竹富町竹富島

―竹富町竹富島―
たけとみちょうたけとみじま

沖縄県竹富町
重要伝統的建造物群保存地区 1987年選定 約38.3ヘクタール


 日本列島の南西端に位置する八重山諸島。その中心地である石垣島の近くに浮かぶ竹富島は、サンゴ礁が隆起して形成された直径2km程の小さな島である。多彩な色彩織り成す美しい海、サンゴが砕けた白い砂といった、常夏の楽園というイメージをそのまま具現化したかのような竹富島には、インノタ(西集落)、アイノタ(東集落)、ナージ(仲筋集落)の三集落から成る、伝統的な琉球民家の集落景観が広がっている。白砂の路地にサンゴ石のグック(石垣)が続き、赤瓦の屋根が建ち並ぶその光景は、琉球の風土に根ざした八重山の原風景というべきものであり、類稀なる規模と質を持つ町並みとして、集落全体を包括する範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。




集落の入口に設けられているスンマシャー
巨木とそれを取り囲む石垣から成り、村に災いが入る事を防いでいる

 竹富島に人が定住し始めた正確な時期は不明であるが、伝承によると沖縄本島から移ってきたタキンドゥン(他金殿)の一族が、竹富島に新里村を築いたのがその始まりであるとされる。竹富という島名も、「タキンドゥン」に漢字を当てたものだ。近年、島の北部より12〜13世紀の集落遺構、および14世紀の集落遺構が発見され、これがその新里村であったと考えられている。以降、竹富島は他金殿を始め、同じく琉球列島北部の島々から移住してきた酋長ら計6人によって統治された。この6人の酋長は、島内に点在する六箇所の御嶽(ウタキ、琉球の祭祀施設。竹富島ではオンという)にそれぞれ祀られており、それらはムーヤマ(六山)と称され、島の人々の崇敬を集めてきた。




典型的な竹富島の民家
マイヤシの奥に、フーヤ(主屋)とトーラ(釜屋)が並んで配されている

 伝統的な竹富島の民家は、グック(石垣)によって囲まれた方形の敷地を持ち、その中央にフーヤ(主屋)が南を向いて建っている。フーヤの西隣にはトーラ(釜屋、炊事棟)が置かれ、また家の裏手には豚小屋兼トイレのフール(豚便所)や、守り神のジージョンが配されている。フーヤの正面にはマイヤシ(ヒンプンともいう)と呼ばれる壁が立つが、これは南からの風通しを確保しつつ、家の内部を覗かれないようにする為の目隠しである。またヤナカジと呼ばれる悪い風が、家の中に入らないようにする魔除けの意味もある。家屋の周囲にはフクギの木が屋敷林として植えられており、暴風から家を守る一方、その鮮やかな緑は白砂の道や赤瓦と相まって、良好な集落景観を作り出している。




赤、白、緑のコントラストが美しい
なお、屋根の漆喰が白いのは、屋根が葺かれて間もない証拠である

 フーヤはほぼ正方形の平面を持ち、屋根は大棟の短い寄棟造で、軒は低く深い。これは、四方八方からやってくる台風より家を守る為の、琉球ならではの工夫である。極めて強い太陽の光で室内が熱せられるのを防ぐ為、屋根は竹を編んだ上に土を厚く盛って断熱効果を高め、その上に赤瓦を葺く。土は水分を多く含む為、軒裏の垂木は屋根との設置面積が極力少なくなるように丸垂木とし、垂木の腐食を防いでいる。なお、現在はほぼ全ての建物が赤瓦葺きであるが、かつては茅葺が一般的であった。赤瓦は暴風で飛ばされないよう、また雨が染み込んで雨漏りをしないよう、サンゴを砕いて作った粘り気の強い漆喰によって、オス瓦とメス瓦の間が塗り固められているのも特徴的だ。




大正2年(1913年)に建てられた旧与那国家住宅(重要文化財)
竹富島の町並みは、多種多様な花々で彩られているのも印象的だ

 フーヤの内部は田の字型の四室、あるいは前後三室ずつの六室を基本としており、部屋は南東から南西へ一番座、二番座、三番座と続いている。一番座は床や仏壇などを備えた客間で、二番座は仏間、三番座は家族が生活する為の居間である。それぞれの部屋の裏側は裏座とし、寝室や倉庫として利用する。なお、琉球の伝統家屋には玄関が無く、南側に設けられている縁側より直接室内へと入る。その際は、三番座、あるいは二番座から入り、一番座から入ってはならない。また、竹富島の民家は古材の比率が多いのも特徴である。竹富島には建築に適した木材が無く、森林の多い西表島から木材を調達する必要があった。故に、木材を無駄にはせず、できる限り再利用しているのだ。




島のほぼ中央に位置するナージカー(中筋井戸)
昭和51年(1976年)に海底水道が引かれるまでは、飲料水として用いられていた

 サンゴの島である竹富島は水の便が悪く、人々は村カーと呼ばれる共同井戸を掘り、あるいは各々の家で雨水を水瓶に溜め、飲み水を確保してきた。台風における暴風への対策は、個々の家屋のみならず島全体にも及んでおり、集落の周囲には集落防風林が巡らされ、農地はその外側に開墾し、さらに島の浜を縁取るように海岸防風林を設け、自然の驚異から村を守ってきた。また集落内外には数多くの御嶽が祀られており、特に集落の北部に位置する世持御嶽(ユームチオン)では、毎年秋に10日間、五穀豊穣と繁栄を祈願する種子取祭(タナドゥイ)が渡り執り行われている。この祭りの歴史は600年にも及ぶといい、昭和52年(1977年)には国の重要無形民族文化財に指定された。

2011年11月訪問




【アクセス】

石垣島離島桟橋より高速船で約10分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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