矢掛町矢掛宿

―矢掛町矢掛宿―
やかげちょうやかげじゅく

岡山県小田郡矢掛町
重要伝統的建造物群保存地区 2021年選定 約11.5ヘクタール


 岡山県の南西部、瀬戸内海からやや内陸の盆地に位置する矢掛町は、江戸時代初頭に幕府の街道整備にともない設置された旧山陽道の宿場町である。小田川の北岸に通された山陽道に沿って新たに町場が開かれ、明治時代に入ると鉄道の敷設によって山陽道の交通量は減少したものの、近代以降も周辺地域の中心地として発展していった。昭和40年代には小田川沿いにバイパス道路が築かれたものの、それ以外に大きな改変はなく、江戸時代後期までに成立した宿場町の地割を良く留めている。旧山陽道の宿場町を今に残す貴重な町並みであることから、かつての宿場町のほぼ全域にあたる東西約910メートル、南北約200メートルの範囲が重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




直線的に通る旧山陰道に沿って町家が並ぶ

 矢掛町の一帯は古くから畿内と九州を結ぶ交通の要衝であった。戦国時代の末期には毛利氏が進出して掌握し、江戸時代に入ると幕府領になるものの領主が度々代わり、元禄12年(1699年)以降は庭瀬藩の一部として板倉氏の所領となる。矢掛宿が成立した正確な時期は明らかではないが、遅くとも寛永10年(1633年)までには幕府の街道整備によって小田川の北岸に山陽道が通され、宿駅としての町割がなされたと考えられている。以降、矢掛宿は江戸時代を通じて西国の大名たちが参勤交代で宿泊するなど主要な宿場町として発展し、小田川の高瀬舟による舟運も相まって、備中南西部における水陸の交通拠点として多大に繁栄した。




妻入と平入の主屋が混在する矢掛宿の町並み

 元禄2年(1689年)の『矢掛町地子御免間数并絵図』によると、山陽道に沿って間口が狭く奥行きの深い町家が整然と建ち並んでいた様子が分かる。町の北と東を水路で限り、船着き場へと続く南北の小路によって東町、中町、西町に区分されていた。そのうち中町には大名が宿泊する本陣が構えられており、街道上には胡(えびす)社と高札場が置かれ、また中町と西町の境からは北へと向かう松山街道が分岐していた。宿場の発展にともない18世紀中頃までには町場が東側の水路を越えて広がり、また松山街道沿いにも町家が並ぶようになる。この頃の主屋は妻入の茅葺屋根が主流であったが、その後に平入の瓦葺屋根が増え、妻入と平入の主屋が混在する町並みが形成されたと考えられている。




かつての脇本陣である「高草家住宅」
金融業で財を成した家であり、薬医門は旧矢掛陣屋からの移築である

 現在の矢掛宿は18世紀中頃までに成立した町割を継承しており、各家の地割も江戸時代以来の姿を伝えている。地区内には「旧矢掛本陣石井家住宅」および「旧脇本陣高草家住宅」(いずれも重要文化財)を始め、江戸時代から昭和初期までに築かれた漆喰塗り篭めの町家が数多く残る。また洋風建築や、正面だけを洋風の意匠で飾るいわゆる看板建築なども見ることができ、近代以降も商業地として栄えた歴史を物語る。各家の間口は二間半から四間とし、奥行きは街道北側が二十五間、南側は二十七間程度の短冊形を基本とする。また町の西側には古代条理に基づくと考えられる街道に斜交した地割が残り、通りに対して雁行した町並みを形成している。




代々大庄屋を務めていた旧本陣の「石井家住宅」
本陣と脇本陣が共に重要文化財に指定されている宿場町は矢掛宿が唯一である

 各家の敷地は小田川の氾濫により浸水に備えて通りより一段高く築かれており、石積の基壇や石段を設ける家が多い。主屋は間口いっぱいに構えるが、本陣など間口の広い家では主屋から塀を続けて表門を構える。主屋の裏手にはカマヤや風呂、便所棟などの附属屋を建て、敷地の奥にはヒヤと呼ばれる隠居棟や座敷を配して土蔵を建てる。主屋の形式は間口が三間以下の場合は入母屋造の妻入、三間を超えるものは切妻造の平入が多く、入母屋造の平入も見られる。いずれも厨子二階建あるいは本二階建の本瓦葺であり、昭和以降のものは桟瓦葺となる。平面は東側に土間を通して一列三室とするのを基本とし、表からミセノマ、ナカノマ、オクノマを並べ、さらに角座敷を設けるものもある。




石積の水路に海鼠壁を持つ土蔵が並ぶ東町の裏路地

 一階の正面には下屋庇を付け、床上部は平格子や出格子を構えている。出入口は引違戸であるが、かつては引戸の大戸であったと考えられている。明治以降は通りに面したミセノマに床を張らず前土間とするようになるが、その場合は全面を引違戸とするものが多く、雨戸を入れて戸袋を設けるものもある。二階の正面は古いものだと虫籠窓を設け、明治以降のものは連窓のガラス窓とし、その前面に手摺を付けるものもある。外壁は木部を漆喰で塗り篭めた大壁造とするものが大半であり、軒を出桁で支持し、その軒裏まで漆喰で塗り篭めた極めて重厚な造りを見せる。下屋の取合部や正面出隅部分は瓦を張り付けた海鼠壁とするなど意匠を凝らしているのが特徴的だ。

2020年08月訪問




【アクセス】

井原鉄道井原線「矢掛駅」から徒歩で約5分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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【参考文献】

・「月刊文化財」令和3年1月(687号)