ボアディージャには私が泊まった公営アルベルゲに加えてもう一つ、村の外れに私営アルベルゲが存在した。ちょっとしたレストランやプールなんぞを持つ、リッチな感じの宿である(でも、宿泊費は5ユーロと公営と大して変わらないようだ)。村の規模に比べて収容人数が異様に多く、朝の7時半に出発した私はその私営アルベルゲに宿泊していた大勢の人々と共に歩く事となった。人が多いと自分のペースが乱されがちである。私は少々イライラしながら畑の中の並木道を進んで行った。 しばらくすると巡礼路は北から流れてきた運河と合流し、その流れに沿って歩く形となった。紺色の水が滔々と流れる運河の風景は、これまで麦畑が延々と続いていたメセタの景観に程良いアクセントを与えてくれる。天気も快晴で気持ちが良く、水路を眺めながら歩いているうちに、棘立った精神が徐々にほぐれていくのを感じた。 このカステージャ運河は、ここカスティージャ地方と北方の港町であるサンタンデールを結ぶ為に、18世紀の半ばから19世紀にかけて作られたものだそうだ。1860年に鉄道が敷かれた事で工事は中止となり、未完成に終わったものの、その水は農業の灌漑用水や製粉の動力源などとして利用されてきたらしい。 運河はフロミスタという町の手前で進路を南に変え、巡礼路はちょうどその位置にある水門の上を通ってフロミスタの市街地へと続いている。この水門がまた独特な風情を醸しており、なかなかに興味深い。朝だったので太陽の位置が低く、陰の部分が多くて写真がうまく撮れなかったのが残念だ。 この水門を渡って運河を越え、さらに鉄道の高架橋を潜るとフロミスタの町に入る。フロミスタはこの付近の経由地としてはかなり大きな方であり、町には全部で三つの教会が鎮座していた。 まず町の中心、一番目立つ位置に堂々とそびえているのがサン・ペドロ教会だ。15世紀に建てられたゴシック様式の教会で、その後の1560年に付け加えられた入口部分のファサードはルネサンス様式となっている。 これはこれで十分すぎる程に立派な教会であるが、実はこの町にはそれ以上に注目すべき歴史的建造物が存在する。サン・ペドロ教会の南側、巡礼路沿いの広場に建つサン・マルティン教会である。 サン・マルティン教会は、ナバーラ王妃の命によって1066年に建てられたロマネスク様式の建築だ。その後の15世紀に鐘楼と聖具室などが追加されたものの、その増築によって建物全体の劣化が進み、1896年から1904年にかけて修復工事が行われた。その際に増築部分が取り除かれ、オリジナルの形に戻されたという。 今では「最も完全な形で残るロマネスク建築」、「ロマネスク建築のひな形」、「ヨーロッパを代表するロマネスク建築」などと称され、世界的に貴重なロマネスク建築の一つとして知られている。昨日私がこの町まで歩きたいと思っていたのも、この教会をじっくり見学したかったからに他ならない。 私がフロミスタに到着したのは8時半頃であった。ここは是が非でもサン・マルティン教会の内部を拝観したい所であるが、時間が早すぎる為かその扉は固く閉ざされていた。教会が開くまで待つべきか、それとも先を急ぐべきか。どうしたもんかとぶらぶら歩いていると、広場のバルに今やすっかりおなじみとなった特徴的な髪形の男性、ドレッドさんがいた。私はドレッドさんに片手を上げて挨拶をする。 そういえば、ドレッドさんは昨日この町に泊まっていたはずである。既に出発していなければおかしい時間であるが、まだこの町にいるのは何故だろう。その旨を尋ねてみると、ドレッドさんは「サン・マルティン教会の中が見たいから、開くのを待っているんだよ」と言った。その言葉を聞き、私もまた開くのを待とうと思った。 巡礼をやっていると、どうしても先を急ぎがちである。そのような中、“待つ”という行為は忘れられ、気になる施設があったとしても閉まっていたら「開いていないならしょうがない」とスルーして次の町に向かう事が多い。