朝目を覚ますと、見事なまでに左足首が腫れ上がっていた。足首を少しでも動かすと途端に激痛が走り、ベッドから出る事すら困難な状況である。……やってしまった、これはおそらく捻挫だろう。私は過去に足首を捻挫した経験があった。その時も今回と同様、階段で足を踏み外し、足首を捻った状況で着地したのが原因だ。しばらく時間が経ってから腫れが酷くなったという点も今回と類似している。 まさかこのタイミングで足を捻挫してしまうとは。「フランス人の道」最後の難所と言われるセブレイロ峠を前にして、マヌケにも程がある大失態である。ふと私の頭の中に、「リタイア」という四文字がよぎった。くしくもここはビジャフランカ。サンティアゴに参詣したのと同様の贖罪が得られる「許しの門」がある町である。 とりあえず痛みを堪えながらベッドから這い出し、壁を伝って一階へ降りた。中庭のベンチに座り、足首の状態を確認しつつどうするべきかを考える。ビジャフランカはアンカーレス山地突入前の最後の町である。この町を出てしまったら、サリア(Sarria)という町に着くまで病院があるような町は無さそうだ。病院に行くならこの町しかないのだが……しかし、医者に掛かるとほぼ間違いなくドクターストップになるだろう。巡礼を続ける事ができなくなってしまうのではないだろうか。 ……杖、か。この足首の状態では、壁などを伝わないとまともに歩く事すらできないものの、杖で左足をかばいながらならばイケるかもしれない。私は宿のお兄さんに事情を説明し、アルベルゲが販売していた杖(というか棒切れ)を購入した。左手に杖を手にし、杖に体重を預けながら一歩二歩と歩いてみる。杖を使っても痛い事は痛いが、だがしかし、まだ何とか耐えられるくらいの痛さである。杖なしよりは全然マシだ。 正直に言うと、この時私は巡礼を続ける事しか頭になかった。サンティアゴまで残り約160km。もう一息の所でリタイアするのは忍びない。それに昔の巡礼者をなぞるという意味でも、ここでやめるというワケにはいかなかった。バスや鉄道などの交通機関が無かった中世の時代、怪我をした巡礼者には三つの選択肢しかなかったはずだ。怪我をおして巡礼路を進むか、その場所に留まって療養するか、あるいは野垂れ死ぬかである。もちろん私は死にたくないし、療養するような時間はもう無い。となると、残りは進むしかないのである。 出発する際、アルベルゲのお兄さんから「休んで行きなよ」とも言われたが、私はそれを拝辞しアルベルゲを出た。横に建つサンティアゴ教会の「許しの門」がちらりと見えたものの、やはり私はここで終わるのではなくサンティアゴまで歩きたいと思った。 ビジャフランカ城から坂を下り、町を抜ける。医者に掛からずともせめて薬が欲しい所であるが、まだ薬局が開いている時間ではない。ガイドブックによると途中の村にも薬局があるようなので、そこで買う事にしよう。橋を渡ってビジャフランカを出ると、巡礼路は谷を流れる川沿いの車道となった。周囲の景色は山のものへと変わり、いよいよ引き返せなくなってきた感じである。杖を突いて歩く私の足は一歩進む度に鋭く痛み、歩行スピードは極めてスローである。普段の半分くらいのペースだろうか。 しばらく進んで行くと国道と合流し、そこからは車道の横に設けられた歩道を歩く……のだが、道路と歩道の間には70cmぐらいの高さの仕切りがあり、痛む足ではそれを乗り越えるのが億劫だ。車もさほど走っていなかったので、そのまま車道を歩いていると、後ろから来た二人組の女性巡礼者に「危ないからこっち来なさい」と注意されてしまった。 私は痛む足をかばいながらなんとか仕切りを乗り越え歩道に入ったが、その様子を見て私の足の具合を察したらしい。「大丈夫?」としきりに心配してくれたが、私が「大丈夫」と繰り返していると、訝しげな表情を浮かべながらも「これ使って」と痛み止めの薬をくれた。おぉ、これはありがたい。私はお礼を述べ、白い錠剤を飲み下した。 