高山市下二之町大新町

―高山市下二之町大新町―
たかやまししもにのまちおおじんまち

岐阜県高山市
重要伝統的建造物群保存地区 2004年選定 約6.6ヘクタール


 戦国時代末期、豊臣秀吉により飛騨一国を与えられた金森長近(かなもりながちか)は、高山城を築くと共に城下町を整備した。今に残る高山の町並みは、城下町時代の町人地である三町を元に、その後台頭した豪商たちによって築かれたものだ。三町とはその名の通り三本の通りから成る町で、安川通りを挟んで南側が上町、北側が下町となっている。そのうち上町は江戸時代から明治時代にかけての町家が極めて高密度で現存しており、高山の代表的町並みとして「高山市三町」という名で重伝建に選定済みだ。しかしながら、下町の下二之町の通り、およびその北隣に位置する越中街道沿いの大新町にもまた、明治時代から昭和初期にかけての町家が良好に残されており、「高山市下二之町大新町」として2004年、重伝建に選定された。




大八賀川の北側、大新町の町並み

 高山藩主となった金森氏は、六代金森頼時(かなもりよりとき)の時に転封となり、以降、高山は明治時代に入るまで、幕府の直轄地である天領となった。その為、武家勢力の影響が少なく、代わりに商人が力を持って豪商となり、大勢の小作人を従え富を成した。その豪商たちは「旦那衆」と呼ばれ、高山の町に華やかな町人文化をもたらし、また城下町時代の町人地である三町に、極めて立派かつ洗練された佇まいの町家を建てたのだ。それらの町家は、古くより飛騨の匠と称され、中央でも重用されてきた飛騨大工の手によるものであり、代官所に遠慮して軒こそ低いものの、内部は目を見張るような木組を持ち、またその前面には繊細な格子を多用した、質の高いものとなっている。




高山町家の代表格である、日下部家住宅

 三町のうち上町は、同じような意匠の町家が林立する、統一感ある町並みが特徴だが、下町では明治時代から昭和初期にかけて、各時代ごとの特徴を反映したバラエティある町並みとなっている。また、観光地化されている上町とは違い、下町では今もなお人々の生活に根ざした町家の風景を見る事ができる。しかしながら、人々の生活の場にあるが故、改装されたり建替えられてしまったものも少なくない。そのような下町の中でも、下二之町の通りは町家の現存度合いが特に高く、かつての商家町としての名残を見る事ができる。それらの町家は、基本的には大戸や出格子を持ち、庇が付く高山町家の形式だが、時代が進んだものではガラス戸も見られ、また軒高も高くなっている。




吉島家住宅内部の梁組
日下部家住宅と吉島家住宅は、いずれも重要文化財に指定されている

 下二之町からさらに北、宮川に注ぐ江名子川の橋を渡ったその先は、大新町と呼ばれる地区になる。そこには、高山の町家の中でも群を抜く程に立派な豪商の邸宅である、日下部家住宅と吉島家住宅が二軒並んで建っている。日下部家住宅は明治12年(1879年)の建造で、豪快かつ逞しい男性的な建築。吉島家住宅は明治40年(1907年)の建造で、繊細で気品のある女性的な建築と言われる。いずれも主家は桁行が17メートル程度あり、中二階建てだが内部の天井は極めて高く、立体的に組まれた梁組が見事である。高山の町家は総じて黒っぽい色をしているが、これは通常、ベンガラとすすを混ぜた塗料で着色されている為なのに対し、これら二軒では生漆が用いられているという。




越中街道沿いの平均的な町家形式を残す宮地家住宅(左)

 高山からは、東西南北それぞれの方面へ街道が延びている。東は野麦峠を越えて関東地方へ至る江戸街道、南は飛騨川沿いに尾張へと下る尾張街道、西は郡上へ続く郡上(白川)街道、そして北は富山へ至る越中街道だ。大新町はこのうち北に向かう越中街道沿いに作られた町であり、古い町並みもこの街道に沿って続いている。その東には櫻山八幡宮という神社が鎮座しているが、ここは毎年10月に豪華な屋台が曳き回される、八幡祭が行われる事で知られている。屋台とは山車の事であり、高山では地区ごとに屋台を一台ずつ所有、管理されている。屋台を守るにあたり、人々は屋台組を組織しているが、その結束力は極めて強く、地域コミュニティの中心として今も機能している。




下二之町の屋台蔵

 実際、高山の町並みを歩いていると、地区ごとに巨大な屋台蔵を備えているのが目に留まる。高山の屋台は箱型の車に社を載せた形状を採り、彫刻や装飾が著しく、中には綴錦(つづれにしき)で飾り立てていたり、からくりを用いているものもある。その豪華さより、高山の屋台は「動く陽明門」とも称されており、国の重要有形民俗文化財に指定されている。これらの屋台が曳き出される、4月の山王祭(日枝神社)と10月の八幡祭は、総称して高山祭と呼ばれ、京都の祇園祭、および長浜の曳山祭と並び、日本三大山車祭に名を連ねるのと共に、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。また現在、ユネスコの無形文化遺産にも推薦されており、近いうちに登録される見込みである。

2010年05月訪問




【アクセス】

JR高山本線「高山駅」より徒歩約30分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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