しかし、それは非常にもったいない事である。このドレッドさんの言葉を受け、待つべき場所ではしっかり待つ、そんな当たり前な事を改めて気付かされた。 パン屋や雑貨屋で買い物をしたり、広場のベンチに腰掛けてビールを飲んだりしているうちに、いつの間にかサン・マーティン教会の扉が開いていた。私は早速その扉を潜り、拝観料の1ユーロを払って中へと進む。 内部を一通り見学し終え、私は打ち震えながら待って正解だったと歓喜した。アーチのビームや柱が連なる堂内は、シンプルだが洗練された美しさがあり、また柱頭彫刻が技巧の高さをさりげなく伝えている。身廊と翼廊の交差部は高さのあるドーム天井で、眺めていると吸い込まれそうな気分になった。立体的でリズム感のある外観と相まって、私の好みどストライクな教会である。いやぁ、良いモノを見せて頂いた。 一昨日から歩いているメセタの巡礼路は、周囲に主だった車道が通っておらず、極めてプリミティブな風景が楽しめる景勝区間であった。しかしフロミスタから先は車道沿いの道となり、人工物が多く少しだけ残念に思う。 とは言うものの、人工物が多い地域というのは当然ながら人が多い地域であり、集落の数も多い。スペインは一つの集落に必ず一つの教会が存在するので、それらを見比べながら歩くというのも楽しいものだ。気になる建造物、構造物も多く、それはそれで興味をそそられる区間である。特に面白いと思ったのは、巡礼路に林立するおびただしい数のモホン(道標)であった。 通常、モホンは山道や畑の道の分岐点など、行くべき方向が分かり辛い場所にひっそりたたずんでいるものである。このような一直線の道に、しかも複数が整列して立っているような事はまず無い。車止めなのか、なんなのか、これら立ち並ぶモホンの意味は計りかねるが、まぁ、何はともあれ非常に印象的な景観であった。 ベンチに座ってバゲットを食べていると、ライフル銃を携えたおじさんが犬と共に歩いてきてびっくりした。この辺りで猟でもやっているのだろうか。散弾銃ではなくライフル銃だったので、鳥や小動物ではなく鹿とかイノシシなどの大型獣を撃つのだと思うが、しかしこのだだっ広い平地が続くメセタに山や森林は無いだろう。果たしてその獲物は何なのか、気になったが私はスペイン語が分からないので聞く事はできなかった。 言葉が分からず現地の人々とコミュニケーションを取る事ができないのは、非常にもどかしい事である。買い物とか、道の方向を聞くぐらいの事ならなんとかなるものの、ちょっとでも混み合った話になるともうお手上げだ。疑問に思った事を聞けるぐらいの語学力とコミュニケーション能力が私にあれば。海外に出る度に思う事である。 昼食を終え、ビジャルメンテロからさらに車道沿いの巡礼路を歩いて行くと、その右手に巨大な建造物が見えてきた。次の村、ビジャルカサール・デ・シルガ(Villalcazar de Sirga)のサンタ・マリア・ラ・ブランカ教会である。 この教会は巡礼者の護衛と救護を担っていたテンプル騎士団によって建てられたもので、12世紀の後半に建設が開始され、14世紀に完成したという。大きな薔薇窓と入口のポーチが印象的なゴシック様式の建築だ。騎士団が手掛けたという事もあり、要塞としての役目も持っていたようで、その外観は非常に重厚かつ武骨である。 私がこの村に着いたのは13時過ぎ。教会は13時30分からシエスタの時間に入ってしまうらしく、入口で彫刻の写真を撮っていたら係員のおじさんが中から出てきて、入るなら早くしてくれと促された。私は拝観料の1ユーロを払って堂内へと進む。 ロマネスク様式からゴシック様式への過渡期に建てられた建築である為か、あるいは要塞としての防衛力を高める為か、ゴシック様式の教会にしては窓が少なく内部はかなり暗い。祭壇のライトアップは別途1ユーロのコイン式であったが、別の参拝者が入れてくれたお陰で私もその恩恵に与る事ができた。 ここの主祭壇は中心のマリア像や十字架こそ彫刻であるものの、その周囲を飾る部分は彫像ではなく絵画である。