佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観

―佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観―
さどにしみかわのさきんざんゆらいののうさんそんけいかん

新潟県佐渡市
重要文化的景観 2011年選定


 佐渡島の南西部、西三川川(にしみかわがわ)の流域一帯には金や銀の鉱床が分布し、古くより砂金の採掘が行われてきた。近世初期に採掘技術が発達すると、砂金の採掘量も急増。佐渡の主要金銀山のひとつとして江戸幕府の財政を支えていた。しかし江戸時代の中期以降は採掘量が徐々に減少し、明治5年(1872年)にはついに閉山となる。かつての鉱山町であった笹川の人々は砂金採掘場跡や堤跡に田畑を拓き、鉱業用水路を農業用水路に転用するといった農地開発を進め、鉱業から農業への転向を果たした。そのような歴史背景を持つ笹川集落では今もなお、砂金の採掘によって形成された地形の中に田畑が連なる、ユニークな農山村景観を目にすることができる。




金山地区と笹川地区の境に置かれている石碑

 佐渡島には数多くの鉱床が存在し、島内にはおよそ30もの鉱山が分布するという。その中でも主たるものが、「相川金銀山」「鶴子銀山」「新穂銀山」そしてこの「西三川砂金山」の四箇所だ。それらの中でも西三川砂金山の開発は特に早く、平安時代から採掘が行われていたという。笹川集落のすぐ側には、「荒神山(あらかみやま)」と呼ばれる岩山が存在する。かつて山伏が修行を行っていたと伝わる修験道の聖地であり、江戸時代の絵図には「この山に入ると祟りがあるとして住民が恐れていた」という記述もある。こういった砂金山の発見や開発には、野山に分け入る山伏が深く関わっていたと考えられており、笹川集落の一帯にはその痕跡を示す信仰の場が数多く存在する。




十五番川沿いに広がる水田
かつての鉱業用水路「金山江」を転用し、農業用水を確保している

 本格的な西三川砂金山の採掘が始まったのは、室町時代の長禄4年(1460年)頃である。その後、戦国時代の天文11年(1542年)には「鶴子銀山」の開発が始まり、また慶長6年(1601年)には「相川金銀山」が発見されている。これらの鉱山開発により掘削や利水の技術が発達し、西三川砂金山の採掘量もまた戦国時代末期から江戸時代初期にかけて飛躍的に増加した。その採掘方法は、砂金を含む山を削り崩し、大量の水で余分な石や土を洗い流してから、「ゆり板」と呼ばれる道具でさらって砂金を選び取るというものだ。この「砂金流し」に必要な水を確保するため、周囲には「金山江」と呼ばれる水路を張り巡らした。その総延長は実に12キロメートルにも及ぶという。




笹川集落の石垣は、採掘によって生じた「ガラ石」を用いて築かれている

 笹川集落の南側にたたずむ虎丸山(とらまるやま)は、西三川砂金山で最大の採掘量を誇った採掘地である。江戸時代の絵図には虎丸山の上下二箇所で砂金の採掘を行っていた様子が描かれており、現在も掘り崩されて露出した赤い山肌を見ることができる。また笹川集落内の県道沿いに位置する立残山(たてのこしやま)もまたかつての採掘地であり、掘り崩された急斜面が残っている。なお、砂金の採掘の際には「ガラ石」と呼ばれる石が大量に出るのだが、それらのガラ石は集落や棚田の石垣などとして用いられてきた。また集落内のみならず、周辺の山中にもガラ石をコの字状に積んだ遺構が数多く発見されており、それらは鍛冶小屋や作業小屋の跡と考えられている。




笹川集落の北側、金山地区に鎮座する大山祗(おおやまずみ)神社
境内に残る能舞台は、能が山間部にまで伝わっていたことを示す

 今でいう笹川集落は、かつては北側の金山地区と南側の笹川地区に分かれていた。現在もその境には石碑が置かれており、また笹川地区の南端と金山地区の北端にもそれぞれ集落境の石碑が置かれている。そのうち金山地区には砂金山の繁栄と安全を祈願して文禄2年(1593年)に創建された大山祗神社が鎮座する。大山祗神社の境内には、19世紀後半に建てられたとみられる能舞台があり、昭和20年代まで能が演じられていた。かつて佐渡島には、政権抗争に敗れた貴人や文人が数多く配流され、能の名手である「世阿弥」もまた佐渡に流刑された者の一人である。その影響からか、江戸時代の佐渡島には200以上の能舞台が築かれ、現在も32の能舞台が現存している。




砂金山の閉山後に建てられた、金子勘三郎家の納屋と牛納屋

 また金山地区には江戸時代後期から明治の閉山まで砂金山の名手を務めていた「金子勘三郎家」があり、砂金採掘に関する古文書や絵図が残っている。なお、金子という姓は砂金山で働いていた「金児(かなこ)」に由来すると考えられ、現在も笹川集落に住む人々のほとんどが金子姓である。「金子勘三郎家」の主屋は江戸時代後期、土蔵は江戸時代末期に建てられたものだが、一方で農業に必要な納屋や牛納屋は明治時代初期の建立であり、西三川砂金山の閉山を期に生業を転向した様子を今に伝えている。また砂金山の閉山により集落から離れた者もいる。大山祗神社に残る鳥居や狛犬などの石造物は、明治時代に笹川から北海道へ移住した人々が献じたものだ。

2014年05月訪問




【アクセス】

公共交通機関なし。
小木港より笹川集落まで車で約30分。
両津港より笹川集落まで車で約60分。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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