万里の長城

万里の長城

概要
保有国 中華人民共和国
記載年 1987年
該当登録基準 (1)(2)(3)(4)(6)−文化遺産
構成資産 山海関、老龍頭長城(河北省)
八達嶺長城、司馬台長城、金山嶺長城(北京市)
嘉峪関、玉門関(甘粛省)など
 万里の長城は中国北部を東西に横断する城壁遺跡である。渤海(ぼっかい)に突き出た河北省の老龍頭長城、山海関を東端とし、莫高窟で知られるシルクロードのオアシス都市、敦煌に程近い甘粛省の嘉峪関を西端とする万里の長城は、秦の始皇帝の時代にその原型が作られ、それから明の時代に至るまで作り続けられてきた巨大な城壁である。全長6352kmにもおよぶ万里の長城は、世界一巨大な建造物としてその名を馳せている。

 紀元前5世紀ごろより、モンゴル高原には匈奴(きょうど・フンヌ)と呼ばれる遊牧民族の国家が存在していた。当時の中国は春秋戦国時代。複数の国々が覇権を争っていたのだが、匈奴の存在は各国共通の悩みであった。それらの国々はその匈奴や周辺国から国を守るため、それぞれが独自に城壁を築いて領土を囲い、攻められるのを防いでいた。その後の紀元前221年、中国を統一して秦を建国した始皇帝は、武将である蒙恬を北方へ派遣して匈奴を追いやり、そして匈奴の侵入を防ぐため、戦国時代に各国が築いた城壁を修復して繋ぎ合わせ、一つの巨大な長城に纏め上げた。それが、万里の長城の始まりである。

 秦時代の長城は土を積み固めただけの土塁あり、高さも騎馬民族の馬が乗り越えらないくらいのものであった。位置も現在の長城より北にあったという。その後も長城は領土の変化や北方民族との力関係などに合わせ築かれ続けていった。しかし13世紀に入ると中国は広大な力を持ったモンゴル帝国によって攻め込まれ、遊牧民族の国家である元に支配されることとなる。元の力が弱まってきた1368年、漢民族国家の明が南京で興り元を北へと追いやることに成功。明は元への対策として万里の長城をより強力なものへ一新することに決め、数百万人の農民と30万人の兵士を動員し、長城を土塁から石やレンガ造りのものに作り変えた。こうして、万里の長城は現在に見られるような姿となったのだ。

 明の首都であった北京近郊を守る長城は、より堅固で保存状態も良いことで知られている。急斜面の山々を這い昇るように作られたそれらの城壁は、高さおおよそ5〜8m。城壁の上には銃眼が開けられた壁が設けられている。長城には一定間隔ごとに2階建ての城楼が設けられているが、これは兵士が詰める砦であり、上層が見張り台兼戦闘台、下層は兵士の住居であった。敵が来たときなどは、ここからのろしを上げて知らせたという。なお、明は元と対立していたばかりでもなく、長城には交易所が数多く設けられ、盛んに交易も行われていた。

 万里の長城は端から端まで一本に繋がっているようなイメージがあるが、実はそうではなく、現在は途切れ途切れの状態となっている。保護、保全もすべての場所においてなされている訳ではなく、きちんとした保護策が講じられているのは全体のおよそ2割程度であるという。ダム開発によって水に沈んだ箇所もあり、また貧しい地域では家の建材とするために長城の石材を持ち出したり、道路を通すのに邪魔だということから破壊されるケースもあり、かつての長城は、今はもうその半分が消滅してしまっていると中国長城学会は報告している。

旅行情報
所在地 河北省山海関から甘粛省の嘉峪関にかけて
(河北省、北京市、山西省、陝西省、内モンゴル自治区、寧夏回族自治区、甘粛省)
アクセス ■八達嶺長城
北京の徳勝門よりバスで1時間30分(渋滞しない場合)
必要見学時間 ■八達嶺長城
1日
 万里の長城はおそらく中国で最も有名な建造物であろう。万里の長城は河北省山の海沿いにある海関から甘粛省の砂漠にある嘉峪関までと極めて広範囲に渡って存在するが、このうち最も手軽に行けるのは北京市の長城であろう。北京市の郊外にはいくつかの見学できる長城があり、訪れることができる。その中で最も有名なのは八達嶺長城だ。八達嶺長城は北京の徳勝門より919路快速バスで1時間30分ほどいったところにあるが、土日など観光客が多い日は道路が渋滞するため、それより遥かに時間がかかる場合がある。もし八達嶺長城近くで渋滞に巻き込まれたら、途中で降りて歩いた方が早いかもしれない。

 八達嶺長城は万里の長城の中で最も保存状態が良い部分であったことから、早くに整備が行われ公開された。それゆえ最も有名で、訪れる観光客もとにかく多い。八達嶺長城では北城と南城を歩くことができるが、どちらも人を掻き分けて上るという印象だ。心持ち、南城の方が人は少なくのんびりできるが、南城の方が序盤の坂道が急で上るのに苦労する。人気である分、公共はしっかり整備されておりツアーも盛ん。長城にはロープウェイやなぜかローラーコースターまである。

 北京から八達嶺長城へ行く途中には居庸関長城がある。これは居庸関という紀元前5世紀ごろに設けられた関所で、後に長城へと接続された。北京へ繋がる最も重要な関所であり、天下第一雄関とも称されている。近年建物などが再建され、公開されたという。また八達嶺長城と居庸関長城の間には水関長城がある。居庸関長城も水関長城も八達嶺長城ほどの人はなく、混雑を回避して見学することができるだろう。他にも北京近郊には、司馬台長城、金山嶺長城、慕田峪長城といった見学可能な長城がある。

 北京以外では、長城の東の端である山海関、老龍頭長城がよく知られている。山海関のある秦皇島市は北京から高速列車で2、3時間程度で行くことができるため、比較的容易に訪れることができるだろう。山海関は秦皇島市からさらに15kmほど離れており、秦皇島市の駅前からは33路バスで山海関の南門に行くことができる。山海関へは南門から徒歩15分ほど。老龍頭長城へは南門からさらに25路バスに乗り換えて行く。

(2007年8月 訪問)

写真