朝倉市秋月

―朝倉市秋月―
あさくらしあきづき

福岡県朝倉市
重要伝統的建造物群保存地区 1998年選定 約58.6ヘクタール


 福岡県の中央に広がる山間部。その小盆地に位置する秋月は、福岡藩の支藩であった秋月藩の城下町として栄えた歴史を持つ。かつては「秋月千軒の賑わい」と称されるほどに繁栄した秋月も、廃藩後の明治時代には人口が流出するなど衰退の憂き目に遭う。しかしながら過度な開発が抑制された為か、路地や水路といった町の基本的な構成は今もなお江戸時代の明和期(1764年〜1771年)や文政期(1818年〜1830年)に描かれた地図のまま残り、城跡のみならず武家地、町人地、社寺など、江戸時代の初期に築かれた小城下町としての景観を現在に伝えることから、かつての城下町を包括する町のほぼ全体が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




嘉永3年(1850年)に建てられた、秋月城跡に残る長屋門

 秋月の歴史は鎌倉時代の建仁3年(1203年)、在地の豪族である秋月氏が古処山に城を築き、その麓に居館を築いたことに始まる。戦国時代、秋月氏は周辺地域を制圧して勢力を伸ばしたものの、豊臣秀吉の九州征伐に抵抗したことにより日向国の高鍋へと移封されてしまった。江戸時代の元和9年(1623年)、福岡藩の初代藩主である黒田長政(くろだながまさ)の三男、黒田長興(くろだながおき)が秋月城を築いて移り住み、以降は秋月藩の城下町として発展することとなった。明治時代に入り、秋月藩は廃され秋月城も棄却されたものの、その跡地には石垣や濠、大手門や長屋門などが現存しており、かつての城の様相を部分的ながら今に伝えている。




かつての上級武士であった久野家の邸宅

 秋月城は、小盆地の中央を東西に流れる野鳥川を天然の濠として利用して築かれた。小盆地の南東部に秋月城を置き、それを取り囲むよう、野鳥川の南側と東側に武家町を配していた。野鳥川の北西部に位置する中町、魚町は町人地であり、通りに沿って町家が連なっている。また北側の新富には、黒田長興が父親の黒田長政の菩提を弔う為に建立した古心寺や、母親の大涼院殿の御陵として建立した大涼寺をはじめ、寺社も数多い。明治時代になると他所へと移住した武家も多く、それらの武家屋敷は田畑へと転用され、以降の秋月は旧町人地を中心に存続していった。とはいえ現存する武家屋敷も数多く、路地に連なる石垣や土塀などと共に、武家町の景観を目にすることができる。




石田家住宅を中心とする中町の町並み

 一方、町人地には白壁の町家が目立つ。かつては茅葺であったが時代と共に桟瓦葺きに置き換わっていった。入母屋造りもしくは切妻造りの妻入が一般的であり、一階部分に庇を設けるものが多く、通りに沿って土蔵を置く家もある。建てられた時代によって町家の種類は様々であり、より間口の広い平入りの町家や、洋風の意匠を持つ建築など、多種多様な町並みを見ることができるのも特徴だ。それらの中でも中町の石田家住宅は、秋月の町が大火に見舞われた宝暦12年(1762年)のものと、その後の寛政5年(1793年)の二棟が並んで建ち並び、隣に聳える推定樹齢400年〜450年の田代家のイヌマキと共に、秋月の歴史を感じさせてくれる。




路地のみならず、各所に巡らされた水路もまた残っている

 秋月は明治時代初期に各地で勃発した士族反乱の舞台にもなった。明治9年(1876年)、廃刀令により刀を奪われ、秩禄処分により収入を失った士族たちは、明治政府に不満を募らせた。そして旧肥後藩の士族による「神風連の乱」が勃発。それに呼応する形で宮崎車之助(みやざきしゃのすけ)ら旧秋月藩の士族による秋月党が挙兵、「秋月の乱」を起こした。この反乱は乃木希典(のぎまれすけ)率いる小倉鎮台によって制圧されるものの、さらに旧萩藩士族による「萩の乱」、そして西郷隆盛率いる旧薩摩藩士族らの「西南戦争」へと続いていく。約200人から成る秋月党は、魚町にある西福寺(昭和4年に廃寺)にて決起を行い、「報国」と描かれた旗を先頭に出陣した。




秋口の入口に架かる、江戸時代後期の目鏡橋

 秋月の城下町の入口には、全国的にも珍しい花崗岩を使用した石橋が存在する。この石橋が架けられる前は板橋が使われていたのだが、度々起きる野鳥川の氾濫により流されることも多かった。秋月藩八代藩主の黒田長舒(くろだながのぶ)は、長崎で見た眼鏡橋と同様の頑強な石橋を架けようと考え、筆頭家老であった宮崎織部舒安(みやざおりべのぶやす)を工事の責任者として石橋を築かせた。工事は文化2年(1805年)から始められ、一時は完成間際に崩壊するなど難航したが、文化7年(1810年)にようやく完成を見た。長崎から石工を呼んで築かせたことから、当初は長崎橋と呼ばれていたのだが、現在は目鏡橋と呼ばれ秋月の名所のひとつとして親しまれている。

2014年09月訪問




【アクセス】

甘木鉄道甘木線「甘木駅」もしくは西日本鉄道甘木線「甘木駅」より甘木観光バス「秋月線」で約20分、「秋月バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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