巡礼51日目:サン・アントン〜ボアディージャ・デル・カミーノ(19.0km)






 8時少し前、私はサン・アントンを出発した。オスピタリエの神父さんがアルベルゲ前をホウキで掃いていたので、挨拶とお礼を言って門を出る。空には雲が少しかかっているが、まぁ、太陽が出ているいるのでそう悪くはならないだろう。


サン・アントンのアーチをくぐって巡礼路を進む


麦畑の向こうに見える丘が次の町カストロヘリスである

 サン・アントンから車道の道を進んで行くと、正面に小高い丘が見えた。頂上には城の遺跡が残っており、その麓にへばりつくようにカストロヘリスの町が形成されている。周囲を取り囲む麦畑が風によってなびき、まるで黄緑色の海に浮かぶ島のようだ。


出発から30分たらずでカストロヘリスに到着

 この時間帯、カストロヘリスの丘へと至るアスファルトの道は、相当な数の巡礼者で賑わっていた。おそらくはオンタナスのアルベルゲに泊まった人たちなのであろう。時間を逆算すると、だいたい6時くらいに出発した人々という事になるが、やはりそのくらいが宿を出るピークの時間なのだろうか。


カストロヘリスはそこそこ規模の大きな町であった


このような花飾りが、なんとも心を和ませてくれる

 カストロヘリスの中心、公営アルベルゲ前の広場までやってきた私は、ベンチに座って朝食を貪り食った。私の後にサン・アントンを出発したアントニオさんも程無くして私に追い付き、彼もまたベンチに座ってパンをかじる。しんと静まり返った朝の広場、そこには別々のベンチに座って無言でパンをかじる、二人の巡礼者の姿があった。

 食後に地図を確認すると、今日もまた昨日と同様、道中に村の無い麦畑の中の道をひたすら歩く事になるようだ。しかし私の食料袋の中身は既に尽きかけており、このまま出発するにはちょっとばかり危険である。朝なので商店が開いているか心配であったが、幸いにも一軒の雑貨屋が営業を始めていたので、そこでバゲットとバナナを購入した。


カストロヘリスを出てからは、モストラレス山(Alto de Mostelares)を登る


見た目通り凶悪な勾配の上り坂であった

 朝からの上り坂というのはなかなか堪えるものである。私は顎から汗を滴ららせ、荒い息を吐きながら這いずるように坂道を登った。今日もまた気温が低め、過ごし易い気候だったのでまだマシであるが、これがもし太陽光のキツい日であったとしたら……いや、そんな事、考えたくもない。願わくば、ずっとこの涼しい気候が続いてくれますように。

 上り坂の終わりには、やや大きな東屋といった感じの休憩所が用意されていた。しかしその中のベンチは満員で座れない。周囲を見渡すと、石垣の上に座って休むアントニオさんの姿があった。私もまた倒れ込むようにその石垣へ腰を下ろす。私とアントニオさんは、谷下に広がるパノラマの景色を眺めながら、少しの間お互いについての話をした。アントニオさんはパソコンを教える仕事をしているとの事であるが、たまに仕事が無性に嫌になる時があるらしく、そのような愚痴をこぼす所に共感が持てた。


上りの後はこれまた眺めの良い下りである

 昨日の道も眺めがすこぶる良かったが、今日もまた同じくらいに素晴らしい景観を見る事ができた。一条に走る白い巡礼路が、まるで天国にまで続いているんじゃないだろうかと思うくらい、どこまでもどこまでも続いている。いや実際、今日はどこまで歩けば良いのか分からないくらい平坦かつ広大だ。私は水平線に目を凝らして次の村を探しつつ、思う存分メテサのスケール感を噛みしめた。


木陰の休憩所で足を止める巡礼者が多い

 モストラレス山から一時間程歩くと、数台のピクニックテーブルが置かれた木陰の休憩所に辿り着いた。ちょっとした売店もあり、飲み物を買う事もできるようだ。ここで休憩を取る人が多いようだが、私はなんとなく気が乗らずスルーした。


