中之条町六合赤岩

―中之条町六合赤岩―
なかのじょうまちくにあかいわ

群馬県吾妻郡中之条町
重要伝統的建造物群保存地区 2006年選定 約63.0ヘクタール


 群馬県北西部の山間に広がる中之条町六合(くに)地区。合併前の村名である六合村は、六つの山村集落から成る事から付けられた名である。そのかつての六合村を構成していた六集落の一つである赤岩集落は、白砂川の左岸に形成された河岸段丘上に存在する。山麓の傾斜地を横切る街道に沿って、石垣で整地された土地に家屋や土蔵が建ち並び、またその上部には神社や祠が鎮座し、下部には田畑が広がるという、江戸時代から変わらぬ土地利用のあり方を残した貴重な山村集落だ。養蚕が盛んであった上州の土地柄、赤岩集落の主屋は幕末以降の伝統的な養蚕家屋を踏襲した形式のものが多く、時代ごとの生活や生業の変遷に応じた集落景観を目にする事ができる。




白砂川の対岸から見る赤岩集落全景
山の中腹に家屋が並び、その下には田畑が広がっている

 重要伝統的建造物群保存地区に選定された赤岩集落の範囲は、その町並みのみならず、周囲に広がる山や田畑を含めた、白砂川の対岸から望む全てのエリアをカバーした広大なものである。赤岩の人々は田畑で農業を営み、また山に入って木材を調達してきた。いわば赤岩集落における生業の歴史を示す全範囲を包括した設定である。なお、深く切り込んだ白砂川の河岸段丘上に存在する赤岩集落は、川沿いにありながらも水の便が悪く、それ故に水田は少なく農耕地が多い。またその収穫だけで生活する事は難しく、古くより農作業に加えて副業が行われてきた。天明8年(1788年)の記録では麻布の生産が行われており、そして幕末からは養蚕が始められるようになる。




主屋や土蔵が建ち並ぶ赤岩集落の町並み

 明治維新後、急速な近代化を推し進めていた明治政府は、外貨獲得の為に当時日本最大の輸出品であった生糸の生産を推奨した。それまで日本の製糸は繭農家が座繰りで行っていた為、品質は高かったが生産効率が低かった。そこで明治政府は明治5年(1872年)に日本初の機械式製糸場である富岡製糸場の操業を開始。フランス製の繰糸機や蒸気機関の導入により生糸の大量生産が可能となり、それが呼び水となって日本の製糸業は近代化を果たした。元々養蚕が盛んであった上州では養蚕業がより活発となり、赤岩集落でも養蚕が主要産業となる。明治時代後期には養蚕指導組織である高山社の指導を受け、赤岩集落の養蚕業は昭和30年代まで衰えることはなかった。




赤岩の養蚕農家建築
二階にベランダ状の通路を設ける「デバリ」が特徴的だ

 赤岩集落に残る養蚕農家の主屋は、明治後期から大正、昭和初期にかけて建てられたものである。それらは二階建てが主で、一階が居住の為のスペース、二階が養蚕の為のスペースとなっている。その特徴は「デバリ(出梁)」と「セガイ」にあり、そのうち「デバリ」は一階天井の梁を外に張り出す事で、二階部分の外側にベランダを作る構造だ。二階の室内には部屋いっぱいに蚕棚が並べられる為、人が行き来するスペースを十分に確保する事ができない。その為、デバリによりベランダ状の通路を部屋の外側に設けるのである。また「セガイ」は二階天井の梁を外に出す事で軒先の空間を広く取る構造だ。これらはいずれも、より広い作業空間を確保する為の工夫なのである。




三階建ての湯本家住宅
一、二階は享和3年(1803年)、三階は明治30年(1897年)の建立だ

 赤岩集落の中程には、湯本家という旧家が存在する。その三階建の主屋は享和3年(1803年)に建造された古いもので、防火の為に赤土で厚く壁を塗り込めている事から塗屋造(ぬりやづくり)と呼ばれている。なお、湯本家は鎌倉時代に源頼朝に仕え、草津温泉を発見した功績から「湯本」の性を名乗ることを許された湯本氏を先祖に持つ。戦国時代から江戸時代初頭にかけては、真田氏の旗本として草津や六合の周辺を支配していた。江戸時代初期に隠居して赤岩へ移り、医業に携わったという。幕末には開国論者として幕府に追われていた蘭学者、高野長英(たかのちょうえい)をかくまったと伝わっており、湯本家住宅の二階には長英が滞在していたという「長英の間」が残されている。




赤岩集落と日影集落の境に位置する双体道祖神

 赤岩集落が存在する旧六合村には数多くの民話が伝承されており、それ故「民話の里」とも称されている。地区内には小さなお堂や野仏など、昔ながらの信仰の証左が多数点在しており、特に外界の疫病や悪霊から集落を守る為に祀られる道祖神(どうそじん)は、旧六合村内で32体を数え、しかもその多数が男女が仲睦ましく寄り添う双体道祖神である。その建造年代も江戸時代末期と古いものが多い。赤岩集落の中心にも一体の双体道祖神が祀られており、また集落の東端に鎮座する赤岩神社を始め、宝暦14年(1764年)に建てられた上の観音堂や、文化8年(1811年)に建てられた向城の観音堂など、江戸時代から大きく変わらぬ信仰の景観が今もなお残されている。

2006年11月訪問
2011年04月再訪問




【アクセス】

JR吾妻線「長野原草津口駅」より徒歩約60分。

JR吾妻線「長野原草津口駅」より中之条町営バス「花敷温泉方面行き」で約15分、「南大橋バス停下車」徒歩約5分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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