巡礼70日目:ポルトマリン〜メリデ(32.0km)





 私は長期の旅行では日記を付ける事が多い。今回のサンティアゴ巡礼もまた同様、日本から持参してきたメモ帳に毎日日記をしたためていた。メモ帳の見返しにはカレンダーを書き、それで現在の月日が分かるようになっている。

 アルベルゲを出る前にそのカレンダーを確認したところ、私に残された時間はもう残り僅かである事が分かった。帰りの飛行機が出るのは7月8日の昼、空港はマドリードである。7日はサンティアゴからマドリードまでの移動日に充てるとして、まぁ、最悪でも6日中にサンティアゴに到着できれば間に合う算段だ。しかし、あまりギリギリなのはよろしくないし、それにサンティアゴ到着後もいろいろ見ておきたい場所がある。できるだけ早く到着するに越したことはない。

 本来の予定では、ポルトマリンからサンティアゴまで4日かけて歩くつもりであった。今日はポルトマリンから22kmの地点にあるパラス・デ・レイ(Palas de Rei)まで歩き、明日はパラス・デ・レイから25km先のアルスーア(Arzua)、明後日はアルスーアから19km先のオ・ペドロウソ(O Pedrouzo)、そして明々後日の7月5日にサンティアゴへ到着する予定であった。……が、この距離を3日で歩く事はできないだろうか。一日浮かす事ができれば、だいぶ違ってくるはずである。

 私は少し考え、とりあえず今日はできるだけ早い時間にパラス・デ・レイへ着くよう、心掛けようと思った。足の怪我の具合にもよるが、パラス・デ・レイに着いた時間次第では、さらに先まで進む事を考えるべきだ。うん、それが良いだろう。私は靴の紐を締め直し、気合を入れてアルベルゲを出発した。


町のメインストリートを下り、谷を越える


歩行者用の橋は、老朽化の為か通行禁止であった

 ポルトマリンの町からは、川を越えて山道へと入る。しかしその川に架かる歩行者用の橋は、通行禁止のテープが張られていて通る事ができなかった。見た感じからして簡素な作りの鉄橋なので、まぁ、崩壊の危険があるのだろう。なかなかスリルがありそうなので渡ってみたいとも思ったが、だが通行禁止とあっては諦める他無い。私はしょうがなく、何の魅力も無いコンクリート製の頑丈な橋をとぼとぼ渡った。


山道に入り、坂を登る


しばらく進むと、巡礼路は車道と合流した

 左足首を怪我してから一週間近く経ち、腫れと痛みはもうだいぶ治まっていた。杖も上手に使えるようになり、私は普段とさほど変わらない早さで歩く事ができるようになっていた。後続の人に抜かれる事も無く、良い感じのペースである。

 山道なのは最初の少しだけで、坂を登り詰めてからは車道沿いがメインとなった。巡礼路としてはあまり面白くないものの、その分、景色に気を取られる事がなくサクサク進む事ができる。アルベルゲであれこれ悩んでいた為、出発の時間が8時と少し遅くなってしまったが、それが逆に功を奏し、巡礼者の数も昨日程ではなく歩きやすい。

 ポルトマリンを出てから、一時間程でゴンサール(Gonzar)という集落に到着した。その入口には奇妙な形の小さな建物があり、あれは一体何だろうと首をひねった。石積みの上に建てられた、平べったい形の小さな建物である。


奥行きが薄い、三連の不思議な建物だ

 最初見た時は日本の神社建築の一つ「三間社」のような印象を受けたので、祠など宗教的な要素を持つものかと思ったが、それは見事に間違っていた。これは「オレオ(Horreo)」という、ガリシア地方の伝統的な穀物倉庫なのだそうだ。確かにネズミ返しも付いているし、高床式倉庫の亜種のようにも見えるが、しかし倉庫にしてはやけに薄すぎやしないだろうか。トウモロコシを横に並べて積み上げる、棚のようなものだろうか。


