朝起きて空を見上げると、珍しくも薄曇がかかっていた。スペインに入って一週間、晴天でない日はこれが初めてだ。曇りだと太陽光線がやわらぐので歩きやすくはあるものの、景色の美しさが若干損なわれてしまう。私としては、多少暑くても良いから晴れてくれる方が嬉しいのだが、まぁ、これまでが天気に恵まれ過ぎていたのだろう。 今日は7時半にアルベルゲを出た。いつもより少しだけ早い時間の為か、道行く巡礼者の数がやけに多い。いつもの1.5倍くらいだろうか、常に5、6人が視界の中にいる感じである。たった30分早いだけでここまで違ってくるとは、少し驚きであった。 巡礼路を行く人々の中には、筋肉痛なのだろうか、あるいは歩行中に痛めたのだろうか、足を引きずりながら歩く人がいた。また路肩には、足の裏にできたマメを手当てしている人もいた。いずれもかなり痛そうである。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから歩き始めた人たちは、この辺りで体にガタが来始めるのだろう。 ……などと偉そうに言う私も、今日は体の芯が若干重く、疲れが溜まっているような感じがする。体調があまりよろしくないのかもしれない。まぁ、あまり急ぎすぎないよう、気を付けながら歩くとしよう。 サンソルに到着した私は、とりあえずのお約束として村の中心にある教会を訪ねてみた。当然のごとく中には入れなかったものの、教会の裏手はストンと落ちる谷になっており、そこから見る景色が素晴らしかった。 谷の対岸には次の村であるトレス・デル・リオ(Torres del Rio)が見下ろせる。ざっと眺めただけでも古そうな建物が多く、特に家々に混じって建つ八角形の教会が目を引いた。私は休憩もそこそこに、坂道を下りて谷を越え、トレス・デル・リオへと急ぐ。 中世に巡礼者の保護を担っていたテンプル騎士団によって築かれたというこの聖墳墓教会は、見事なまでに美しいロマネスク様式の建築である。窓を縁取るアーチと柱頭には植物をモチーフにした彫刻が施され、可愛らしくも上品な印象を受ける。内部の天井はドームになっており、イスラームのモスクのような感じもする。 ちなみにトレスの村にはもう一つ、16世紀末期に建てられた教会が存在する。日本人の感覚からすると16世紀も十分に古いものだと思うのだが、石造文化のヨーロッパではこのくらいの教会は珍しくなく、特にこのサンティアゴ巡礼路にはより古い文化財がゴロゴロしている為か、こちらの教会に立ち寄る巡礼者は私以外にいなかった。 私はトレスの村を出る前に休憩を取る事にした。商店を探して歩いたものの、この村にはバルが一軒あるだけである。しょうがないので、そのバルで冷えたコーラを購入した。350mlの缶で1.2ユーロと割高だが、ついでにバルのスタンプを巡礼手帳に押して貰ったので、その代金と考える事にする。ちなみに、ビールも同じ1.2ユーロだったが、体調が微妙だったので午前中からのビールは控えておいた。 トレスからの巡礼路もまた、相変わらずな畑の中を突っ切る道であった。その途中には、16世紀に建てられ19世紀に改築されたという礼拝堂(Ermita de la Virgen del Poyo)が鎮座しており、そこでは多くの巡礼者が石段に腰掛け足を休めていた。 礼拝堂の前に一台の車が止められているが、これはどうやら休憩中の巡礼者相手にジュースなどを売る、物売りの車のようである。私もまたこの礼拝堂で休憩を取ろうかと思ったものの、物売りの姿を見ていささか興が醒めたのでスルーして先を急ぐ事にした。 天気は朝より好転していた。一時は小雨がぱらついたりもしたが、時間の経過と共に青空の見える範囲が広くなり、正午を過ぎた頃には太陽の光もだいぶ強まっていた。 私がビアナという町に到着したのは13時少し前の事だ。この辺りの地域は、防衛の為か丘の上に集落が形成されている事が多い。ビアナもまた丘を覆うように家々が建ち並ぶ町であるが、ここは特に規模が大きい感じである。 土曜日の昼という事もあってか、あるいはたまたまお祭りなどの特別な日にあたったのか、ビアナの通りは物凄い数の人出で賑わっていた。