飲んだ痛み止めが功を奏したらしく、足の痛みは幾分和らいでいた。ペレへのアルベルゲ前にあったベンチに座って少し休憩を取る。ビジャフランカからずっと谷沿いの道が続いており、まだ太陽の位置が低く日が射していないのにも関わらず、私は冷や汗を大量にかいていた。体が無性に水を欲しており、飲み干すペットボトルの水がうまい。 メセタにいた頃はあれ程涼しかったのに、メセタを出てからというもの毎日暑い日が続いている。昨日はまだ風があったのでそれほど暑くは感じなかったが、今日の巡礼路は山間の為か風が無く、日光がダイレクトに肌を焼く。痛いわで暑いわ疲れるわで、この先やっていけるのか、早くも自身が無くなってきた。 そのような中、ビジャフランカから22kmぐらい先の集落まで、上り下りの少ない車道沿いの道だったのは不幸中の幸いであった。基本的には国道の脇を歩き、時々国道を離れて集落に寄るという具合である。もちろん、セブレイロ峠へは山道を登る事になるのだが、この歩きのペースでは今日中に山道へ入る事など不可能なので、とりあえずは18kmの地点にあるベガ・デ・バルカルセ(Vega de Valcarce)まで辿り着ければ良いだろう。 トラバデロに着いたのは10時半である。小さな雑貨屋があったのでジュースを買ったら、アルコールが僅かではあるが入っていた。足首が腫れているのに酒を飲んだら血行が良くなって腫れが酷くなりそうだが、まぁ、微量であるし大丈夫だろう。……たぶん。 さて、ガイドブックの情報では、この村には薬局があるという事である。しかし村の入口から出口まで歩いても見当たらない。とりあえず村の中心地に戻ってみるが、やはりそれらしき店は無かった。うーん、こりゃまいったな。 私がキョロキョロしていると、見覚えのある男性巡礼者が私に声を掛けてきた。私は男性に「薬局屋を探しているんです」と告げると、男性は近くにいた村人を捉まえて薬局の場所を聞いてくれた。どうやら教会の裏にあるとの事である。 教えられた場所には、緑十字の看板に「FARMACIA(薬局)」と書かれた店があった。防犯の為かドアや窓に格子がはめられ、ドアのガラスには黒いフィルムが張られていて中の様子を伺う事ができない。こりゃ閉まってそうだなと思いつつドアノブに手をかけると、扉はあっさり開き奥にいた初老の薬剤師さんが顔を出した。 私は「オラ」と挨拶した後、靴下を脱ぎ足首の状態を見せる。薬剤師さんは少し顔を曇らせ、拳を手で叩いて「強く打ったんだね」というようなジェスチャーをした。……ん? これは捻挫ではなく打撲なのだろうか。薬剤師さんはチューブ入りの塗り薬と、飲み薬を出してくれた。いずれも腫れと痛みに効くイブプロフェンのようである。 私は薬の入った紙袋を手にし、ほくほく顔で薬局を後にした。よし、これでなんとかなるだろう。結局、捻挫なのか打撲なのかイマイチ分からなかったが、まぁ、薬剤師さんが出してくれた薬も手に入った事だし、悪い事にはならないだろう。この時は本気でそう思っていた。 ところが、この私の怪我は捻挫でも打撲でもなく、なんと骨折であった。これは巡礼を終えた後の話であるが、帰国してからも足首の腫れと痛みが完全に引かず(捻挫ならば二ヶ月で治るはずである)、これはおかしいと病院に行ってレントゲンを撮った所、まさかの骨折が判明したのだ。メインの骨である脛骨が折れていたらもはや歩くどころではないのだが、折れていたのはサブの腓骨だったので、なまじ歩けてしまったというワケである。 しかも悪い事に、骨折を放置して長距離歩いた事により偽関節になってしまっていた。偽関節とは骨折がくっつかなくなってしまった状態の事で、こうなってしまうと完治させるにはもはや外科手術しかない。結局私は骨折部位の上下の骨を削り、そこに腰の骨を移植するという結構な手術を受けた。手術後も一ヶ月の入院、退院後も一ヶ月の松葉杖生活である。体力も筋力も低下し、様々な面で疲弊してしまった。巡礼中に怪我をしたらすぐに病院へ行く。