巡礼68日目:ルーゴ




 朝7時半、マヨール通りに飛んでいたWi-Fiの電波を捉まえてネットをしていると、顔見知りの日本人ご夫婦とばったり再会した。セブレイロ峠を越える前日、ベガ・デ・バルカルセのアルベルゲで一緒になったご夫婦だ。今まさに出発する所なのだと言う。

 私は足を怪我で歩行速度が落ちていた事もあり、ベガからサリアまで三日かかっていた。このご夫婦はおそらく二日で歩いたと思うので、本来なら私の一日先へ行ってるはずである。ここで会うのはいささか妙なのだ。話を伺うと、やはりサリアに到着したのは一昨日だったらしい。昨日は巡礼を休み、バスでルーゴ(Lugo)という町に行ってきたそうだ。おぉ、このご夫婦もルーゴの事を知っているのか。

 実を言うと、私もまた今日は巡礼を休み、ルーゴへ行こうと思っていた。ルーゴにはローマ時代の市壁(町を取り囲む城壁のような壁)がほぼ完全に現存しており、「ルーゴのローマ城壁群」としてユネスコの世界遺産リストに記載されている。世界遺産ではあるものの、市壁という比較的地味な物件なのでスルーする人が多いだろうと思っていたのだが、やはり知っている人は知っているものである。


というワケで、バスターミナルにやってきた

 サリアのバスターミナルは旧市街から少し離れた新市街の中にある。私は昨日のうちにアルベルゲのオスピタレラにバスターミナルの位置を聞いていたが、日本人ご夫婦からもさらに詳しい行き方を教えて貰い、それでなんとかたどり着く事ができた。


やってきたバスに乗り込む

 今日は土曜日なのでバスの本数が少ないのではないかと心配したが、ルーゴ行きのバスは程無くしてやってきた。乗り込む乗客の中には私のようにザックを背負った巡礼者スタイルの人もいる。サリアで巡礼を終える人なのだろう、バスの運転手さんにルーゴからサンティアゴへのアクセスについて尋ねていた。

 サリアを出発したバスは道幅の広い車道を北上し、30分程でルーゴに到着した。ルーゴは私が想像していたよりずっと大きな町で、通りに沿って背の高い建物が並んでいる。それもそのはず、ルーゴはガリシア州ルーゴ県の県都である。


比較的新しい建物が並ぶルーゴの新市街

 バスから降りた私は、ひとまずお目当ての市壁がある旧市街を目指そうと思った。バス停から道なりに進んで行くと、道の奥に重厚なたたずまいの門がその姿を現した。市壁に設けられた門の一つ、サン・ペドロ門である。


二基の塔によって挟まれたサン・ペドロ門

 この門はローマ時代から開いていたそうで、アストルガ方面から来る人々の玄関であったそうだ。ただし、現在のサン・ペドロ門は1781年に改修を受けており、ローマ時代当時のままではない。

 このサン・ペドロ門の他、ルーゴの市壁には12の門が設けられている。それらの中にはサン・ペドロ門と同様に改修を受けていたり、また後世になって新規に開かれたものも多く存在する。「ローマ時代の市壁がほぼ完全に現存している」と前述したが、「完全に」ではなく「“ほぼ”完全に」なのは、このような事情がある為だ。


とは言うものの、門以外の部分はローマ時代のものが残る


旧市街を360度、ぐるりと市壁が取り囲んでいるのだ


使われている石材は細かく、平べったいのが特徴的である

 ルーゴは紀元前26年から紀元12年に開かれた町で、現存する城壁はその後の紀元3世紀末から4世紀初頭にかけて築かれたものである。ローマ帝国の崩壊後は廃墟と化したが、中世のレコンキスタ後にカテドラルが築かれ、賑わいを取り戻した。

 またこのルーゴはサンティアゴ巡礼路の一つである「原始の道(Camino Primitivo)」の経由地でもある。「原始の道」はその名の通り、サンティアゴ巡礼路の中で最も古い道である。813年、聖ヤコブの墓が発見されたという報告を受けたアストゥリアス王のアルフォンソ2世は、最初のサンティアゴ巡礼者として首都のオビエドからサンティアゴ・デ・コンポステーラへと向かった。「原始の道」は、その際に使われたとされる古道である。

 オビエドからルーゴを経由し、メリーデ(Melide)という町で私が歩いている「フランス人の道」と合流する「原始の道」は、険しい山道ではあるものの風光明媚で美しく、歩き甲斐のある道なのだそうだ。フランスの「ル・ピュイの道」で度々ご一緒したKさんは、海沿いを行く「北の道(Camino del norte)」とこの「原始の道」を歩くと言っていた。