これだけの人を見るのは、パンプローナ以来の事である。いや、人の密度という点ではパンプローナをも上回っているだろう。この町はとにかく、人、人、人という印象であった。 スーパーでオレンジとビールを買い、町の中心にそびえる聖マリア教会の裏手に腰掛けて食べる。教会と市庁舎に挟まれた広場では、子どもたちが元気にサッカーボールを追いかけていた。噴水に群がる子たちがいたので何をやっているのだろうと思っていたら、どうも水風船に水を入れ、ぶつけ合って遊んでいるようだ。 そんなほのぼのした光景を眺めながら食事を終えた私は、ビアナの町を軽く散策してみる事にした。まずは目の前に建つ聖マリア教会からだ。 ビアナの聖マリア教会は、1550年頃に建てられたゴシック様式の教会である。特にファサードの彫刻は立派なもので、なかなか見ごたえがある。扉が開いていたので中に入ると、そこには昨日の短髪韓国人男性がいた。昨日の事もあってかどことなくよそよそしく感じてしまい、私は彼がいる位置とは逆の方向から見学を開始した。 身廊の後部に明かりが付いている小部屋があり、そこには一人のおばあさんが椅子に腰掛けていた。机の上にはスタンプが置かれている。この教会でもスタンプを貰う事ができるようだ。私はそのおばあさんに「セジョ・プロファボール(スタンプお願いします)」と声を掛け、巡礼手帳にスタンプを頂いた。お礼を言って小部屋を出る。 さらに見学を続けていると、私のもとに先ほどのおばあさんが近付いてきた。何事かと思ったが、その様子から察するに、教会を閉めるから出てくれと言いたいようであった。時間はちょうど14時。なるほど、シエスタの時間なのだ。私は「シー(はい)」と言って入口に戻る。先程の韓国人男性もまだ見学を続けていたので、「もう扉を閉めるそうですよ」と英語で話しかけると、彼は硬かった表情をやや緩め、「OK」と言って私と共に教会を出た。たった一言ではあるが、ようやく彼とまともなコミュニケーションが取れて、私はちょっとだけ嬉しく思った。 ビアナには聖マリア教会の他にも、1844年にカルリスタ戦争で破壊されたサンペドロ教会の廃墟など、興味深いスポットが多い。今日はもうこの町に宿を取っても良いんじゃないかと一瞬だけ思ったが、いや、やはり次まで行こうと思い直した。 ビアナから約10キロメートル進んだ地点には、ログローニョという町がある。先日キムさんに教えて貰った通り、スペインのワイン産地として著名なラ・リオハ州の州都である。ナバーラ州の州都であるパンプローナと同様、相当に大きな都会なのだろう。せっかくここまで来たのだから、今日はもう少し頑張って、ログローニョまで歩くとしようじゃないか。 ログローニョまであと一息。最後の休憩でザックからチョコレートを取り出すと、それはベロンベロンに溶けてしまっていた。今日は薄曇りなので大丈夫かと思って買ったのだが、いやはや、ダメであったか。私の好物&手軽なカロリー補給という事でフランスでは多大に活躍したチョコレートも、残念ながらスペインでは文字通り形無しである。 エブロ川に架かるピエドラ橋を渡り、ログローニョの市街地へと入る。旧市街内の公営アルベルゲに到着した私は、オスピタレオのおじさんを探して「オラー」と挨拶。しかしおじさんは私の姿を見るや否や、少し困ったような表情を浮かべた。あ、この反応、覚えがあるぞ。フランスで何度か遭遇した、“満室”という最悪な状況だ。 私は恐る恐る、「コンプレート(満室)?」と尋ねてみると……返ってきた言葉は「シー(はい)」であった。 いやはや、巡礼宿のキャパシティ十分と言われているこの「フランス人の道」においても、満室に遭遇する事があるものなのか。私はオスピタレオのおじさんが書いてくれた地図を頼りに、今度は新市街にある私営アルベルゲへと向かった。さすがに私営アルベルゲまでもが満室という事は無いだろう。私はそう気楽に考えていたのだが、受付のおばさんは無情にも「コンプレート」と私に告げた。思わず顔から血の気が引く。私の後に四人グループの欧米人巡礼者が入ってきたが、彼らもまた満室と聞いて慌てていた。 