しばしの間、アントニオさんと一緒に歩く


フィテロ橋(Puente Fitero)が見えた

 休憩所を過ぎてから巡礼路は舗装道路に合流し、さらに30分程進んだ所でピスエルガ川(Rio Pisuerga)に架かるフィテロ橋(Puente Fitero)差し掛かった。この橋はレオン州ブルゴス県とパレンシア県の県境である。

 フィテロ橋の袂にはサン・ニコラスという礼拝堂が建っているのだが、ここにはボランティアの方々が詰めており、道行く巡礼者にお茶を振舞っていた。おぉ、先程の休憩所で休まなかったのは正解だった。私は礼拝堂前のベンチにザックを下ろすと、ボランティアのお兄さんに導かれるまま礼拝堂の中へと足を踏み入れた。


小さな礼拝堂だが、丁寧に管理されている

 私は礼拝堂を管理する若い神父さんからコーヒーとビスケットを頂き、巡礼手帳にスタンプを押して貰った。この神父さんはなんとイタリア人なのだそうで、礼拝堂の入口には緑白赤のイタリア国旗が掲げられていた。それを眺めるアントニオさんは、どこか誇らしげな表情である。神父さんと楽しそうにイタリア語で会話していた。

 なお、昨日が泊まったサン・アントン同様、この礼拝堂もまたアルベルゲとして宿泊が可能らしい。どうやら礼拝堂の屋根裏がベッドルームになっているようである。なかなか雰囲気が良かったので条件が合うなら泊まりたかったのだが、残念ながら宿に入るにはまだ少々早い時間であったので、おとなしく先へ進む事にする。

 ――と、出発しようとしたその時、一人の女性に「こんにちは」と日本語で挨拶された。その女性はやや彫りの深い顔立ちで、なおかつツバ広の帽子とサングラスをかけていたので最初は日本人だと分からなかったのだが、良く良く見ると、確かに日本人である。年は40ぐらいだろうか。話を聞くと旦那さんと二人で来ているとの事であったが、別々に歩いているのか旦那さんの姿は見当たらなかった。神父さんと写真を撮りたいと言っていたのでシャッターを押してあげた所、「ありがとう」とお礼を言ってそのままフィテロ橋を渡って行った。う〜ん、なかなか不思議な人である。


私もまたフィテロ橋を渡り、パレンシア県に入る

 このフィテロ橋は、12世紀初頭にカスティージャ王アルフォンソ6世の命によって架けられた橋を起源とするらしい。現在の物はその後の再建で、中心を境にパレンシア県側の半分が16世紀、ブルゴス県側の半分が18世紀のものだそうだ。

 フィテロ橋を渡ってからピスエルガ川に沿って北へ少し行くと、イテロ・デ・ラ・ベガ(Itero de la Vega)という村に到着した。特に変哲の無い小さな村である。正午少し前という事もあってか、村入口のバルには巡礼者たちが集い昼食を取っていた。

 私はその様子を横目に村の中心へと向かう。小さな雑貨屋があったので、私はそこでビールとオレンジ、それとチョコレートを購入し、広場のベンチに座ってバケットと一緒に食べた。食後にさらにもう一本ビールを追加購入し、ほろ酔い気分に浸る。


これと言った特徴の無いイテロ・デ・ラ・ベガの町並みである


衣料品の移動販売トラックが来ていた

 それでは出発しようかとザックを担ぐと、一台のトラックがゆるゆると走ってきて広場の先に停車した。運転手のおじさんがトラックの後部を開け放ち、品物を取り出して陳列する。なるほど、どうやら移動販売車のようだ。近くに大きなスーパーが無いこの地域では、遠出できない人の為にこのような出張販売が各村を回っているのだろう。他の地域では見なかったサービスなだけに、この付近の人口密度の低さがうかがい知れる。


カッコ良いトラクターが走る横を歩いて行く


最近作られたのだろう、真新しい水路を横切った

 イテロの村を出てからも、巡礼路の風景はどこまでも続く麦畑であった。地図を見ると、次の村であるボアディージャ・デル・カミーノ(Boadilla del Camino)までの距離は約11km。ラルゴの丘(Otero Largo)を越えるようだが、ほとんど高さの無い丘らしく勾配は極めて緩やかでほぼ平坦な道である。

