巡礼47日目:サン・ファン・デ・オルテガ〜アタプエルカ(6.0km)






 サン・ファン・デ・オルテガのアルベルゲは、朝の時間帯に限って入口がオートロックとなっており、扉が内側からしか開かない仕組みであった。アルベルゲ内に食堂が無いので教会前の広場で朝食を取った私は、見事なまでに締め出しを食らってしまったのだ。幸いにも別の人が扉から出てきてくれたのでその隙に入れたのだが、少し焦った。

 ベッドに敷いていた寝袋を片付けていると、一人の中年男性がカメラを手に私のもとへやってきた。なんでも、カメラのフラッシュを使いたいのだけど設定の仕方が分からないのだと言う。私がちょちょいとフラッシュモードに設定してあげると、何だか物凄い勢いで感謝してくれた。たったこれだけの事でそこまで喜んでもらえるとは、こっちまで嬉しくなってしまう。


今日も天気はあまり良くなく、肌寒い

 私がアルベルゲを出たのは7時であったが、出発するにはまだ少し早い時間なので広場で時間を潰そうと考えた。しかしそこはあまりに寒くてじっとしている事ができず、結局すぐに歩き始める事となった。ガイドブックを見てみると、サン・ファンの標高は1040m。ピレネーのロンセスバージェスよりも高いのである。そりゃ寒いワケだ。


サン・ファンから再び森の中を行く

 森の途中では、木々に囲まれた目立たない位置にテントが張られているのを目にした。巡礼宿はかなり安めの値段設定であるが、それすらも節約したいという人はテントを担いで歩くようだ。このようなテント泊の巡礼者は、フランスの「ル・ピュイの道」では一切見なかったものの、スペインの「フランス人の道」では時折見かけた。


テントを見ると四国遍路を歩いていた頃の自分を思い出す


ガサガサと音がしたので木の上を見ると、リスがいた

 薄暗い森の道をしばらく歩いて行くと、ふと視界が開けて牧場に出た。巡礼路を牛の軍団がのっしのっしと歩いている。牛の体は意外と大きく、接近するとちょっとだけ怖さを感じるものだ。おっかなびっくり群れの中を通り過ぎる。


牛の群れが巡礼路を塞ぐ


子牛が乳を飲んでいた

 牛軍団をなんとかやりすごして坂道を下って行くと、その先にアヘス(Ages)の村が見えた。そこそこ規模の大きな村のようで、アルベルゲはもちろん雑貨屋も存在する。サン・ファンに泊まらなかった人は、おそらくこの村に宿を取るのだろう。確かに利便性で言えばこちらの方が上かもしれないが、しかし私としては利便性よりも歴史の重みを重視したいので、サン・ファンに泊まった事は後悔していない。


丘の下に広がるアヘスの村


ちょうど、トイレットペーパーのカップルが出発する所だった

 私が村に到着したまさにその時、村の入口近くにあったアルベルゲから一組の男女が姿を現し、そのまま巡礼路を進んで行った。あのトイレットペーパーのカップルである。ほぉ、彼らはこの村に泊まっていたのか。きっとウラジミールさんも一緒だった事だろう。

 私は雑貨屋でパンを購入し、それから教会を見学するなどしばらくこの村で時間を潰していた。実を言うと、今日はこの次の村であるアタプエルカ(Atapueruca)で少々寄り道をしようと考えているのだ。その都合上、あまり早い時間にアタプエルカに到着するのはよろしくないのである。私は意図的に時間を掛けながらのろのろ進む。


途中にあった古橋を眺めたりもした


程無くしてアタプエルカに到着

 このアタプエルカは、一見しただけでは巡礼路上の他の村と変わらない、ごくごく普通の村である。しかしながら村の南西に広がる丘には初期人類の骨が出土した遺跡が広がっており、「アタプエルカの考古遺跡」としてユネスコの世界遺産リストに記載されている。その手の分野を専門にされている方には有名な場所なのだ。本日の寄り道というのは、この遺跡を見学しに行こうというものである。

