩する方が良いのだろうが。 この村の教会もまたエステージャのサン・ミゲル教会と同様、内部に入る事はできるものの、照明を付けるに1ユーロが必要であった。ロマネスク様式は窓が小さく薄暗いのが特徴だが、ここは特に暗く、入口の扉を閉めると中はほぼ真っ暗である。 教会前のベンチで少し休憩した後、私はビジャマヨールの村を出た。ブドウ畑が広がる坂道を下り、ポプラの木が並ぶ平地を歩く。 丘を下り切った所にあるポプラの並木道では、道の脇に座って休憩を取る短髪の東洋人男性と会った。若い人なのでほぼ間違いなく韓国人であろう。私は「ハロー」と挨拶、男性はしんどそうに汗を拭いていたので「大丈夫?」と英語で話しかけてみたものの、その顔は渋いまま、消え入るような声で「イエス」と答え、そのままうつむいてしまった。 あらら、なんとも素っ気ない反応だ。シンさん姉妹といい、キムさんといい、私がこれまで会ってきた韓国人の皆さんは、フレンドリーで愛想の良い方ばかりであった。まぁ、かなり疲れている様子だったので、私の相手をするのが面倒だったのだろう。ちょっとだけ残念に思いながら、私は並木道を進んで行った。 ポプラの並木道が途切れてからは、ほとんど木陰の無い麦畑の道をひたすら歩く。緩やかに傾斜する畑の中、一条の巡礼路が走る風景は何とも心に響くものがある。高速道路からも離れ、聞こえてくる音は風の音と巡礼者の足音だけだ。時折路肩に見られるオリーブの木からは、キンモクセイに似た甘い香りが漂ってくる。巡礼路としては、これ以上無いくらいに風情のある区間である。 ……が、いかんせん、この辺りは本当に何も無い。途中に集落が無いのはもちろん、水場も無く、休憩できる場所も無く、照りつく太陽までもが容赦無い。幸い、昨日の夜に今日歩く場所について教えてもらっていたので事なきを得たが、もし知らないでこの区間に入ってしまったら、間違いなく水不足に陥っていた事だろう。危ない、危ない。 正午を回っても休憩できるような場所が見当たらなかったので、私は丘の斜面によじ登り、岩場に生えた僅かな灌木の下に座って昼食にした。しかし灌木の枝はまばらで太陽をしっかりと遮れず、また時間の経過と共に影の位置が変わるので日陰を確保するのに難儀した。朝に買っておいたビールはお湯のように温かったが、それでも渇いた体には良く染みるものだ。私は再び気力を取り戻し、改めて白い道を進んで行く。 10時半にビジャマヨールを出てから畑の中を歩き続ける事約3時間半、14時頃にようやく次の町であるロス・アルコスがその姿を現した。日光に焼かれながら歩いてきた身としては、まるでオアシスのような存在の町である。丘の峠に達し、眼下にロス・アルコスが見えた時には、「やった、助かった!」と半ば本気で思った。 ロス・アルコスの入口にあたる北側は比較的新しい建物が多いが、サンタ・マリア教会を中心とする南側は古い建物も数多く、ここもまた良い感じの町並みである。 サンタ・マリア教会は12世紀に建てられた教会をベースに度々改築が行われ、ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式などが混在する多彩な特徴を持つ教会である。改築を重ねてきた歴史を物語るかのようにその教会は巨大で立派だが、やはりここも入口の扉は閉ざされていた。 教会前の広場から門を潜って町の出口に差し掛かると、公園奥の建物に巡礼者らしき人々がたむろしているのが見えた。どうやらあそこが公共アルベルゲのようである。 オスピタレオのおばちゃんに料金の6ユーロを支払ってスタンプを貰い、ベッドルームに案内してもらう。ここは使い捨てのシーツをベッドに敷き、その上に寝袋を使って寝るタイプの宿であった。この使い捨てシーツは、どうやら南京虫対策のようである。世界各国から巡礼者がやってくるサンティアゴ巡礼路の宿は、近年、南京虫の被害に悩まされているらしいのだ。 私は過去に一度、インドで南京虫にやられた事があるが、それはそれは酷いものであった。念入りにシーツを敷き、今回のサンティアゴ巡礼で南京虫の被害に遭わない事を祈るばかりである。 なお、このアルベルゲはWi-fiが利用可能であった。シャワーと洗濯を手早く終わらせた私は、ノートパソコンを片手にキッチンに向かう。 階段を下りて行くと、そこにはポプラ並木で会った短髪の韓国人男性がいた。私は笑顔を作って「ハイ」と挨拶するものの、彼はこちらには目もくれずそのまま廊下の奥へと消えて行った。もちろん、私の声と姿は認識していたはずである。「あ、こりゃ、避けられているな」、私はそう実感した。 彼と会ったのは今日が初めてなワケで、私自身には彼に避けられる心当たりなど一切無い。……という事は、彼が私を避けているのは、おそらく私が日本人だから、という事なのだろう。 キッチンの片隅でメールをチェックしていると、突如陽気な声で「タケ!」と声を掛けられた。顔を上げると、そこにはプエンテ・ラ・レイナの宿で一緒になったキムさんがいた。「君もここに来ていたんだ」と握手を交わし、お互いの無事と再会を喜ぶ。あぁ、良かった。私を相手にしてくれる人はちゃんといた。 少し情報交換した後、キムさんは夕食を買いに行ってくると言ってアルベルゲから出て行った。私は再びパソコンに目を落とし、ネットを続ける。18時を回った頃、キムさんがビニール袋を片手に戻ってきた。彼は相変わらずの笑顔で「教会が開いているよ。すっごく美しかった」と私に言った。おぉ、それは見に行ってみなければ。私はキムさんにお礼を言ってパソコンを閉じ、教会へと向かった。 もはやおなじみとなったスペイン特有の金ピカ祭壇がドドンと据えられているのはもちろんの事、天井や壁にはその一面に壁画が描かれ、豪華さに加えて優雅さを演出している。いやはや、眺めているだけでくらくらしそうな内装だ。 私が呆然と立ち尽くしていると、一人の老人が近付いてきて「セジョ?」と聞いてきた。おっと、この教会ではセジョ(スタンプ)を貰う事ができるのか。私は「プロファボール(お願いします)」と巡礼手帳を渡し、スタンプを押して頂いた。 教会から出てふぅとため息をつく。いやはや、凄い教会であった。開いている事を教えてくれたキムさんにはホント感謝である。 Tweet |