サン・ペドロ門の脇には「原始の道」のモホン(道標)が置かれている

 さて、話を元に戻そう。ルーゴのローマ市壁は、ヨーロッパに残るローマ時代の城壁(市壁)の中でも極めて状態が良いものだ。特に360度ほぼ完全に現存している例はルーゴの他に存在せず、唯一無二の存在として世界的に貴重な市壁である。


図で見ると、旧市街を見事に取り囲んでいる事が分かる

 サン・ペドロ門を潜って裏手を覗いてみると、そこには市壁の上へと続く階段があった。どうやら市壁に登る事もできるようだ。下から眺めるだけではもったいない。ここはひとつ、上からの眺めも堪能してみる事にしよう。


というワケで登ってみた

 市壁の高さは10〜15m。やはり下から見るよりも上から見る方が高さを実感できるように思う。市壁の幅も広く取られており、どっしり重厚な印象だ。所々に見られる丸くせり出した部分は塔の跡だ。かつては市壁の71ヶ所に塔が建っていたというが、それらは全て崩れてしまっている。一ヶ所のみ部分的に窓が現存しており、かろうじて塔の面影を感じ取る事ができる。


窓が残る塔は一ヶ所だけだ


この窓から町の外を見張っていたのだろう

 なお、ルーゴの市壁はその上がプロムナードとして整備されており、一周歩いて回る事ができる。土曜日という事もあってか、市壁の上は散歩やランニングをする市民で賑わっていた。その全長は2.5kmと割と手頃なもので、私もまた歩いてみる事にする。


市民の他、観光客も歩いているようだ

 その途中では、一組の家族に声を掛けられた。なんでも、初めて巡礼者を見たので写真を撮らせてもらえないかという。今日の私は巡礼者ではなくただの観光客なのだが、まぁ、ザックを背負って杖を突いているその格好は(足の怪我が痛むので杖が手放せないのだ)、まさに巡礼者そのものだ。「原始の道」を歩いている巡礼者だと思われたのだろうか。誤解させてしまったようでちょっと申し訳なく思ったが、断る理由も無いので笑顔で撮影に応じる。ご家族は私にお礼を言い残し、楽しそうに去って行った。


長い市壁の先にカテドラルが見えた

 ルーゴはあくまで市壁だけが世界遺産の対象なので、その旧市街には歴史のある建物が少ないのかと思っていたが(通常、古い建物が数多く残る歴史都市は、城壁を含む旧市街全体が世界遺産である事が多い)、市壁の上から眺めただけでも旧市街になかなか多くの古そうな建物が存在するようであった。その中でも一際目立つのがカテドラルである。市壁からもカテドラル前の広場に直接下りる事ができるようになっていたので、市壁の散策ついでにカテドラルも覗いてみる事にした。


メイン・ファサードは19世紀の新古典主義だ


裏側の外観はゴシック様式、ルネサンス様式が混在している

 ルーゴのカテドラルは中世の1129年、ロマネスク様式で建てられたのに始まり、その後に度々改修が加えられて現在の形となった。その時代ごとの様式が混在する複合的な教会建築である。

 それでは内部を拝観させて頂こうかと入口に向かったその時、ドレス姿の女の子が母親らしき女性に連れられてカテドラルへと入っていった。何か特別な催しが行われているのだろうか。私もまたその女の子たちを追うように、カテドラルへと足を踏み入れる。


カテドラル前で見かけたドレス姿の女の子


なるほど、結婚式が行われていたのだ

 カテドラル内は数多くの人で賑わっていた。祭壇に祈りを捧げる参拝者を始め、カテドラル内を見学して周る観光客、私と同じようにザックを背負う巡礼者(おそらくはサリアから巡礼を始める人が)など、その顔触れは様々だ。

 カテドラル級の大きな教会になると、主祭壇のある内陣を取り囲むように、複数の礼拝堂が放射状に並んでいる事が多い。その一室では結婚式が執り行われており、神父さんが祝福の言葉を述べていた。参列している面々は皆正装し、小さな女の子はドレスで着飾っている。先ほどの女の子たちもまた、この結婚式に参列しているのだろう。


神々しい主祭壇


天井の梁や彫刻など、ロマネスクの要素も残る

 なかなか面白そうな町なので、私はカテドラルに引き続き旧市街も散策してみた。勘だけを頼りに町の中を歩いていると、ちょっとした規模の広場に差し掛かった。広場の周囲に並ぶ建物の一つには観光案内所が入っており、私は窓口のお兄さんから町の地図を頂いた。

