巡礼71日目:メリーデ〜オ・ペドロウソ(32.5km)





 昨日はポルトマリンからメリデまで、約32kmの道のりを歩いた。30km以上の長距離は久方ぶりであったが(しかも、足の怪我というハンデ付きだ)、意外にも疲れはさほど残っておらず、すっきりした目覚めであった。よし、この調子なら何とかなりそうだ。

 昨日に引き続き、今日もまた30km以上の長距離を歩かねばならない。手持ちのガイドブックによると、メリデから約14kmの所にあるアルスーアの町を出てしまうと、そこから19km先のオ・ペドロウソまで、アルベルゲが存在しないのだ。とはいえ、たった14km歩いて「はい終わり」では、昨日の頑張りが無に帰すというものである。なので、今日は必然的にオ・ペドロウソまで歩く必要があるというワケだ。むしろ今日オ・ペドロウソまで歩く事ができれば、三日かけて歩くはずの区間を二日で歩いた事になり、サンティアゴへの到着が一日早まる。うむ、やはり今日が踏ん張り所であろう。

 私は昨日よりも早い朝7時にアルベルゲを出発した。「絶好調! 誰も私を止める事はできない!」とばかりにアスファルトの道をのしのし歩いていたが、町の出口で古そうな教会を見付けてしまい、私は早くもその足を止めた。先に進む事も大事だが、それ以上に古いモノを堪能する事の方が、私にとっては重要なのだ。


メリデの出口に位置するサンタ・マリア教会


12世紀後半に建てられたロマネスク建築である

 教会の入口には一人のシスターさんが立っていた。その様子から、昨日教会前広場の礼拝堂にいたシスターさんを思い出したが、やはり同じ人だったようである。私の事を覚えていたらしく、ここでも中へどうぞと促された。

 昨日の礼拝堂と同様、教会内には数人のシスターさんがおり、朝のお勤めに励んでいた。年配のシスターさんにスタンプを押して貰い、堂内を少し見学してから教会を後にする。小さな教会ではあるが、状態の良い壁画も残っており、立ち寄って正解だった。


内陣には15世紀の壁画が良く残っている

 メリデからは家屋が散在する畑の中を歩き、それから木々が生い茂る林の中に入った。緩やかな坂道を下り、小川を越えて今度は上る。しばらくして国道に出たと思いきや、道は再び林の中を行き、そしてボエンテ(Boente)という村に到着した。


林を流れる小川を飛び石で越える


国道沿いに家屋が並ぶボエンテの町並み

 ボエンテからはやや急な下り坂となり、国道下のトンネルを抜けて牧場を横切る。その先に待ち構えていた上り坂はやや急で、私は荒い息を吐きながらえっこらえっこら登った。今日の道も昨日と同様、木々が多いので展望はあまりよろしくない。特筆する程の景色は見られないが、その分、歩く事に集中できる。


林の中に広がる小さな牧場


巡礼路沿いに点々と集落が続く

 巡礼路はいくつかの集落を抜けると三度林の中に入り、さらに急な坂道を登って丘を越えた。そのまま坂道を下って行くと、程無くしてリバディソ・ダ・バイショ(Ribadiso da Baixo)に到着である。村の入口には、12世紀に架けられた中世の古橋が現存していた。アーチの径がやや大きい、立派な橋だ。


雰囲気あるリバディソの中世橋

 リバディソを出てから巡礼路はアスファルトの道となり、程無くして国道と合流する。車道の脇をひたすら歩いて行くと、徐々に周囲の家屋が増え、いつの間にかアルスーアに到着していた。アルスーアはメリデに負けず劣らずの大きな町で、国道に沿って並ぶ建物も大層立派である。町の中心部に観光案内所があったので、とりあえず巡礼手帳にスタンプを頂いた。


メリデと同等の規模を持つアルスーアの町

 時間は10時半、スーパーがあったのでちょいと立ち寄り、コーラとクッキー、それとレッドブルを購入した。それから薬局に入り、昨日の夜に使い切っていたイブプロフェンのゲルを買う。広場のベンチに座って休憩を取り、左足首にイブプロフェンを塗ってコーラとレッドブルを一気に胃の中へ流し込んだ。

 休憩もそこそこにアルスーアの町を出発したのだが、その直後、猛烈な腹部の痛みに襲われた。レッドブルの一気飲みがまずかったのだろうか、今、まさに、私の腹の中で雄牛が暴れまわっている。なんとか気を張り、牛の機嫌が直るのを待つ。


脂汗を浮かべながらアルスーアを後にした


道は相変わらず林と集落の繰り返しだ


その途中では高速道路の工事が行われていた

 木々に囲まれた薄暗い巡礼路を歩いて行くと、突如として視界が開け、茶色い土が剥き出しになった高速道路の建設現場に出た。その高速道路は巡礼路を横切って通される事は明らかで、近いうちに巡礼路は破壊され、代わりに橋が架けられる事だろう。