 私が歩いているその前方には、一人の巡礼者の姿があった。ツバ広の帽子を被っているので、サン・ニコラス礼拝堂でお会いした日本人女性だと思うのだが、歩くペースが私と全く同じなようで、歩けど歩けど近付かないし離れもしない。その為、この付近で撮った巡礼路の写真には、もれなくこの女性の姿が写り込んでいた。


左手前のお二人はカナダ人、右奥に小さく見える人が件の女性だ

 結局その女性には追い付く事が無いまま、14時ちょうどにボアディージャ・デル・カミーノへ到着した。村の入口では羊飼いのおじいさんが羊たちを引き連れ歩いており、もくもくと砂煙を立てつつ私の前を横切って行った。

 これは面白いとカメラを構えたものの、なんとバッテリーが切れているではないか。昨日泊まったサン・アントンにはコンセントが無かったし、一昨日泊まったラベのアルベルゲはコンセントの使用が有料だったので充電を諦めた。ブルゴス以来、丸三日充電していなかったのである。そりゃバッテリーも切れるだろう。

 今日はこの先のフロミスタ(Fromista)という町まで歩こうと思っていたのだが、やむを得ない。景色が美しいメセタをカメラ無しで歩くのはあまりにもったい事であるので、今日はもうこの村までとし、宿を取る事にした。


カメラの電池が切れたので、これはiPhoneの写真である

 この村のアルベルゲは、村唯一のバルに併設されていた。ベッドを確保し、シャワーを浴びてから物干しに洗濯物を掛けていると、突然村の外れでボン、ボンと重厚な音の花火が上がった。隣のバルには正装の老若男女が集まりつつあり、わいわいがやがやと賑やかである。なんだろう、祝い事でもあったのだろうか。

 その花火については良く分からないままであるが、とりあえず一息付いた私は村を散策してみる事にした。……とはいえ、ボアディージャは小さな村である。あっという間に一回りし、村の中心にそびえるサンタ・マリア教会の広場に戻って来た。


ボアディージャのシンボルである小塔と教会

 この教会前の広場には、彫刻豊かなゴシック様式の小塔が立っている。これはボアディージャの自治が認められた15世紀に、その自由の象徴として設置されたものだそうだ。


教会の隣では発掘調査が行われていた

 また、サンタ・マリア教会が建てられたのは16世紀、ロマネスク様式で建てられていた古い教会の上に再建されたらしい。教会のすぐ横では発掘調査が行われており、地中から教会の地下へと伸びるトンネルのような構造物が露出していた。今の教会が建てられる前の遺構なのだろうか、なかなか興味深い現場を見る事ができた。

 再びぶらぶらとアルベルゲに戻ると、サン・アントンのアルベルゲで一緒になったドレッドさんと赤パーカーフランス人男性の二人がやってきた。どうやら一緒に歩いていたらしい。ドレッドさんに「このアルベルゲはどう?」と聞かれたので「まぁまぁ」と答える(実際このアルベルゲはやや狭く、設備も微妙であった)。彼らは少し考えた後、次のフロミスタに行くと言って巡礼路を進んで行った。まぁ、それが正解だと思う。


バルでビールを飲みスパニッシュ・オムレツを食べる

 17時になってもオスピタリエが現れなかったので他の巡礼者に尋ねてみると、ここは隣のバルで宿泊料を支払うシステムであった。私はバルのお姉さんに宿泊費4ユーロを支払い、ついでにビールとスパニッシュオムレツを注文して外のテーブルで食べる。西日が強かったので、パラソルが備わっていた日陰の席を確保した。

 あっという間に飲み終えてしまったので、バルのカウンターにジョッキと皿を戻し、さらにもう一杯のビールと魚のフライを追加注文して再びテーブルに戻った所、なんとその席は地元の男性によって占拠されていた。この席使ってますよ、という意思表示の為に置いていたメモ帳は、ご丁寧に別のテーブルへと移動されている。彼らは私が戻ってきても意に介さず、大声でおしゃべりを続けていた。さらにはカースピーカーから大音量の音楽を流した車がバルの前に停車し、どうもイマイチ、この村ではくつろぐことができなかった。