 村の入口には案内看板が出ており、その矢印が示す先に巨大な現代建築がポツンと鎮座ましましていた。のんびりとした牧草地が広がるアタプエルカの風景とは若干不釣り合いな気もするが、この建物こそがアタプエルカ遺跡のビジターセンターである。


村の規模からは想像できない、無駄に立派な建物である

 とりあえず建物の中に入ろうと入口に寄ってみるが、自動ドアは全く反応してくれない。どうやらまだオープンしていないようだ。館内にひとけも無い。ふとドア横の掲示を見ると、開館時間は9時となっていた。時間は8時45分、あと15分程で開くのだろう。

 ……しかし、9時を回ってもドアは開かないままだ。ありゃりゃ、まさか今日は休館日……って事は無いよな。でも土曜日だし、休みでもありえなくは無いか。……いやいや、この手の施設が土日に休館するなんて事はないだろう。でもここはスペインだし……と自問自答するものの、いっこうにラチが開かない。ドアも開かない。

 しょうがないのでビジターセンターの周囲をうろうろしてみるが、やはり他に入口のようなものも無く、手詰まりとなってしまった。えー、マジかよ、休館日なのか。しょうがないので踵を返して巡礼路に戻ろうとした所、一台の車がビジターセンターに向けて走って行くのが見えた。もしやと思って引き返してみると……おぉ、館内には電気が灯され、入口のドアも開いていた。どうやら、オープンは9時半だったらしい。


受付でアタプエルカ遺跡の見学ツアーを申し込む


左下の丘陵一帯が遺跡である(赤い線は巡礼路だ)

 受付のお姉さんにアタプエルカ遺跡について尋ねると、ガイドツアーが出ていると教えてくれた。出発は11時なので少し時間が空いてしまうが、まぁ、致し方ない。料金の5ユーロを支払いチケットを受け取る。ザックが邪魔だったのでお姉さんに「荷物を置かせて頂けませんか?」と聞いたところ、ここでもまた快く預かって頂く事ができた。

 館内をうろうろしながら出発までの時間を潰していると、ふと声を掛けられた。振り返ると、そこには長身の男性が立っていた。物腰穏やかな風貌に色の薄いブロンドの髪。……あぁ! 私は思わず声を上げた。「フランス人の道」序盤で度々顔を合わせていた、あのノルウェー人男性である。私たちは「久しぶり!」と握手を交わした。

 エステージャでメディテーション・スポットに行くからと別れた切りであったが、まさかここで再会できるとは。まぁ、ログローニョを出てから、私の行軍ペースはだいぶ下がっていし、ナヘラでは巡礼を一日休んでサン・ミジャンに寄った事で、いつの間にか互いの距離差が無くなっていたらしい。ノルウェー人男性もまたアタプエルカの遺跡について興味があったようだが(だからこそ、このビジターセンターに寄ったのだろうし)、残念ながらツアーには参加せず先を急ぐとの事であった。お互いの無事を祈願して別れる。


ビジターセンターから遺跡へはバスで移動だ

 ビジターセンターの前で待っていると、11時ちょうどに大きなバスがやってきた。これに乗って遺跡まで行くのである。土曜日である為かツアーの参加者は非常に多く、バスは満席の状態で出発した。

 遺跡のある丘陵地帯を回り込むようにバスは南へと進み、10分程走ったところで遺跡の入口に到着した。落石のおそれがあるのか、まず最初にヘルメットを被り、それからガイドさんに引率されての出発である。


みんなでヘルメットを被る


遺跡内には巨大なトレンチが切られ、見学コースとなっている

 この丘陵一帯は石灰質のカルスト地形であり、あちらこちらに洞窟が開いている。その為、先史時代における人類の格好の住居となったようだ。

 この遺跡からは、ホモ・エレクトスやネアンデルタール人の祖先にあたるホモ・ハイデルベルゲンシスなど初期人類の骨が数多く発見されており、その中でもホモ・アンテセソールの化石は少なくとも78万年前のものとされ、ヨーロッパで発見されている最古の人類と考えられている。発掘調査は現在もなお続けられており、最近では2008年に120万年前の人骨を発見したとの発表があったそうだ。