相変わらず車道沿いではあるが、尾根なので景色は開けている


オスピタル・ダ・クルス(Hospital da Cruz)という集落を通過

 オスピタル・ダ・クルスを抜けると、巡礼路は高速道路に差し掛かった。その高架橋を渡り、やや細い車道を歩いていると、ふと一人の男性巡礼者が私に声を掛けてきた。男性はまるで日本人のような顔立ちをしていたが、その肌は2ヶ月間以上巡礼を続けてきた私よりも浅黒い。男性は英語で「日本人ですか?」と聞いていたので、私は「はい」と答えると、今度は日本語で「私は日系ブラジル人三世です」と言った。

 ブラジルには日本人移民のご子孫が多いと知ってはいたが、まさかサンティアゴ巡礼でお会いできるとは。日系ブラジル人の方と話をしたのは、これが初めての事であった。男性は物腰穏やかで、たどたどしくはあるものの日本語での会話もできた。私は男性と少し話をした後、男性は奥さんなのだろうか、綺麗な白人の女性と巡礼路を進んで行った。


ザックにブラジル国旗を括り付けた日系ブラジル人の男性


1670年の十字架を横目にリゴンデ(Ligonde)へ入る

 今日はできるだけ距離を伸ばそうと思っていた私は、休憩の回数を少なめに抑え、歩くペースもさらに早くなっていた。前方を歩いていた巡礼者に追い付くようになり、その彼らを追い抜いて私はどんどん前に出る。

 極めて順調な行軍であったが、ところがその先のリゴンデという村でブレーキを余儀なくされた。昨日に引き続き、今日もまた高校生軍団の行列に巻き込まれてしまったのである。遭遇した場所が幅の広い道路なら特に問題は無かったのだが、運の悪い事にそこは極端に路地が狭まるリゴンデ村の出口であった。


路地は渋滞、牛歩のごとくのろのろ進む


高校生たちは休憩するようだったので、その隙に距離を伸ばす

 せっかくギアがトップに入っていた中、見事にペースを乱されヘコんでしまう。うーん、間が悪いというか、何というか。どうもこの子たちとは相性がよろしくないようだ。高校生たちはリゴンデの1km先にあったAirexe(エイレーシャ)という村で休憩に入ったので、私はここぞとばかりに彼らから距離を取る事にした。


丘を上ったり下ったりを繰り返す


途中の教会で休憩にした

 多少のアップダウンはあれど、道自体はアスファルトなのでさほど険しくはないのだが、いつも以上に張り切って歩いている為か、体はだいぶ疲れているようだ。休憩を取らずに歩くのはさすがに倒れてしまいそうだったので、小さな教会前で一息入れる。

 休憩の最中、雨がパラパラと降ってきた。それはすぐに止んだものの、空に立ち込める雲の量は依然多い。ガリシア州に入ってからというものの、こんな感じのグズグズした天気がずっと続いている。すっきり晴れる日はないのだろうか。


木々に囲まれた道を行く


13時過ぎ、パラス・デ・レイに到着した

 車道を上り、雰囲気の良い木々の未舗装路を少し歩いてから今度は坂をひたすら下り、13時過ぎにひとまずの目的地であるパラス・デ・レイに着いた。パラス・デ・レイは元は西ゴート族が開いたという非常に歴史の深い町だ。町の名は「王の宮殿」を意味し、周辺には考古遺構も多いそうである。

 町の入口に建つサン・ティルソ教会は、12世紀の中頃に建てられたロマネスク様式の建築で、なかなか立派である。扉が開いていなかったので、内部を拝観させて頂けなかったのが残念だ。それにしても、ガリシア州はロマネスク建築の現存度合が極めて高い。私はシンプルながらも清楚感があるロマネスク建築が好きなので、数多くのロマネスク教会に触れる事ができてほくほく顔である。


ロマネスク様式のサン・ティルソ教会


町の中心広場で昼食を取った

 パラス・デ・レイのアルベルゲは町の中心部にあり、既に結構な数の巡礼者で賑わっていた。その中には日系ブラジル人男性と同行の女性の姿もあり、私もまたここに泊まろうかと一瞬思ったものの、とりあえずは先に昼食を取る事にした。