キリストの軌跡が豊かな描写で描かれていた。一口に祭壇と言っても、実に様々な様式があるものである。 シエスタの時間に追われるように拝観を終えた私は、広場の前にあったパン屋で500ミリリットルの缶ビールを購入し、ベンチに座って飲んだ。広場の横にはアルベルゲが建っており、今日はここまでにしても良いかなと思ったが、なんとなく次のカリオン・デ・ロス・コンデス(Carrion de los Condes)まで歩く事にした。 空は良く晴れていたが、帽子が飛ばされる程に風が強く難儀であった。ビールの酔いが回ってきた事もあり、道を行く私の足はヘロヘロである。大きく手を振りながらえっちらほっちら丘を登って行くと、その頂上からカリオンの町並みが見えた。 カリオンは思いのほか規模の大きな町であった。その入口にサンタ・クララ修道院があり、そこがアルベルゲをやっていたのでベッドを確保した。 水仕事を済ませた後はいつもの通り散策である。カリオンは丘の斜面に町並みが展開しており、中心部へは坂道を上って行く。その途中にはサンタ・マリア・デル・カミーノ教会やサンティアゴ教会を始め、興味深い歴史的建造物が並んでいた。 さらに丘を登り詰めた所にもいくつかの教会や礼拝堂が鎮座しており、カリオンという町の見所の多さに思わず唸る。これらだけでも十分に満足の行く散策であったが、地図を見るともう一つ、町の出口にサン・ソリオという名の修道院があるようなので、そちらにも行ってみる事にした。 丘を下り、川に架かる橋を渡ると、高い塀によって囲まれたサン・ソリオ修道院が見えた。地図ではその規模が分からなかったが、実際見てみるとかなり巨大な修道院である。建物の一部はホテルとして使われているようだが、それも納得の大きさだ。 サン・ソリオ修道院は10世紀頃の創建と考えられており、少なくとも1047年にはその存在が確認されている。事実、その建物は11世紀から12世紀のものが現存しており、その後の時代に度々改築が重ねられた。巡礼路に面して構えられているメイン・ファサードは、17世紀のバロック様式である。 サン・ソリオ修道院の見学を終え、公衆Wi-Fiが飛んでいる広場でネットをしていると、サン・アントンのアルベルゲで一緒になった赤パーカーのフランス人男性に声を掛けられた。彼もまたサンタ・クララの修道院に泊まっているらしい。 スーパーで買い物をしてからアルベルゲに戻る途中、先程は閉まっていたサンタ・マリア・デル・カミーノ教会の扉が開いており、中へ入れるようになっていた。どうやらミサの準備を行っている最中のようだ。せっかくなので内部を見学させていただいた。 内陣や身廊の天井、南側のバットレス部分などは17世紀の増補のようだが、入口の彫刻や内部の雰囲気は中世ロマネスクの雰囲気を良く残していると思う。特に側廊に素朴な温かさを感じる教会であった。 夕食はアルベルゲのキッチンで食べたのだが、コンロが無く電子レンジが置かれているのみだったのでレトルトのツナ入りマッシュポテトみたいなものを食べた。生サラミと生ハムをつまみに飲んだワインは、荒々しくも複雑な風味のワインでおいしかった。最後にデザートの桃缶を食べ、満腹である。 夕食後は先程の教会へと戻りミサに出席した。最初はいつも通りの形式に則った普通のミサであったが、最後にアコースティックギターを手にしたシスターさんが登場し、なんと演奏が始まった。教会内に反響するギターの調べとシスターさんの歌声は琴線に触れるものがあり、なかなかにグッときた。 ミサの終了後にはシスターさんの手作りと思われる六芒星の護符が配られ、また若い司教さんが英語で巡礼者たちと宗教的な問答を行っていた。教会のミサというと固いイメージがあったのだが、ここでは様々な試みが行われているようだ。伝統を大事にしながらも新しい要素を取り入れているこの教会の姿勢に、なんとも好感が持てた。 Tweet |