……というような事を説明しているのだろうが、スペイン語なので分からない


頭蓋骨の模型を使って初期人類の比較をしてくれたりもした

 ガイドさんが喋るのは当然ながらスペイン語である。残念ながら私にはさっぱり分からなかったが、そんな私の様子を察してくれたのか、その後の移動中に先程の内容を英語で解説してくれた。なんともありがたい心遣いである。


現在はトレンチによって露出しているが、本来は閉じられた洞窟だった


天然の落とし穴に動物を誘って落とし、捕えていたという

 ガイドさんの説明と案内板の図解によって当時の様子を理解していくにつれ、何十万年前という途方もない昔の風景がなんとなく頭の中に描かれてくる。体の強さでは他の動物に劣るものの、優れた手先の器用さと頭脳で繁栄した人類。その初期段階の痕跡に触れる事ができて大満足である。いやぁ、考古はロマンですなぁ。

 ツアーを終え、アタプエルカに帰ってきたのは13時だ。ビジターセンターでザックを受け取り、アタプエルカの村へと進む。道路沿いにあるバルでは、一昨日の昼に会ったドレッドヘアーの男性が昼食を取っていた。

 まだこの村にいるとは、やはりかなりのスローペースであるようだ。私は挨拶を交わし、今日はどこまで行くのかと尋ねたものの、ドレッドさんは「分からないよ、この次の村か、その次の村か」とぼんやりとした返事である。風に吹かれるまま、マイペースな巡礼を続けているようだ。なかなかカッコ良い生き様である。


アタプエルカの教会から村を眺める

 広場で昼食を取ってのんびりしていると、いつの間にか時間は14時を回っていた。今日はもう、なんとなく進む気になれない。私はこの村のアルベルゲに入る事にした。サン・ファンからたった6kmしか歩いていないが、まぁ、ご愛嬌だろう。

 村の中心部にあった私営アルベルゲは8ユーロとやや割高だが、オスピタレオのお姉さんが気さくで建物もかわいらしい。庭には犬もおり、おまけにWi-Fiも使えるという贅沢仕様だ。個人的に大当たりなアルベルゲであった。

 早い時間に宿に入っただけに、夕食までの時間はたっぷりある。しかしこの村自体には見所が少なく、広場でボールを蹴って遊ぶ子どもたちや、教会が建つ丘に集う人々を眺めるくらいである。暇を持て余した私は私はバルに入り、「セルベッサ・グランデ・プロファボール(大ビール下さい)」と告げてビールを頂く。ツマミのピンチョスとして白身魚のフライと生サラミを追加した。ついでに巡礼手帳にスタンプを押して貰い、全く持ってゴキゲンな午後である。


村唯一のお店は夕方になって開いた

 手持ちの食料が尽きかけていたので、村唯一のお店でスパゲティとバナナ、それとワインを購入した。出てきたスパゲティは普通のものではなく、幅の広いきし麺タイプだ。これがもっちりとおいしく、美味であった。これからはこのタイプを買うようにしよう。


スパゲティは幅の広いタイプがおいしい

 またこのアルベルゲには、ベロラドのアルベルゲで一緒になった韓国人の女の子がいた。その時はビジャフランカで友達が待っているのだと言っていたが、どうやら無事合流できたらしく、今日はその友達も一緒である。

 女の子は相変わらず愛想良く私に挨拶してくれたのだが、友達の方は私に対してよそよそしい反応であった。宿内ですれ違う時も目を合わせず、私を避けているフシがある。あぁ、なんか覚えがあるぞ、この感じ。そうだ、ロス・アルコスのアルベルゲで一緒になった、短髪の韓国人男性と似た反応なのである。

 どうも、韓国人は日本人に対しての反応が両極端だ。友好的な人はとことん友好的に接してくれ、ちょっとした日本語を話せたりもするが、そうでない人は頑として日本人を寄せ付けない傾向にあるようだ。様々な問題が横たわっている日韓関係であるが、せめて個人間においては問答無用で拒絶し合うのではなく、お互いコミュニケーションの扉を開いておきたいものである。その方が楽しく過ごせるだろうし。