概要 | |
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保有国 | インド |
記載年 | 1993年 |
該当登録基準 | (4)−文化遺産 |
構成資産 |
クトゥブ・ミナール,アラーイー・ミナール基部 クワットゥル・イスラーム・マスジッド(モスク), アラーイー・ダルワザ(門),イマーム・ザミン廟など |
クトゥブ・ミナールとその建造物群は、インド最古のイスラーム遺跡群である。
悠然とそびえるクトゥブ・ミナールおよびそれを取り巻くイスラーム遺跡群は、
ゴール王朝の将軍クトゥブッディーン・アイバクが、
当時北インドを支配していたラージプート族を打ち倒し、
デリーを含む北インドを征服したた記念に建てたものだ。
インドで初めて立てられたモスク、クワットゥル・イスラーム・マスジッドの建造が開始されたのは1192年、
クトゥブ・ミナールの建造が開始されたのは1199年のことであった。
その後ゴール朝が後継者争いで衰退すると、
クトゥブッディーン・アイバクはゴール朝から独立、1206年に奴隷王朝を打ち立てる。
それはインドにおいて初めて誕生したイスラーム王朝であった。 クトゥブ・ミナールとは「勝利の塔」という意味のミナレットである。 その名前の由来は、当然、上記の史実によるものだ。 短命であったクトゥブッディーン・アイバクはその完成を見ることはできなかったが、 その後の王たちが完成させ、増築を行っていった。 なお、ミナレットとはモスクに付随して立てられる塔であり、 塔の頂上から礼拝の時間を呼びかけ(アザーン)を行うことを目的とするものである。 現在72.5mの高さを持つクトゥブ・ミナールはインド最大のミナレットであるが、 かつてはそれよりもさらに高く100mもの高さがあった。 しかし飛行機事故により頭頂部を失い現在の高さになったのだという。 クワットゥル・イスラーム・マスジッドは「イスラームの力」という意味のモスクである。 このモスクは急ごしらえで作られたため、 その建材にはヒンドゥー教寺院やジャイナ教寺院を破壊しその石材をそのまま転用した。 その為、モスクの壁や柱にはヒンドゥー教の神々の像が掘り込まれていたりする。 偶像崇拝を禁止しているイスラームのモスクにおいて、 偶像による装飾が残っているのは非常にまれだ。 建設当時は漆喰を塗って偶像を隠していたが、 その後漆喰がはげ、剥き出しになってしまったのだという。 モスクの中にはには高さ7mの鉄柱が立っている。 これはチャンドラヴァルマンの鉄柱といい、4世紀に作られたものだとされる。 驚くことにこの鉄柱の鉄純度は98%、しかも一度も錆びたことがないという。 クトゥブ・ミナールの北には巨大なプリンのようなレンガの山があるが、 これはアライ・ミナールというミナレットの根元の部分である。 このような姿を現在に晒しているのは、破壊されてこのようになったのではなく もともと未完のまま放置されてしまったためだ。 奴隷王朝を滅ぼしたハルジー王朝の王アラウッディーンは クトゥブ・ミナールの2倍の高さを持つミナレットを建てようとしたが、 1316年に王は暗殺されてしまったため、その建設も中止してしまったのだという。 |
旅行情報 | |
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所在地 | デリー |
アクセス | ニューデリー駅よりバスで1時間 |
必要見学時間 | 半日 |
クトゥブ・ミナールはインドの首都デリーの郊外南側に位置している。
そこまではタクシーやオートリキシャ(三輪タクシー)で行くこともできるが、
最も安いのはニューデリー東側から出る市バス(505番バス)である。
市バスならば料金わずか10ルピーだ。
車掌にあらかじめ「クトゥブ・ミナール・コンプレックス」と行っておけば、
クトゥブ・ミナール・コンプレックスの公園前で下ろしてくれる。 クトゥブ・ミナール・コンプレックスはさまざまな構造物から成っているが、 きちんとした形で残っているものはクトゥブ・ミナール他、それほど多くはない。 しかし、それでも注目して見るべき点は多くある。 美しいシルエットのクトゥブ・ミナールはもちろんのこと、 ヒンドゥーの神々の偶像が残されたままのクワットゥイル・イスラーム・マスジッド回廊や、 その中庭に立つチャンドラヴァルマンの鉄柱、 未完成ではあるが完成したらクトゥブ・ミナールの倍にはなったであろう アライ・ミナールなどはしっかり見ておきたい。 なお、クトゥブ・ミナールは階段があり上部まで登ることができるようになっているが、 現在ではその入り口は封鎖され登ることは禁止されている。 これは1979年に見学中の子どもが転落死してしまったためだ。 クトゥブ・ミナール・コンプレックスから東へ約7kmのところには、 14世紀初旬に建造されたデリー・イスラーム政権の三代目の都城、 トゥグラカーバード遺跡が残されている。 またトゥグラカーバード遺跡から南東に2kmのところには、 太陽神スーリヤを奉る寺院とともにスーラージ・クンドという階段井戸がある。 これはデリーに残るヒンドゥー時代の数少ない遺跡であるという。 (2005年2月 訪問)
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写真 | |
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