 その地図を頼りに見どころをピックアップし、それらを辿ってみたりもした。ルーゴの旧市街はカテドラルを中心とし、その周囲に古い町並みや教会がコンパクトにまとまっている。やや新しい建物も散見されるが、町には人の姿が多く活気があり、雰囲気が良い。


町並みを眺めながらルーゴの旧市街を歩く


大きな広場の前に建つサント・ドミンゴ修道院


こちらは州立博物館に隣接するサン・ペドロ教会

 ローマ城壁の内側に広がるルーゴの旧市街は、当然ながらローマ時代の町の上に存在する。建物を建て直す時などに発掘調査が行われるようで、その際にローマ時代の遺物が発見される事もままあるようだ。町の一角に建つ建造物の地下には、そのような古代ローマ人の邸宅跡が保存されており、ちょっとした資料館として公開されていた。


建物の地下に保存されている古代ローマ人の邸宅跡


古代ローマ人お得意のモザイクタイルもばっちり残る

 私がこの資料館を訪れたのはお昼過ぎであったが、どうやら閉館する直前だったらしく、係りの人に「早く見てくれ」と急かされてしまった。本来この資料館は有料だったと思うのだが、時間が無いのでじっくり見る事ができない為か、ありがたい事に私からはチケット料を取らず、無料で通してくれた。

 資料館を出てしばらく町をぶらぶらしていると、突然雨が降り出してきた。小雨程度であれば無視して歩く事ができるのだが、その雨脚はやや強く雨宿りを余儀なくされた。このガリシア地方は海洋性気候の多雨な地域である。晴れる日は少ないらしく、曇りがちなのが常らしい。だからこそ豊かな緑がはぐくまれるのだろうが、歩く分にはやはり雨は億劫だ。それも巡礼ではなく、観光の最中とあっては尚更だ。


しょうがなく、私はバスターミナルへと戻った

 まぁ、一通りルーゴの町を見る事はできたし、雨に打たれつつの散策も嫌なので、観光を切り上げてサリアへ戻ろうと思う。建物の軒下をなぞりつつ雨を避け、バスターミナルへ戻ると、そこには市壁の上で写真を撮らせてくれと言ってきたあのご家族がいた。旦那さんは私を見てちょっと驚いた様子である。

 巡礼者の格好をした私が、徒歩ではなくバスを使っている事を知ったこのご家族。ひょっとして、がっかりさせてしまったのだろうか。私は少々気まずく思いながら、サリア行きのバスを待った。

 サリアに戻った私は今夜の寝床を確保する事にした。公営アルベルゲは連泊禁止なので、今日は別の宿を探さねばならない。幸いにもサリアには私営アルベルゲの数が多く、いとも簡単にベッドを確保する事ができた。宿泊費は9ユーロとやや高めではあるが、二段ベッドではなく普通のベッド、宿の雰囲気もなかなか良く、まぁ、悪くはない。巡礼のラストスパートに向け英気を養うべく、ゆっくりさせて頂く事にしよう。


噴水やプールを備えたアルベルゲだ

 夕方、私はマヨール通りの中心にそびえるサンタ・マリナ教会を訪れた。昨日のうちに私の持っている巡礼手帳がすべて埋まってしまい、新しい巡礼手帳を入手する必要があったからだ。昨日の公営アルベルゲでオスピタレラに相談した所、この教会で発行しているとの事であった。レオンで入手した3冊目に続く、4冊目の巡礼手帳である。


私の巡礼の記録そのものである、計4冊の巡礼手帳

 思えば、随分たくさんのスタンプを貰ってきたものである。残すところはあと100km強。早ければあと3日、遅くとも5日後にはサンティアゴに到着している事だろう。4冊目の巡礼手帳を全て埋めるのは難しいだろうが、最後まで全力で楽しむとしようじゃないか。


やけに強い酒を宿のご主人に振舞ってもらった

 教会のミサに出席した後、アルベルゲに戻って夕食を取った。リビングでは暖炉に薪がくべられ、数人の若い巡礼者が宿の主人と共にくつろいでいた。ご主人は私を見るや否やこっちへ来いと手招きし、私に小さなグラスを手渡した。そしてそのグラスにカラフルな色の液体を注ぐ。口を付けてみると、それは異様に度数の高い酒であった。

 パチパチと薪がはぜる中、何とも奇妙な酒を頂く。ハーブ・リキュールなのだろうか、強い酒の割には甘口ですいすい飲めてしまい、程なくして私はべろんべろんとなった。若者たちもまたその酒をあおり、一緒になってゲラゲラ笑う。何杯飲んだのだろうか、私はいつの間にかベッドにおり、そのまま朝までどっぷり寝た。