巡礼48日目:アタプエルカ〜ブルゴス(21.5km)






 朝8時、ザックを背負いながらアルベルゲの玄関を出た私は、どんよりとした鉛色の空を見て溜息を一つついた。今日もまたあいにくな天気である。気温も低く、肌寒い。

 今日はブルゴスという町まで歩く予定である。ブルゴスはブルゴス県の県都であり、中世にはカステージャ王国の都でもあった。その旧市街の中心にそびえる「ブルゴス大聖堂」は、スペインで三番目の規模を誇る巨大なカテドラルで、ユネスコの世界遺産リストに記載されている。ぜひとも青空をバックにカテドラルの写真を撮りたいと思っていたのだが、どうもそれは叶わないようだ。しょんぼりである。


アタプエルカの村から遺跡の丘を登る


巡礼路沿いの斜面は羊の牧場であった


丘の頂上に立つ十字架の周囲には環状に石が並ぶ

 丘を登り詰めた平地には、木で作られた十字架とそれを取り囲む何重もの環状列石があった。ここで休憩を取った巡礼者が作ったものなのだろう。誰かが十字架を取り囲むように石を並べたのが始まりとなり、さらにその外側を囲うように石が次々と並べられ、このような不思議な景観が作り出されたのだ。まったくおもしろいものである。

 十字架を越えたその先の巡礼路は見晴らしの良い下り坂であった。丘を登ったそのままの勢いで降りて行こうと思いきや、突如パラパラと大粒の雨が降り出し私の足を止める。小雨程度であれば無視してそのまま歩くのだが、この雨足ではそういうワケにもいかないだろう。ザックからレインウェアを引っ張り出して着るものの、冷たい雨に手がかじかみジッパーをうまく上げる事ができない。なんなんだ今日は。厄日か? 厄日なのか?


雨に巡礼路が霞む


坂を下り切った辺りで雨は止んだが、雲はなお厚い

 アタプエルカの丘を下った地点で、巡礼路は二手に分岐していた。一つは巡礼路を直進し、オルバネハ・リオピコ(Orbaneja Riopico)という集落へ直行するルート。もう一つは左手の谷に降り、いくつかの集落を経由しながらオルバネハへ至るルートである。

 私はできるだけ正規の巡礼路を辿りたいと思っていたので直進コースを行くつもりだったのだが、谷に降りるルートを行く巡礼者の方が多いようで(経由する集落が多い分、こちらの方が利便性が高いのだ)、前を歩いていた巡礼者につられていつの間にか谷へと下りてしまっていた。まぁ、人が多い方が楽しいという考え方もあるので、別にいいか。


ペレグリーノ(巡礼者)を励ましくれるブエン・カミーノの文字


両コースの合流地点であるオルバネハ・リオピコに到着

 途中のカルデュエラ・リオピコ(Cardenuela Riopico)を過ぎ、さらに少し歩いた所であっさりとオルバネハ・リオピコに着いた。

 丘の上の教会を見学し、さて次の町に向かおうかと集落の出口に差し掛かったその際、日本人らしい老夫婦がバルで休憩を取っているのが見えた。一瞬、ハチマキさんかとも思ったが、良く考えればハチマキさんはとっくに先へ行っているはずである。すれ違う際にちらりと見てみたが、やはりその顔に見覚えは無かった。


オルバネハを出てからすぐに高速道路を越える


だだっ広いブルゴス空港の敷地に沿って歩いた

 オルバネハまではのんびりとした田舎の風情であったが、高速道路の高架を渡ってからは周囲の景色が一変した。道路沿いに小奇麗な家々が建ち並び、巡礼路は幅の広いアスファルトの道路である。パンプローナやログローニョに到着する直前と似たような雰囲気であり、都会が近付いている事を予感させる。

 ブルゴス空港を迂回し、鉄道の高架を渡ったその先には、ブルゴスの郊外住宅地といったたたずまいのビジャフリア(Villafria)という町があった。まだ11時半と昼食には少し早い時間であるものの、この先に進むと本格的な都会に入ってしまい休憩を取る場所が無くなりそうだったのでこの町で食事を取る事にした。


