今帰仁村今泊のフクギ屋敷林と集落景観

―今帰仁村今泊のフクギ屋敷林と集落景観―
なきじんそんいまどまりのふくぎやしきりんとしゅうらくけいかん

沖縄県国頭郡今帰仁村
重要文化的景観 2019年選定


 沖縄本島の北部から東シナ海に向かって突き出る本部(もとぶ)半島。その北岸部の段丘上に位置するのが、かつて沖縄本島の北部を統治していた「今帰仁(なきじん)城(グスク)跡」である。その麓に広がる今泊はかつて今帰仁城に隣接していた城下町が移転して形成された集落であり、東西南北に整然と通された路地には防風のためのフクギの屋敷林が連なっている。また今帰仁城跡や旧集落跡には現在も人々が祈りを捧げる拝所や聖地である御嶽(ウタキ)が現存しており、沖縄特有の生活・信仰に基づく集落景観が維持されていることから、イノー(サンゴ礁の浅瀬)を含む今泊集落の一帯、今帰仁城跡と旧集落跡、その背後の山林を含む688.3haの範囲が国の重要文化的景観に選定されている。




集落の中心に設けられている祭祀小屋「フプハサギ」

 現在も壮大な石垣が残り、国の史跡に指定されている今帰仁城の歴史は13世紀後半に遡る。三山時代には北山王の居城であり、また三山統一後の琉球王国時代には首里王府が派遣した役人「監守」が駐在し、北山の監視と統治を行っていた。その後の慶長14年(1609年)、薩摩藩の琉球侵攻により今帰仁城は火を放たれ廃城となる。今帰仁城の周囲に存在した二つの集落「今帰仁」と「親泊」はその時に海沿いの現在地へと移転し、明治36年(1903年)の合併に際しそれぞれの名を取って「今泊」と名付けられた。そのような集落の成り立ちを示すかのように、今泊集落には村の祭祀を行う施設である「ハサギ」が、旧親泊の「フプハサギ」と、旧今帰仁の「ハサギングヮー」の二箇所存在する。




直線的な路地にフクギの並木が連なる今泊集落

 今泊集落は海産物が豊富なイノーに面しながらも、地下水が得られる微高地に位置している。周囲には農地となる土地も多く、移転前の今帰仁城に付随する集落という関係性から、生活や農業の利便性に重点を置くように、集落立地の考え方が変化したことが分かる。集落の中心部にはかつての馬場跡である幅の広いプウミチ(大道)が東西に貫いており、それを中軸として路地が碁盤目状に巡らされている。何よりも集落景観を特徴付けているのは、北風や台風の暴風から家屋を守るためのフクギ並木だ。各家の周囲には屋敷林としてフクギが植えられており、さらに集落を取り囲む「村抱護」や、浜辺を仕切る「浜抱護」の並木と相まって、極めて緑豊かな集落景観を形成している。




絶えることなく水が湧き続けている「親川(エーガー)」

 集落裏手の山裾には「親川(エーガー)」と呼ばれる湧水が存在する。豊富な水量を常に湛えており、琉球時代より日照りでも枯れることなくこんこんと湧き続けているという。水道が普及するまでは飲み水として利用されており、水浴びをしたり、洗濯や芋を洗ったりと、今泊に住む人々の生活に欠かせない水源として重宝されていた。また親川の水は港川(ナートゥガー)と呼ばれる水路へと引かれ、周囲に広がる水田を潤す灌漑用水としても用いられていた。沖縄では昔からの門中行事として旧暦の五月五日に井戸や湧水に感謝を捧げるハーウガミ(川拝み)が行われているのだが、親川はその重要な参詣地とされており、現在も数多くの人々が祈りを捧げに訪れるという。




今泊集落から今帰仁城へと至る古道「ハンタ道」

 親川の背後からは「ハンタ道」と呼ばれる山道が今帰仁城へと続いている。これはかつての登城路であり、大正5年(1916年)に道路が通されるまで今帰仁城へと向かう人々が歩いていた古道である。その全長は約740メートル、かつては道沿いに松並木が続いていたという。また、ハンタ道の途中には「ミームングスク」と呼ばれる石積の遺構が残されている。ミームンとは「物見」あるいは「新しい物」を意味するとされ、志慶真(しげま)川に張り出した崖の上に築かれているという立地から、今帰仁城の出城あるいは物見台であると考えられている。18メートル×19メートルの方形石積が三段に積み上げられており、今帰仁城の周囲に残る石積遺構として最大の規模を誇るものだ。




今帰仁城の御内原にある御嶽「テンチジアマチジ」
琉球の開闢神アマミクが作ったとされ「クバの御嶽」と共に国指定の名勝である

 今帰仁城の門前に位置する集落跡には「火の神(ヒヌカン)」を祀る祠が三箇所存在する。これらは今帰仁城の祭祀を司っていたノロ(女性祭司)の旧宅跡だ。集落の移転にあたり、ノロの屋敷もまた麓へと移されたのだが、屋敷神である火の神だけは旧宅の跡地に残されたのである。また今帰仁城で最も神聖な場所とされる御内原(ウーチバル)には「テンチジアマチジ」と呼ばれる御嶽があり、琉球の古謡「おもろさうし」にも「今帰仁のカナヒヤブ」の名で謡われている。今帰仁城の背後に聳える山はその全体が聖域とされ、山上には「こはお(クバ)の御嶽」が存在する。これらの拝所や御嶽は現在も信仰の対象とされており、人々によって祭祀が執り行われている。

2019年05月訪問




【アクセス】

那覇市内から「やんばる急行バス」で約2時間30分、もしくは名護バスターミナルより琉球バス「66系統・左回り循環」で約20分、「今帰仁城趾入口バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。
今帰仁城は拝観料大人400円、小中高生300円、小学生未満無料。拝観時間は1月〜4月および9月12月が8時〜18時(最終入場17時30分)、5〜8月は8時〜19時(最終入場18時30分)。
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【参考文献】

・月刊文化財 令和元年9月(672号)
世界遺産 今帰仁城(公式サイト)
今帰仁村景観計画/今帰仁村
今帰仁村文化財調査報告書第28集 今帰仁城跡周辺遺跡IV(PDF)