高山市三町

―高山市三町―
たかやましさんまち

岐阜県高山市
重要伝統的建造物群保存地区 1979年選定 約4.4ヘクタール


 岐阜県北部の盆地に広がる高山は、古代より飛騨地方の中心地として栄えてきた歴史の町である。現在も宮川の東岸に広がる高山の町並みは、高山藩初代藩主の金森長近(かなもりながちか)によって整備された、三町と呼ばれる城下町時代の町割を基礎として、江戸時代末期から江戸時代にかけて建てられた、洗練された意匠の商家町家が連なっている。特に上三之町においては、その狭隘な通りに沿って、往時の町並みがほぼ完璧な状態で保存されており、商家町として栄えた当時の様子をそのまま今に伝えている。その上三之町を中心とした一帯、南北約420メートル、東西約150メートルの範囲が「高山市三町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。




上三之町の町並み
屋根の上には火除けの屋根神を祀った祠が乗る

 美濃国出身の金森長近は、長らく織田信長に仕え、その功績により越前大野を与えられた。信長の死後は柴田勝家に付くものの、勝家の自刃後は豊臣秀吉の下へと入り、秀吉の命を受けて飛騨の三木自綱(みつきこれつな)を攻めてこれを落とし、天正13年(1585年)には秀吉より飛騨一国を譲り受け、その領主となった。長近は天正16年(1588年)より高山城の築城を開始し、同時に城山の麓に城下町の整備を進めていく。三本の道路を通し、そこを町人の住む三町としたのだ。また、寺院は京都を参考に東山へと集められ、こうして城下町高山は形作られた。長近はその後の関が原の戦いでも東軍に属し、江戸時代に入っても領土を失うことなく高山藩の初代藩主となった。




上三之町は古い建物の密度が極めて高い

 以降、高山では金森氏の時代が続いたが、元禄5年(1692年)、六代藩主の金森頼時(かなもりよりとき)の時代に出羽国へと転封になり、それから明治時代に至るまで、高山藩は天領として幕府により統治されていた。これは、幕府が飛騨の豊富な資源に目を付けた為と言われている。その後は有力な商家が数多く輩出され、高山は商家町として発展したが、その地理的な問題より近代化が遅れ、また建物の建材、造作も立派で建替える必要が無く、結果的に伝統的建造物が林立する古い町並みが良好に保たれたという。昭和30年代後半には既に高山を訪れる観光客が多くおり、住民の人々は町を美しく保とうと自主的に町の美化や町並み保存に努め、その結果、今の高山はあるのである。




上三之町よりも道の幅が広い、上二之町の町並み

 高山市三町重伝建の選定範囲は、町人地として金森長近が整備した三町のうち、南半分の上之町に相当するエリアである(なお、三町の北半分である下之町に越中街道沿いの町並みを加えた範囲もまた、高山市下二之町大新町という名で2004年に重伝建に選定された)。特に上三之町ではほぼ完璧に町並みが保存されており、3、4メートルほどの狭い通りの両側に、統一された意匠の町家が途切れなく連なるその様は圧巻である。これらの町家の多くは、板葺の切妻屋根で平入。軒高は4.2メートル程度と低く揃えられているが、これは高山陣屋に敬意を表する為、あえて高さを抑えた厨子二階や中二階建としているのだ。その反面、内部は商家の繁栄を物語る、大変立派な作りである。




高山の町家は格子が多く用いられている
高山格子の枡目は下部が正方形に近く、上部は縦長になるのが特徴だ

 建ち並ぶ高山の町家は、いずれも黒っぽい色彩で統一されているが、これは柿渋にベンガラとすすを混ぜた塗料で着色されている為である。その意匠は格子が多用されており、一階部分では目の細かい千本格子や吹寄せ連子格子、または高山格子と呼ばれる升目状に組まれた格子となっている。前方へせり出した出格子も多い。二階部分は板連子や板格子がはめられており、こちらも土壁の露出は少ない。庇を支える腕木の木口は、胡粉塗(ごふんぬり)で処理されている。これは部材の断面を塗装する事で、割れたり腐ったりするのを防ぐ為ではあるが、意匠の美しさを高めるアクセントにもなっている。このように、高山の町家は飛騨の匠と称されてきた飛騨大工たちの手腕が存分に発揮された、非常にクオリティの高いものとなっている。




町並みの南端に位置する、高山市政記念館

 一之町、二之町、三之町の通りが合流する南の端には、高山市政記念館が建てられている。これは明治28年(1895年)、近世高山を代表する名匠、八代目阪下甚吉(さかしたじんきち)によって建てられた和洋折衷の建物である。元は高山町の役場であったもので、議場として作られた二階の広間は、天井が折上格天井(おりあげごうてんじょう)という格の高い様式となっている。また、この建物は高山で最初にガラス窓が採用されたものでもある。この元役場の通りを西へ行き、宮川に架かる中橋を超えると、天領時代の代官所である高山陣屋が現存する。この高山陣屋は今もなお藩政時代の建物が残されている唯一の例として貴重であり、国の史跡に指定され保護されている。

2010年05月訪問




【アクセス】

JR高山本線「高山駅」より徒歩約20分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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