空港の側に位置するビジャフリア


教会の裏手には花で飾られた祭壇がしつらえられていた

 教会前の広場のベンチに座ってバゲットとバナナを食べていると、突然ガランガランと鐘の音が鳴り響いた。その鐘は普通の時報ではなく、何度も何度も回転させて盛大に鳴らす特別な時のものである。そういえば、今日は日曜日であった。おそらくはミサの開始を告げる為の鐘なのだろう。

 ビジャフリアを出て黄色い矢印に従って進んで行くと、道幅が極めて広い車道に出た。その両側には巨大な企業の敷地がひたすら続き、工業団地のような様相を呈している。やはりブルゴスもまた相当に大きな都市のようだ。


トラックが並ぶ国道をひたすら歩く

 ビジャフリアから国道沿いの歩道を一時間程歩くと、ようやく工業団地を抜けて普通の建物が並ぶ市街地へと入った。とは言っても新市街であり、目指すべき旧市街はまだまだ先であるが。私は景気を付けようと途中で見かけた小さな雑貨屋に立ち寄り、缶ビールを買って一息に煽る。

 ビールの缶越しに空を見ると、あれだけ分厚く立ち込めていた雲はやや薄くなり、わずかながら太陽の光が見え始めていた。おぉ、良い傾向だ。このまますっきり晴れてくれば最高なのであるが、まぁ、そううまくはいかないか。


新市街の中にも古いモノがちょくちょく残っていた


巡礼路は公園の中を行き、モダンな建物の下をくぐる

 14世紀に建てられたサンタ・マリア教会を横切り、旧市街へと進む。新市街はブルゴスの周囲に存在していた村を飲み込むように形成されたようで、そのかつての村にあった古い建物もちょくちょく残っており、歩いていてなかなか楽しい。日曜日だからだろうか、町を行き交う人々の数も多く活気が感じられる。

 新市街を30分程歩いて行くと、突如として趣きのあるサン・ファン広場に出た。サン・ファン修道院やサン・レルメス教会に取り囲まれてるように存在するこの広場は、ブルゴス旧市街への東口にあたる。サン・レルメス教会の扉が開いてたので入ってみると、ちょうど日曜ミサが執り行われている所であった。


これまた14世紀に建てられたサン・レルメス教会


大きな町なだけに、ミサの人出も凄い

 日曜ミサの見学も興味深い所であるが、宿泊する町に着いた際の第一優先事項としてまずはベッドを確保しなければならない。サン・ファン広場から橋を渡って門を潜り、旧市街に入る。大きな町なので公営アルベルゲを見つけるのが大変かなと思っていたが、ちゃんと路上に立つ標識にアルベルゲの方向が示されていた。


サン・ファン門を潜ってブルゴス旧市街に入る


白い出窓が印象的な町並みだ

 案内に従って歩いて行くと、アルベルゲの客引きに声を掛けられた。公営アルベルゲに泊まる気満々だった私は丁重にお断りしたが、どうやら私営アルベルゲもあるらしい。それにしても、アルベルゲが客引きをしているとは。これまでには無い事であった。

 標識の通りに裏通りを行くと、右手に立派な構えの建物が現れた。どうやらこれがブルゴスの公営アルベルゲのようである。ファサードこそ古風であるが、内部は近代的でキャパシティもかなりのものであった。これなら、よほどの事が無い限りベッドがいっぱいになる事はないだろう。……あぁ、なるほど、公営アルベルゲがこんなにしっかりしている町では、私営アルベルゲは客引きでもしないとやっていけないというワケである。


入口こそ古風だが内部は近代的なブルゴスの公営アルベルゲ

 受付で5ユーロを払ってベッドの番号札を受け取り、エレベータでベッドルームに向かう。荷物を下ろしてシャワーを浴び、洗濯物を手早く済ませた。早速ブルゴスの観光に出たい所ではあるものの、いかんせん天気が……と思いつつ空を見やると、な、な、な、なんと、青空が出ているではないか!