私は英語で「他のアルベルゲを知りませんか?」とおばさんに質問する。おばさんは頷くと、受話器を手に取って電話帳らしきものをペラペラとめくり始めた。しばらくどこかと話した後、受話器を置いて私たちに言った。「リオハ大学なら空いているそうよ」……え?……だ、大学?! おばさんと欧米人グループの会話を聞くに、どうやらリオハ大学の宿舎をアルベルゲとして利用する事ができるようなのだ。宿泊費は12ユーロと公営アルベルゲに比べれば少し高目であるが、ホテルやユースホステルなど普通の宿泊施設などよりはずっと安い。 ただ、リオハ大学はログローニョ新市街のさらに東側に位置しており、旧市街からはかなりの距離がある。私と一緒にリオハ大学へと向かった欧米人グループの女の子は「今日はロス・アルコスから30キロメートル歩いたのに、まだこんなに歩かなきゃならないなんて」と愚痴っていた。その気持ち、痛いほどに良く分かる。 これには本当に驚かされた。大学の宿舎という事で、まぁ、アルベルゲやユースホステルなどと同じドミトリータイプなのかと思いきや、蓋を開けてみれば日本のビジネスホテルと大差ないシングルルームであった。これで12ユーロというのは、相当にお安い値段設定だ。まぁ、本来は学生用だし、利潤を追求する施設ではないのだろう。 疲労の蓄積を感じていたこのタイミングでシングルルームに泊まれるというのは、体調を整えるという意味でも非常にありがたいものである。アルベルゲが満室であってくれた事に、多大なる感謝の念を捧げたい。 さて、だいぶ時間が遅くなってしまったが、せっかく都会に来たのだから少しくらいは町歩きを楽しみたい所である。前述の通り、リオハ大学から旧市街まではかなりの距離があるので歩くのが大変だが、まぁ、今日はシングルルームで寝られるワケだし、少しくらい無茶をしてもなんとかなるだろう。私は疲れた体に鞭を打ち、旧市街へと向かった。 旧市街まで来たついでに、満室だった公営アルベルゲにも顔を出してみる。顔見知りがいないだろうかと入口から庭を見渡すと、そこにはプエンテ・ラ・レイナのアルベルゲで一緒になったハチマキさんご夫婦がいた。私は挨拶し、「何時くらいに到着したんですか?」と尋ねてみると、ハチマキさんは「午後2時くらいだね」との答えであった。あー、やっぱり、そのくらいの時間に宿に着くのが普通なんだなぁ。16時の到着ではあまりに遅すぎる、という事か。 ハチマキさん夫妻と話を終え、再び旧市街の探索に戻ろうとしたその際、アルベルゲの建物内にキムさんとシンさん姉妹の姿が見えた。お、彼らもまたここに辿り着いていたのか。挨拶しようかとも思ったが、宿泊者でもないのに建物内に立ち入るのはさすがにダメだろうと思ったので、私はそのままアルベルゲから外に出た。 旧市街の路上では、結婚式を終えた後の記念撮影なのだろう、上を見上げたアングルでカメラマンに写真を撮って貰っているカップルを目にした。先程のカテドラルといい、やけに結婚式を挙げるカップルが多いものである。……と思ったのと同時に、そういえばもう6月に入ったんだっけと気が付いた。あぁ、ジューン・ブライド、か。 季節の流れを実感しながら、ログローニョの古い町並みを眺めつつ歩く。旧市街の西端にある観光案内所でスタンプを貰った私は、そのままリオハ大学へと引き返した。途中のスーパーで食料を買い込み、宿で夕食である。 リオハ大学の宿舎にはキッチンが付属してなかったので、夕食は火を通さずに食べられるもののみだ。ワインはもちろん地元のリオハ・ワインである。バケットを主食に、カマンベールチーズや生サラミなどをもしゃもしゃ食べた。 ワインのつまみにと、何となく買った生サラミが大当たりであった。熟成した肉のうまみに加え、噛み締めると鰹節のような香ばしい風味が漂ってくる。スパイシーで食欲もどんどん湧き、サラミをカットするナイフの手が止まらないのだ。私はワイン・ボトルが空になった後も、宿舎に設置されてる自動販売機で缶ビールを追加し、夜遅くまで一人宴会としゃれ込んだ。最終的にはベロンベロンでベッドに寝転がり、そのまま就寝である。 Tweet |