 通りのスーパーでバゲットとオイルサーディンの缶詰、それとビールとレッドブルを購入し、広場のベンチに座って食べる。かなり疲れていたはずなのだが、ビールという名のガソリンを補給した為か、あるいはレッドブルが効いた為か、食後には再び元気を取り戻していた。よし、決めた。今日はまだ先へと進もう。


というワケで、パラス・デ・レイを後にした

 パラス・デ・レイの12km先には、メリデ(Melide)という町がある。地図を見る限り、パラス・デ・レイよりも多きな町のようなので、きっとアルベルゲの規模も大きい事だろう。多少到着が遅くなっても、ベッドの空きがあると信じたい。

 パラス・デ・レイからは幅の広い国道沿いの道を少し行く。とは言え、車道の脇ばかりを歩くというワケではなく、車道から離れて未舗装路を行く箇所も多い。できるだけ国道を避けて歩かせたいという、ルート設定の配慮がうかがえる。


サン・シャオ・ド・カミーニョ(San Xiao do Camino)を通り過ぎる


この辺りはやや険しい森の道だ

 サン・シャオ辺りから、巡礼路は国道からかなり離れて森の中を行く。アップダウンが小刻みに続き、地味に足腰にくる区間である。目にする景色も木々や畑ばかりと若干単調であるものの、これまた歩く事に集中できるので、今日のような先を急ぎたい日にはちょうど良い。

 未舗装路と舗装路を交互に歩き、15時半ぐらいにレボロイロ(Leboreiro)へ到着した。この集落の少し手前がガリシア州ルーゴ県とア・コルーニャ県の県境であり、つまりこのレボロイロはア・コルーニャ県最初の村である。そしてサンティアゴ・デ・コンポステーラが存在するのもア・コルーニャ県。ここからはまさに最後の最後、巡礼の大詰めである。


レボロイロの出口には中世の石橋が残る


森を抜け、巨大な敷地を持つ企業の横を歩く

 巡礼路は再び国道に合流し、しばらくその脇を行く。国道が大きく右へカーブする地点でまたもや森の中へと入り、程無くしてフロレス(Furelos)という村に着いた。その入口にはまたもや中世の橋が架かっており、特にここのものは4連アーチと見事である。レボロイロのものとは趣が異なり、それぞれに魅力があるものだ。


フロレスの入口に架かる中世の橋


フロレスを出て15分程でメリデに着いた

 フロレスからは周囲に家が多くなり、あっという間にメリデの町に到着した。メリデは想像通りに大きな町で、人の往来も多く活気がある。

 中心部に向かって歩いて行くと、ふと視界の右手に小さな礼拝堂が現れた。入口のロマネスク彫刻が目を引くそれは、13世紀に建てられたサン・ロケ礼拝堂である。その横に立つ十字架も14世紀のものと古いものだ。この町にも古いモノが多く残ってそうで、私としては嬉しい限りだ。


町並みの中に忽然と現れたサン・ロケ礼拝堂

 町の中心に位置するラウンドアバウトで右に曲がり、すぐに左へ曲がって細い路地に入る。黄色い矢印に従い進んで行くと、程無くしてアルベルゲに到着した。なかなか大きな建物で、ベッド数もかなり多そうだ。到着したのは17時過ぎであったが、まだ何とかベッドが残っており、私は無事寝床を確保する事ができた。

 早速汗を流そうとシャワールームに入ると、シャワーごとに扉が無いタイプであった。一応仕切りの壁はあるので、シャワー口が並んでいるだけであったスビリのアルベルゲよりかはマシであるが、それでも欧米人にとっては恥ずかしいらしい。私の近くにいた白人の若い男性が「このタイプは好きじゃないんだよなぁ」と仲間に愚痴を漏らしていた。


お尻丸出しで浴びるタイプのシャワーは、欧米人に好まれないようだ

 さて、洗濯物を干し終わったら町の散策である。まずは町の全貌を把握すべく、アルベルゲの裏手にそびえる丘を登ってみた。丘の上にも小さな礼拝堂が鎮座していたが、それ以上に気になったのは高い塔を持つサン・ペドロ教会である。私は丘を下り、その教会へと向かう事にした。