 一体全体なんなんだ、この幸運は。ここまで歩いてきた私に神が与えてくれたご褒美だとでも言うのだろうか。あれだけ空を覆っていた雲は流れ去り、その代わりに青空が天を覆いつつあるのだ。今朝の雨が信じられないくらいの好天である。私はカメラを手に取り、狂喜乱舞しながらアルベルゲを飛び出してブルゴス大聖堂に向かった。


ブルゴス大聖堂の西側ファサード


尖塔や彫刻によって飾られている


12使徒の彫刻な並ぶ北側の「使徒の門」


裏手の北側から見たブルゴス大聖堂

 ブルゴス大聖堂は1221年に建設が始められ、1260年に完成したゴシック様式のカテドラルである。フランス人によって建てられたもので、13世紀のフレンチ・ゴシックをスペインに伝播したカテドラルとして重要な存在だ。また15世紀にはドイツ人によって増築がなされ、ドイツの様式も取り入れられるなど、400年以上に渡り拡張が続けられてきた。

 ――という歴史を持つ通り、ぶっちゃけて言えばあまりスペインっぽくない教会建築である。外部内部共に装飾的で、実に洗練された壮麗壮大なカテドラルに仕上がっている。構造も複雑で見る角度によって印象が異なり、眺めても眺めても飽き足らない。

 ちなみに西側の入口は参拝者用のエリアであり、観光客は南側の入口から入らなければならない。チケットオフィスで巡礼手帳を見せ、巡礼者料金を支払いスタンプを貰う。入口では音声案内を渡されたものの、あまり時間が無かったのでほとんど使わなかった。


南側のサルメンタル門から中へ入る


ゴシック様式なだけあって天井が高く、非常に明るい印象だ


スペインらしく金ピカなルネサンス様式の祭壇


星形ヴォールトのドームが美しい

 身廊の中心には透かし彫りが施された星形ヴォールトのドームがあり、これが本当に美しく見入ってしまった。このドームの下にはレコンキスタで活躍したスペインの英雄、エル・シドとその妻ドニャ・ヒメナの墓が鎮座している。

 また北側の使徒の門へと続く「黄金の階段」は、16世紀の建築家ディエゴ・デ・シロエによって作られたもので、その後フランス人建築家のシャルル・ガルニエにインスピレーションを与え、パリ・オペラ座の階段のモチーフになったそうだ。


オペラ座の階段のモチーフになったという「黄金の階段」


内陣裏側の周歩廊にはこれまた精緻なレリーフが


続く宝物室や回廊も見応えがある

 私が回廊をぼーっと歩いていると、後方からガヤガヤと日本語が聞こえてきた。思わぬ日本語に驚きそちらを見てみると、ツアー客なのだろう、10人くらいの日本人がガイドに連れられて歩いていた。おぉ、巡礼者ではない日本人を見たのは久しぶりだ(たぶん、フランスのコンク以来だ)。それだけこのブルゴスがメジャーな観光地だという事なのだろう。まぁ、こんなに立派なカテドラルがあるくらいだ。当然といえば当然か。

 閉館時間ギリギリまでカテドラルにいた私は、近くのスーパーで夕食を購入しアルベルゲへと戻った。その際、カテドラル裏手のバルを横切ったのだが、客が皆一様に椅子に座り、真剣な面持ちでテレビを見ていて驚いた。画面を見ると、そこにはサッカーの映像が。なるほど、ロンドンオリンピックの試合を中継しているようだ。


バルでサッカーを観戦する人々

 やっぱりスペイン人はサッカーに夢中になるんだなぁ、と思いつつアルベルゲへの路地を歩いていると、突然頭上から「ウオオオオオオ!」という叫び声が飛んできて荷物を落としそうになった。スペインが得点したのだろうか、耳をつんざくような咆哮である。いやはや、スペイン人はサッカーに“夢中”どころではなかった。これは“熱狂”である。

 夕食を取った後は再びブルゴス大聖堂に戻り、今度は参拝客用の入口から中に入って19時半からのミサに参加した。いつもと同じ手順のミサではあったが、司教さんの話が異様に長くて少々眠たくなってしまった。話し手によって長さが変わるというのは、キリスト教のミサであっても、仏教の法事であっても、万国共通なのである。