南九州市知覧

―南九州市知覧―
みなみきゅうしゅうしちらん

鹿児島県南九州市
重要伝統的建造物群保存地区 1981年選定 約18.6ヘクタール


 薩摩半島の南部中央、太平洋戦争末期に特別攻撃隊の出撃地となったことで知られる知覧には、江戸時代に薩摩藩が領内113ヶ所に置いた武家町のひとつが存在する。人口の四分の一が武士という膨大な数の武士を抱えていた薩摩藩では、領内を外城(とじょう)と呼ばれる行政単位に分け、その中心地に麓(ふもと)と呼ばれる武士の駐屯地を作り、行政と防衛に当たらせていた。外城には薩摩藩が地頭を任命する藩直轄地と、領主が統治する私領地があるが、知覧はそのうちの後者、佐多氏(知覧島津氏)の領主館を中心に築かれた武家町である。東西に伸びる本馬場通りには石垣の上に見事な刈込の植木が連続する、知覧ならではの独特な武家町景観を今に残している。




嘉永5年(1852年)に築かれた矢櫃橋(やびつばし)
知覧城の出城であった亀甲城の北側、知覧の入口に架かる

 知覧は古来より南薩地方の要衝として知られ、平安時代の末期には知覧忠信(ちらんただのぶ)が知覧城を築いたとされる。その後の室町時代には島津忠宗(しまづただむね)の三男にあたる佐多忠光(さたただみつ)が知覧の領主となった。一時は島津家の後継者争いで勃発した「伊集院頼久(いじゅういんよりひさ)の乱」により知覧城は伊集院一族の手に落ちるものの、応永27年(1420年)には再び佐多氏のものとなり、以降は明治維新に至るまで、知覧は佐多氏によって治められていた。佐多氏は島津家の重臣として藩政に貢献し、第16代当主佐多久逵(ひさみち)の代にあたる正徳元年(1711年)には、島津宗家より知覧の私領化と島津性の使用が許可されている。




石垣と生垣が連なる本馬場通り

 今に残る町並みは、この久逵の代もしくは第18代当主島津久峯(しまづひさたか)の代に造成されたと考えられている。中世に知覧城の出城として築かれた亀甲城の西側、麓川と山林によって取り囲まれた、東西に細長い土地に知覧麓の武家町は築かれた。現在の南九州市役所の辺りに領主の居館である御仮屋が置かれ、そこから南へ城馬場を通し、城馬場に直交する形で本馬場が東西に通されている。本馬場は中央付近でクランク状に折れ曲がり、亀甲城跡の山麓まで続いている。屋敷地は街路より一段高く整地されており、その土留めとして切石や玉石で石垣が築かれている。石垣の上には茶やイヌマキを植えて生垣とし、敷地内の様子をうかがえないようにしている。




“本家の門”を構える佐多家
門の奥に立つ屏風壁は、沖縄伝統民家のヒンプンに似ている

 武家屋敷の表門は街路から後退した位置に腕木門もしくは石柱門を構えている。腕木門の中でも、本家のものは門の左右に小屋根を設け、分家のものは小屋根を設けないといった、家による格の差が見られる。表門のすぐ奥には枡形を設けるか、もしくは屏風壁を立てて敷地内の見通しを利かなくしている。一方で敷地内からは生垣の隙間より路地の様子をうかがうことができるようになっている。薩摩の民家は、接客用の座敷を持つ「おもて」と生活の場である「なかえ」の二棟が並ぶ「二ッ家」の様式で建てられるのが一般的である。中でも知覧のものは「知覧型二ッ家」と呼ばれ、「なかえ」と「おもて」の間を小棟で繋ぎ、二棟を一体化させた作りとなっている。




大刈込のみで山岳景観を表現した「平山亮一氏庭園」
手前には盆栽を乗せる切石が配されるが、これは琉球庭園の手法である

 知覧麓の武家屋敷は、いずれも座敷に面して庭園を設けている。その中でも特に見事な7庭園が、「知覧麓庭園」として国の名勝に指定されている。「西郷恵一郎氏庭園」は文化文政年間(1804年〜1829年)の作庭であり、南東隅に滝石組を築いて主峯とし、イヌマキの刈込によって連山を表している。「平山克己氏庭園」は明和年間(1764年〜1771年)の作庭であり、北東隅に石組を設けて主峯とし、刈込と配石のバランスに優れた庭園である。「平山亮一氏庭園」は天明元年(1781年)の作庭であり、石組を持たない刈込のみで構成された簡素かつ壮大な庭園だ。起伏を付けた大刈込は築山を表現し、借景とする母ヶ岳の稜線と一体となって優美な山岳景観を作り出している。




曲線の多い池泉に奇石を配した「森重堅氏庭園」
寛保元年(1741年)に主屋などが建てられ、その後に作庭されたという

 寛延4年(1751年)の作庭とされる「佐多美舟氏庭園」は、知覧麓の庭園の中で最も広く豪華である。南東隅に背の高い枯滝を築き、刈込で築山を表現して下部には石組を据える、複雑で立体的な作りの庭園である。「佐多民子氏庭園」は宝暦年間(1741年〜1763年)の作庭とされ、巨石奇岩を配して深山幽谷の景色を作り出している。大きな凝灰岩は牛馬で運びやすいよう、石目に沿って割られている。「佐多直忠氏庭園」は寛保年間(1741年〜1743年)の作庭であり、母ヶ岳を望む庭の北東隅に3.5メートルの立石がそびえ、多数の石組を梅の木が取り囲んでいる。名勝指定の7庭園のうち6庭園は枯山水の庭園であるが、唯一「森重堅氏庭園」は水を用いる池泉式の庭園である。

2014年10月訪問




【アクセス】

JR鹿児島本線「鹿児島中央駅」より鹿児島交通バス「知覧行き」で約1時間15分、「武家屋敷入口バス停」下車、徒歩約2分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

名勝「知覧麓庭園」の開園時間は9時〜17時。
拝観料は7箇所共通で大人500円、子供300円。

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