 数あるサンティアゴ巡礼路のうち、主要ルートの「フランス人の道」と「アラゴンの道」の巡礼路、及びその途上に建つ歴史的建造物は、一括して「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」という名でユネスコの世界遺産リストに記載されている。そして世界遺産は現状維持が原則であり、開発による破壊は認められないはずである。この区間は世界遺産の範囲外という可能性もあるが、それでもこの現状にはいささか忍びなく思った。基本的に、私は地形を大きく変えるような、大規模な道路工事があまり好きではない。

 小雨がパラつく中を歩いて行くと、石畳が敷かれた情緒ある集落に出た。この集落はオレオ(ガリシア地方の伝統的な倉庫)が巡礼路を跨いで建っており、巡礼者はその下を潜って集落を通り抜けて行ったという。しかしそのオレオは近年になって強風で倒壊してしまったらしく、現在はその基部の木材が僅かに残るだけであった。


巡礼路を跨いで建っていたオレオの残骸


この場所で亡くなった巡礼者を弔うものと思われるモニュメント

 サルセダ(Salceda)という集落で、巡礼路はまたもや国道に出た。この先にはサンタ・イレーネ峠(Alto de Santa Irene)があり、この辺りから緩やかな上りとなる。とはいえ、その傾斜は大したものではなく、平らな道と大差無い。

 国道沿いの道と林の道を交互に繰り返しつつ進んで行くと、道の先に二軒のバルが見えた。そこから先は下り坂になっていたので、おそらくここがサンタ・イレーネ峠なのだろう。峠というよりは、単なる上り坂の終点といった感じであるが。


二軒バルがあるだけのサンタ・イレーネ峠


国道に並行して走る巡礼路を進む

 サンタ・イレーネ峠の右手に建つバルの脇から細い路地に入り、林の中の未舗装路を下る。この辺りは集落、林、集落、林の繰り返しだ。空は雲に覆われて光が少なく、鬱蒼とした林の道は若干不気味である。


サンタ・イレーネの集落にあった泉


途中の集落では、人感式の音声広告が巡礼者を待ち構えていた

 薄暗い林を抜け、ひと気の無い集落に差し掛かった所、突如として村全体に響き渡るような大音量の音声が流れてきた。私は度肝を抜かれつつ音のした方向を見やると、そこには人感センサーとスピーカーが設置されていた。どうやら巡礼者がここを通る度に流れるアルベルゲの音声広告のようである。何とも心臓に悪い宣伝方法だ。


ビックリしたお陰で、林の道が余計に不気味に見えた


さらに進むとオ・ペドロウソへの分岐点に到着だ

 本日の目的地であるオ・ペドロウソは、巡礼路から少し離れた場所に位置していた。私は地面に書かれた案内に従い、巡礼路を外れて国道を南へ進む。10分程でオ・ペドロウソの公営アルベルゲに到着した。

 17時近くだったのでベッドの空きがあるか心配したが、メリーデのアルベルゲと同様、ここのアルベルゲもまた規模が大きく、ベッドはまだ残っていた。しかしシャワーは水に近い温度であり、いささか寒い思いをした(おそらく、お湯の量に上限があるのだろう)。


オ・ペドロウソの公営アルベルゲ

 オ・ペドロウソは国道沿いに形成された比較的新しい町のようである。スーパーは小さいお店が一軒あるだけだが、バルの数は異様に多い。これだけバルがあれば一軒くらいはWi-Fiを導入していてもおかしくはないのだが、なぜだかどのバルもWi-Fiが飛んでいなかった。

 町をうろうろしていると、ビジャフランカやサリアでお会いした日本人のご夫婦と再会した。ご夫婦は私より一日早くサリアを出たはずだが、私がポルトマリン〜オ・ペドロウソ間を二日で歩いた事で、追い付いたようである。ご夫婦は町の中心に位置する私営アルベルゲに宿を取ったとの事だ。あのびっくり音声広告の宿だろうか。

 夕食はいつものごとく宿のキッチンでスパゲティを茹でた。混雑しそうだったのでテーブルの一番端に食料袋を置いて席をキープし、それから調理に取りかかったのだが、出来上がったスパゲティを持ってテーブルに戻ると、確保しておいたはずの席は他の人に取られていた。しかも私の食料袋から勝手にワインが抜かれ、他の人のワインと共にテーブルの上に並べられているではないか。これにはちょっと、カチンと来た。


腹が立ったので床で食べた

 私は既にコルクが開けられていたワインを取り返し、スパゲティを持って部屋の隅に移動した。皿とワインを床の上に並べ、胡坐をかいてそこで食る。テーブルに座っていた人々はびっくりした様子で私に椅子を勧めてきたが、私は「ノープロブレム」を繰り返し、一気にスパゲティをかっ込んだ。グラスが無いのでワインはラッパ飲みである。スパゲティもワインも、味はほとんどしなかった。

 食後に皿を洗いながら、何で私はこんな事をしているんだろうと思った。明日はいよいよサンティアゴへ到着する日だというのに、この虚しい気持ちはなんだろう。食料袋を片手にベッドへ戻ると、私のベッドに上がる為の梯子に誰かのタオルが掛けられていた。私はカッとなってそのタオルを払いのけ、梯子を上ってベッドに寝転んだ。何でだろう、あと一日だというのに、何で私はこんなにイライラしているのだろう。