マドリード




 ガリシア地方は本当に雨の日が多い。この地において、スカッと雲一つない晴天の日などありえるのだろうか。私はしとしと降る雨をアルベルゲの玄関口から眺めながら、そんな事を思っていた。まぁ、でも、雨の中でサンティアゴに別れを告げるというのも、それはそれで風情があって良いだろう。

 7時にアルベルゲを出た私は、濡れて滑りやすくなった石畳に気を付けつつ、カテドラルまでのんびり歩いた。雨が降る早朝の旧市街はひと気がほとんど無く、聞こえてくるのはレインウェアのフードにぶつかる雨音と、ぱちゃぱちゃと水を蹴る私の足音だけである。


オブラドイロ広場も、人の姿はごく僅かであった


カテドラルから南側の路地を進んで旧市街を抜ける

 旧市街を出て新市街に入ると、雨脚は若干弱まった気がした。立派な建物のガリシア州議会を横切り、さらに南へ進んで行くと、程無くしてサンティアゴ駅の駅舎が見えた。町の規模に比べて、小ぢんまりとしたたたずまいの可愛らしい駅である。


意外と小さなサンティアゴ・デ・コンポステーラ駅

 私はびしょびしょに濡れたレインウェアを袋にしまい、それから券売の窓口に向かった。マドリードまでの片道料金は55ユーロ。サンティアゴからの帰りの鉄道代は、巡礼手帳を提示すれば割引になると聞いていたのだが、そんな事は全くなく、私が巡礼手帳を差し出しても駅員は首を振るばかり。きっちり55ユーロ徴収された。

 駅に到着したのが8時過ぎ。次のマドリード行きの列車は9時15分発なので、まだいささか時間がある。しかしこれといってやる事はなく、駅のベンチに腰掛けながら、無為に時間を浪費するだけであった。まぁ、1時間では旧市街に戻るという事もできないし、それに雨はいまだ降り続けているのだから、こればかりは致し方ない。

 出発時間の間際になって、新幹線のような流線形フォルムの列車がホームに入ってきた。これはアベ(AVE)と呼ばれるスペイン版の新幹線らしい。チケットを見ると車両と座席が指定されていたので、その通りの席に座る。


ホームに入ってきたアベ


日本の新幹線より狭いが、なかなか清潔感がある

 車内は満席ではないものの、それなりの数の乗客で埋まっていた。席の向きは固定されており、私の席は進行方向に対して逆向きだったのが少しだけ残念だ。私が席に座るや否や、列車はゆっくりとサンティアゴの駅を出発した。サンティアゴの街が徐々に離れて行くのを見ながら、私はふぅ、と一つため息を付く。

 次の駅であるオーレンセまでは快調に飛ばしていたアベであったが、オーレンセからしばらくの間はスピードを落としてゆっくり走っていた。それでも車体はガタガタと激しく揺れ、ロデオマシーンのようである。どうやら高速鉄道の専用線路ではなく、在来線の線路を走っているようだ。車窓の景色は山間の谷間が続き、また空は相変わらずの雨模様で、どんよりとした雲によって覆われていた。

 あまり変わり映えの無い山の景色を眺めているうちに、私はいつの間にか眠りに落ちていた。どのくらいの時間が経ったのだろう、ふと目を覚ますと、窓から見る景色がすっかり変わっていて驚愕した。どこまでも広がる黄色い大地に、白い雲がぷかぷか浮かぶ青い空。どうやらガリシア地方を抜けてメセタに入ったらしい。


久しぶりに見たメセタの台地である

 あれだけ立ち込めていたねずみ色の雲は一体どこへ行ったというのだろう。緑の濃い森林は? 起伏の激しい山岳は? 僅か一時間足らずのうたた寝であったのに、まるで一昼夜眠りこけていたような景色の変貌ぶりである。巡礼中にセブレイロ峠を越えてガリシア地方に入った時にも思った事だが、メセタとガリシア地方は隣り合っていながら、気候と植生の違いがあまりにも顕著である。それはスピードの遅い徒歩よりも、高速な鉄道の方がはっきり分かるというものだ。

 さらに私は少し眠り、14時50分ぐらいにマドリードのチャルマンディン駅に到着した。まずは宿を確保しなければならない。あらかじめ調べておいたドミトリー式の宿に向かおうと思うが、さすがは首都なだけあって町の広さは半端ではない。不慣れながらもいくつかの地下鉄を乗り継ぎ、プラド美術館近くのセビージャ(Sevilla)駅に到着した。


マドリード、セビージャ駅界隈の町並み


なかなか個性的なデザインの建物が多い

 都会なのでどこまでもみっちりと建物が続いているが、いずれの建物も高さがほぼ一緒でまとまった都市景観を作り出している。しかしフランスのパリように建物の意匠が統一されてはおらず、むしろ個性的で多種多様、華やかな町並みで見ていて飽きない。まさにスペインのお国柄そのもののような街という印象であった。

 小さな商店が集まる路地を進んで行くと、お目当てのドミトリーを発見した。思っていたより繁華街に位置しており、なかなか便利そうな立地の宿である。受付のお兄さんに一泊する旨を伝え、手続きをしてキーを受け取る。宿泊費は22ユーロ。巡礼宿に慣れていた身からすると、かなり割高な印象だ。


Wi-Fiも飛んでいた、ドミトリーの受付

 部屋は4人部屋で、私が4人目の客だった。どうやらかなり混んでいるようである。薄暗い部屋にいてもしょうがないので、とりあえず近くの雑貨屋で(華僑が経営している商店だった)ドライフルーツの入ったケーキとビールを購入し、宿のキッチンで昼食にした。


特に観光はせず、宿の周囲をうろうろするだけだった

 どこかに行こうとも思ったのだが、マドリードは広すぎてどこへ行けば良いのか分からない。ノープランで観光するにはムリがある町である。しかもサンティアゴと比べて太陽がギラギラと暑く、動くのがなかなかに億劫だ。

 結局は宿の周囲を散歩するだけで夕方になってしまった。先程の商店とは別の小さなスーパー(ここもまた華僑の経営であった。マドリードには華僑が多いようだ)でスパゲティとソース、それとワインを購入し、宿へと戻る。


まっこといつも通りな最後の夕食である

 キッチンでスパゲティを茹でて食べる。宿にいる人々の国籍は様々で、世界各国からの旅行者が集まっているようであった。ただ、キッチンの食器や調理器具は乱雑に置かれており、隣りのテーブルからは汚い意味の英単語が聞こえてきたりと、巡礼者の方がまだお行儀良かったかな、などと思ったりもした。

 その後もビールを飲んだりネットをしたりしながら宿でだらだらと過ごし、23時にベッドに入った。同室の人々はまだ一人も帰ってきておらず、どうやら夜遊びに励んでいるようである。寝入った後にうるさくされるのは嫌だなと思ったが、その心配は杞憂に終わり、私は物音に目を覚ます事もなく朝までぐっすり眠る事ができた。