そろそろ腫れが引いてくれても良いのではないかと思いつつ目を覚ましたが、左足首は相変わらず腫れたまま、痛々しい姿を晒していた。内出血が足首から足先へと回り、左足全体がおぞましい赤紫色に変色している。むくみもひどい。痛みは若干和らいだ気がするが、ただ痛みに慣れただけかもしれず、状態が良くなっているようには思えなかった。昨日に引き続き、今日もまた少し早目の出発にしようと思う。 朝食を取って荷物をまとめた後、靴に履き替えようとクロックスを脱いだのだが、左のクロックスに赤や黄色の液体がこびりついていてギョッとした。おそらくは、足に溜まった血液やリンパ液などが、足の裏から滲みだしているのだろう。このようにして体は悪い血を体外に放出しているのだ。人体の仕組みとは、非常に不思議なものである。 昨日は全行程が上りのみの登山道であったが、セブレイロ峠を越えた今日は当然ながら下りの道である。急な下り坂は足にとってよろしくないが、現時点では幸いにもそれほど急な道でなく、なだらかな下り坂がゆるゆると続いていた。 今日の目的地は、オ・セブレイロから約21kmの地点にあるトリアカステーラ(Triacastela)という町だ。普段であればそれ程長くない距離ではあるが、足の状態が状態なのでそれだけ歩ければ十分だろう。これで道が険しかったりしたらどうしようかと思っていたが、まぁ、このくらいの坂道であれば、なんとかなるような気がする。ずっとこの調子が続いてくれますように。 リニャレスの入口にあった泉の横で休憩していると、どこからともなくカランカランとカウベルの音が聞こえてきた。程無くして10頭ほどの牛が集落内からのっそのっそと歩いてくる。どうやら牛舎から牧草地に移動する最中のようである。 その牛を追うのは一頭のシェパード犬だ。犬はわんわんと吠えながら、道から外れようとする牛を追い立てていた。牛を牧草地へ誘導する為の牧畜犬らしい。牛の群れは私の前を通り過ぎて行ったが、その時、数頭の牛が泉で水をガブガブやり始めた。それに気付いた牧畜犬は俊敏な動作で駆け寄り、水を飲んでいる牛に向かって何度も吠える。牛はしぶしぶといった感じで群れへと戻って行った。牧畜犬を見たのはこれが初めての事だったが、なかなか迫力あるものである。 手持ちの地図によると、本日の目的地であるトリアカステーラへは峠を二つ越えてから山を下る事になるようだ。そのうち一つ目の峠であるサン・ロケ峠には、巨大な銅像が立っていた。杖を片手に、帽子を飛ばされないように押さえながら歩く巡礼者の像である。 その前傾姿勢の巡礼者像を眺めていると、どんな困難な事が立ち塞がろうとも進むという、堅固な意志が伝わってくる。うん、私もまたその思いを胸に巡礼路を歩こうじゃないか。足が痛い中でもセブレイロ峠を越える事ができたのだ。サンティアゴまで歩き通せぬ道理は無いだろう。 サン・ロケ峠からは20分程で次の村、オスピタル・デ・ラ・コンデサに到着した。オスピタル(病院)という名が付いているという事は、昔は巡礼者の救護施設でもあったのだろうか。今ではひっそりと静まり返った小集落である。 村の中心に建つ白い教会では、巡礼手帳にスタンプを頂く事ができた。礼拝堂に毛が生えた程度の小さな教会ではあるものの、中は清潔で明るく、祭壇には花が供えられているなど、丁寧に維持管理がなされているという印象であった。 教会前のベンチで休んでいると、日本人と思われる初老の男性が二人の欧米人巡礼者と共に巡礼路を歩いてきた。三人は会話をしながら教会を横切り、そのままオスピタルの集落を後にする。聞こえてきた男性の英語には日本訛りがあったので、やはり日本人なのは間違いないと思うが、だがその顔に見覚えは無かった。昨日、一昨日とあまり距離を歩く事ができなかったので、後続のメンバーが追い付いてきたのだろう。 ポイオ峠にはバルがあり、数多くの巡礼者がそこで休憩を取っていた。ちょっとした軽食も売っており、私は昼食用に1ユーロの菓子パンを購入しておいた。ついでにバルのスタンプを押させて貰う。バル裏口の石段に腰掛けて少し休憩したのち、再び出発だ。 ポイオ峠からは尾根伝いの比較的平らな道を行く。その途中ではまるでトラクターのような草刈り機が巡礼路の整備をしていた。草刈り機の車体は道を塞がんばかりの大きさで、他の巡礼者と共にしばしの立ち往生である。 フォンフリアの集落を歩いていると、大きな皿を携えたお婆さんに声を掛けられた。皿の上には薄手のパンケーキが何枚も重ねられており、お婆さんはそれを指差して食べないかと言う。私はてっきり巡礼者へのサービスかと思って頂いたのだが(何の味付けもされていない、小麦を溶いて薄く焼いたようなパンケーキだった)、私が食べ終わるとお婆さんは手を差し出し「ドネーティボ(寄付)」と言った。なんだ、金を取るつもりだったのか。 私は少しがっかりしたが、とりあえずこんなものだろうと20セントコインを手渡した。するとお婆さんは不服そうな顔で「1ユーロ」と言う。いやいや、一口で食べられるような薄手のパンケーキ1枚で1ユーロは無いでしょう。私はげんなりしつつ、もう一枚20セントコインを手渡して立ち去った。あのお婆さんは、いつもあのようなやり口で巡礼者相手に小遣いをせびっているのだろうか。 今日の巡礼路は山道の割に経由する集落の数がやけに多い。おおむね2〜3kmの間隔で集落が存在する感じである。