そんな当たり前の事ができなかった報いである。 この辺りは谷筋の国道と並行して高速道路が山の中を通っており、所々で高速道路の高架橋が国道を跨ぐ事がある。その高架橋の陰は強い日差しを遮る格好の休憩ポイントとなっており、数人の巡礼者がのんびり寝転んで休憩を取っていた。 その中には、私に痛み止めをくれた二人組の女性巡礼者の姿もあった。私を見るや否や「大丈夫?」と気に掛けてくれ、恥ずかしい反面ちょっと嬉しくも感じる。私は「薬を買ったからもう大丈夫」と答え、一応の笑顔を見せた。 足首の痛みを最も強く感じるのは、歩いている時ではなく座る時と立ち上がる時である。私は「ぐぅ」とうめき声を上げながら椅子に腰かけ、靴下を脱ぐと先程買った薬を足首に塗りたくった。足首はパンパンに腫れ、また赤紫色に変色しておりギョッとしたが、腫れのピークが過ぎれば元に戻るだろうと根拠の無い自信を持ち再び靴下を履いた。 ついでに昼食としてパンを食べた私は、再び「ぐぅ」と声を上げながら立ち上がる。私が休憩を取ったラ・ポルテラ・デ・バルカルセ(La Portela de Valcarce)という集落の公園側には、なぜか馬車が待機していた。観光に使われるものだとは思うが……しかし、この辺りで何を観光するというのだろう。 またラ・ポルテラの集落には礼拝堂が建っており、その内部のテーブルにはスタンプが置かれていた。その次の集落であるアンバスメセタス(Ambasamesetas)の礼拝堂も同様である。いずれも小さな礼拝堂ではあるものの、平べったい石によって築かれた石積みが印象的な可愛らしい建物だ。ありがたくスタンプを巡礼手帳に押させていただいた。 アンバスメセタスの集落を抜けてそのまま進んで行くと、またもや目の前に高速道路の高架橋が現れた。その下を潜って少し歩けば本日の目的地ベガ・デ・バルカルセである。ベガは思っていた以上にちゃんとした村であり、アルベルゲはもちろん、スーパーやバルも揃っている。まさにセブレイロ峠への拠点に相応しい様相であった。 ベガの公営アルベルゲは通りから少し坂を上った所にあった。オスピタレラがベッドを指定するタイプの宿であったが、受付けのお姉さんに足が痛む旨を伝えると、ありがたい事に一階のベッドルーム、しかも下段のベッドを当ててくれた。……が、その部屋にはやけに女の子が多く(本来は女子部屋だったのかもしれない)、少し恥ずかしかった。 シャワーを浴びてベッドに戻ると、私の隣のベッドにレオンのアルベルゲでお会いした日本人ご夫婦がいた。このご夫婦はレオンで二泊すると言っていたので私が一日先行していたのだが、私がポンフェラーダに二泊した事で再び一緒のペースになったのだろう。 「情けない事に酔っ払って怪我しちゃったんですよ」と私が愚痴をこぼすと、ご夫婦のうちの旦那さんは私の足首を確認し、「内出血してるみたいだし、マズイんじゃないの」と言った。実際かなりマズイ症状だったのだが、捻挫と信じ切っていた私はその言葉を軽く受け流し、「まぁ、薬買ったんで大丈夫でしょう」とのんきに答えた。 洗濯を終えた私は杖を突きながらベガの村を散策した。レオンを出てからこれまで、巡礼路上で何度か高床式倉庫を見かけていたが、この村の広場には近隣から移築したのであろう高床式倉庫が展示されており、間近で観察する事ができた。日本では縄文時代から建てられていた高床式倉庫であるが、スペインのものも基本的な構造はほとんど同じなようで、高床式倉庫の持つデザインの普遍性に感心する。 夕食はいつも通りのスパゲティである。ワインはどうしようかと悩んだが、結局誘惑に負けて飲んでしまった。以前捻挫した際、診察してくれた先生に「酒は控えた方が良いですか?」と尋ねた所、「酒は捻挫と関係ないよ」との答えだったので、ならば今回も大丈夫だろうとタカをくくったのだ。この怪我は捻挫と思い込んでいたとはいえ、そもそも腫れが引いていない状態で酒を飲むのは明らかに愚行であろう。 Tweet |