丘の上から見るサン・ペドロ教会の尖塔


14世紀から18世紀にかけて建てられたという

 私は教会のスタンプが欲しかったのだが、どうやらミサに参加しないと押して貰えないようである。ミサが行われるのは20時との事なので、それまでに観光と夕食を済ませて戻って来よう。

 教会から出ると、教会前広場の片隅に建つ礼拝堂の前にシスターさんが立っていた。礼拝中なのだろうか、シスターさんは私に気付くと、こちらにおいでと手招きをする。私はシスターさんに促されるまま、礼拝堂へと足を踏み入れた。中では数人のシスターさんが並べられた長椅子に座っており、祭壇に向かって祈りを捧げていた。


礼拝堂の前にたたずむシスターさん

 私が入口付近でぼんやりしていると、招いてくれたシスターさんがやるべき事を身振り手振りで教えてくれた。どうやら紙に願い事を書き、祭壇に添えなさいと言っているようである。私は少し思案した後、結局「無事サンティアゴまで辿り着けますように」という、あたりさわりの無い願い事を書いた。それを二つに折り、祭壇に供えて祈りを捧げる。


すると、シスターさんはこのようなバンドをくれた

 さて、夕食である。今日は久々に自炊ではなくレストランで食べようと思う。……と言うのも、このメリデはプルポ(タコ)で有名な町らしいのだ(アストルガのアルベルゲでSさんから聞いた知識である)。海からやや離れているのになぜタコが有名になったのかは分からないが、まぁ、名物という事で食べてみたくなった次第である。タコはタウリンが多く含まれているし、長距離歩いた後の栄養補給としても良いだろう。

 教会の近く観光案内所があったので、そこのお姉さんにおいしいプルペリア(タコ店)を教えて頂いた。この町にはプルペリアが三件あるそうで、いずれも国道沿いに店を構えているのだが、そのうち巡礼路との交点にある店が一番おいしいそうだ(ちなみに、日本の某巡礼ガイドブックに書かれているお店は、お姉さん曰く「イマイチ」との事である)。


観光案内所のお姉さんイチオシ、一番うまいというプルペリア

 お店に入ると、入口の脇に大きな寸胴鍋が置かれていた。どうやらこれで茹でているようである。内装はレストランというよりバルのような感じで、なかなか良い雰囲気だ。席に着くと、お兄さんが注文を取りに来た。プルポは大中小の3サイズがあったが、かなり量が多そうだったので一番小さいヤツを頼む。一皿7ユーロであった。

 ついでにワインも頼もうと思ったが、ティント(赤)、ブランコ(白)のどちらにすれば良いのか分からない。海産物だし、やはり白ワインが良いのだろうか。お兄さんに尋ねてみると、「他の店は白ワインだけど、うちのは赤ワインが合うよ!」と力説されたので、それではと赤ワインのボトルを注文する。


これがホントにうまかった!

 出てきたプルポは、これまでの私の人生におけるタコ食の観念を根本からひっくり返す程においしかった。タコと言えば、噛んでも噛んでもくにゃくにゃと噛み切れず、私の中では非常にビミョーな位置付けの食べ物であった。しかし、ここのプルポはサクサクと白身魚のように噛み切れ、それでいてジューシーなのだ。ここまで柔らかいタコを食べたのは生まれて初めてで、本当にびっくりした。

 ガーリックの風味が漂うオリーブオイルとパプリカ粉で味付けされており、それがまたタコに合う。このガッツリとした味付けは、確かに白ワインでなく赤ワインにぴったりだ。うまいうまいとあっという間に平らげてしまった。皿に残ったオリーブオイルも、付け合せで出てきたパンに染みこませて食べるとこれがまたうまい。私は大満足で店を後にした。

 教会のミサに出席し、終わった後に司祭さんから教会のスタンプを巡礼手帳に頂いた。帰りにスーパーに寄って缶ビールを買ったものの、飲もうとプルタブを開けた途端に手を滑らせてしまい、中身の半分くらいをこぼしてしまった。……これは、今日はもう飲むなという神の啓示だろうか。私は素直に宿へと引き返し、歯を磨いてベッドに入った。