怪我をしている身としては、休憩を取る場所に困らないのは有難い。特にビドゥエドの集落にはピクニック・ベンチも設置されており、昼食を取るのに最適な場所であった。ちょうど正午過ぎだった事もあり、私はそのピクニック・ベンチにザックを下ろし、昼食にした。 ポイオ峠のバルで買っておいた菓子パンを食べ終え、ペットボトルの水を飲んで一息ついていると、若い巡礼者のグループがガヤガヤと巡礼路を歩いてきた。彼らもまたここで休憩を取る様子だったので、私はテーブルを開けるべく一足先にお暇する。 山の上部は牧草地が広がり、高度が下がると木々が多くなるのはセブレイロ峠への登山道と同様だ。しかし下りは上りよりも傾斜が緩やかで、足への負担も想像していたより軽かった。巡礼路の雰囲気も良く、歩くテンションが下がる事無く歩けた感じだ。 山道をある程度下り切った所で巡礼路は車道と交差し、アス・パサンテス(As Pasantes)という小さな集落を通り過ぎた。集落内の雰囲気やそこからの道もまた趣深く、まさに古道といった風格を醸していたように思う。 トリアカステーラの入口に位置するラミル(Ramil)という集落には、樹齢800年という栗の巨木が鎮座ましましていた。高さは8.5m、幹回りは2.7mだという。昔から巡礼者を見守ってきた木なのだろうが、その幹にも容赦なく巡礼路を示す黄色い矢印を描いてしまうあたり、スペイン人の陽気な気質がうかがえる。 その巨木を横目に少し歩くと、そこはもう本日の目的地トリアカステーラである。トリアカステーラの公営アルベルゲは町の入口にあり、広大な敷地の奥にポツンと建つ二棟の建物がそれである。オスピタレラは30代くらいの女性で、娘さんと思われる女の子に勉強を教えていた。私は「オラー」と挨拶し、受付の手続きをしてもらう。 シャワーと洗濯を済ませ、ベッドで少し横になってから町に出た。トリアカステーラはラテン語で「三つの城」という意味であるが、現在それらの城は存在せず、サンティアゴ教会を中心に通りに沿って家屋が並んでいる。この辺りの村の中ではそこそこ大きな町のようだが、それでも平地の町に比べると小規模だ。 トリアカステーラの通りには私営アルベルゲがいくつか見られ、バルも数多くの巡礼者たちで賑わっていた。スーパーは2件あり、宿場町としての機能は十分すぎる程である。スーパーの食品コーナーには特産のチーズやホタテ貝をあしらったケーキなども並び、やはり巡礼者の利用を意識している感じが見て取れる。 スーパーで買い物を済ませた私はアルベルゲへと戻り、その庭先のベンチに座ってビールと生ハムを取り出した。セブレイロ峠から無事降りてくる事ができた、その祝杯を上げようと思ったのである。私が生ハムのパックを開けると、黒い犬が猛然とした勢いでこちらに走ってきた。そして私の前にちょこんと座り、何かを期待する目で私を見上げる。んー、生ハムに反応している事は明らかであるが、生ハムなんて塩気の強いものを犬に与えるワケにはいかない。 弱ったなぁとまごついていると、アルベルゲから先程オスピタレラと一緒にいた女の子が出てきて「リサ!」と声を張り上げた。犬はその声に一瞬だけ反応したが、すぐにまた私の方を見る。なるほど、この犬はリサという名前なのか。きっとアルベルゲで飼われているのだろう。女の子は何度も「リサ」と呼ぶものの、リサは全くの無関心で私の前に居座り続ける。痺れを切らした女の子はこちらにやってきてリサを引っ張るものの、すぐにまた私の元へ戻ってきてしまう。 そのやり取りを見ていたのか、程無くしてオスピタレラが建物から現れ、リサをアルベルゲの中へと連行して行った。リサは女の子よりもオスピタレラに懐いているらしい。まぁ、これでとりあえずは一安心だが、リサの好物を躊躇無く出してしまった私にも責任はあるだろう。少々バツが悪くなり、私は急いで生ハムを口の中へと押し込んだ。 しばらくアルベルゲでのんびりした後、ミサに参加する為にサンティアゴ教会へ向かった。ロマネスク様式のサンティアゴ教会は、12世紀の建立と推測されている古いモノだ。正面に立つ立派な鐘楼は、その後の1790年に付け加えられたものらしい。 この町に宿泊する巡礼者はかなり多いようだが、ミサに参列したのは10人程度と少なかった。司祭さんに「ハポン(日本人)?」と聞かれたので「シー(はい)」と答えると、司祭さんは私にホッチキスで留められた紙の束を手渡した。何だろと思って見てみると、その紙には祈りの言葉や司祭さんの教えが全て日本語で書かれていた。 これまで何度かミサに参加してきて、英語で書かれた祈りの言葉を渡された事は何度かあったが、日本語で書かれているのは初めてだ。この教会ではヨーロッパの主要言語はもちろん、日本語や韓国語のものも用意されており、それぞれの母国語で祈りの言葉を述べる事ができるようになっていた。私もまた日本語でその文言を読む。 ミサが終わった後に紙をペラペラめくっていると、「巡礼は急ぐのではなくゆっくり歩きなさい。多人数ではなく一人で歩きなさい」とあった。巡礼はサンティアゴに辿り着く事が重要なのではなく、その途上で何を考えるかが重要との教えである。急いで歩くと考える時間が持てず、多人数で歩くのもまたしかり。私は期せずしてその教えの通りに歩いてきたワケだが、自分の巡礼スタイルが肯定されたようでちょっと嬉しく思った。 Tweet |