宇治上神社本殿、宇治上神社拝殿

―宇治上神社本殿―
うじがみじんじゃほんでん

―宇治上神社拝殿―
うじがみじんじゃはいでん

京都府宇治市
国宝 1952年指定


 京都は宇治の里、平等院鳳凰堂より宇治川を挟んだ対岸に位置する宇治上神社。その起源は、神託を受けた醍醐天皇が延喜元年(901年)に社を建てたことによるという説があるが、定かではない。しかし延長5年(927年)に編纂された全国の神社一覧である延喜式神名帳には既にその存在を確認することができることから、それ以前に創建されたことは確実であろう。天喜元年(1053年)に鳳凰堂が建立されると、宇治上神社は鳳凰堂の鎮守社として人々の信仰を集めていくこととなる。




一見すると本殿には見えない、宇治上神社本殿覆屋

 宇治上神社のすぐ手前には宇治神社があるが、明治時代に入る前までは宇治神社を離宮下社、宇治上神社を離宮上社として、二社合わせて宇治離宮明神などと呼ばれていた。離宮という名が付くのは、かつてこの地に応神天皇の子である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の居住があったとされているためだ。菟道稚郎子は応神天皇の寵愛を受け皇太子となるものの即位はせず、異母兄弟である仁徳天皇に皇位を譲るべく自害を果たした人物であり、今も宇治上神社の主神としてこの地に祀られている。




覆屋も本殿同様、前に庇が長い流造である

 宇治上神社の本殿は、左殿、中殿、右殿の内殿三棟を横長の覆屋で覆った形式を取っている。そのため外観だけでは神社の本殿には見えないが、中を覗けば横一列に並ぶ内殿三社を目にすることができる。内殿はそれぞれ祭神を菟道稚郎子、応神天皇、仁徳天皇とし、いずれも一間社の流造となっている。一間社とは幅一間の小ぢんまりとした社のことであり、流造とは切妻平入の屋根を手前へなだらかに湾曲させて伸ばした神社建築のことである。覆屋の屋根もまたこの流造であり、檜皮で葺かれている。




神社拝殿として最古の建築である宇治上神社拝殿

 近年、本殿に使用されている木材の解析が進み、それらが切り出された時期が1060年代であると判明した。これは現存する神社建築の中で最も古いものである。対岸の平等院鳳凰堂が建立されたのが1053年であり宇治上神社本殿の建築年代と近いことから、鳳凰堂を建てた藤原頼通はそれに続いて宇治上神社の整備を行ったと考えられる。宇治上神社と鳳凰堂はその頃より深い関わりがあったのだ。




拝殿は寝殿造であり、むしろ住居建築に近い

 宇治上神社の拝殿もまた歴史ある貴重な建造物として、本殿と同様に国宝指定されている。この拝殿は本殿よりやや時代が下るものの、それでも鎌倉時代の初期に建てられたものであり、神社の拝殿として現存最古のものである。その建築は寝殿造(主に貴族や武士の住居に用いられていた建築様式)であり、神社建築というよりもむしろ住居建築としての性格が強いという、珍しい拝殿となっている。




重要文化財の春日神社本殿
春日神社は藤原氏を祀る神社である

 その拝殿は高床式で通常の神社建築より天井が低く、内部は三つの部屋に分かれている。戸には蔀戸(しとみど)や舞良戸(まいらど)など、寝殿造の住居建築に使われるものが用いられているが、これはかつて菟道稚郎子が住まっていた宇治離宮の建物を移築したためであるためという説がある。宇治上神社の境内には、他にも春日神社本殿などの摂社が残っている。これは宇治上神社本殿と同じ一間社流造の神社建築であり、鎌倉後期に建造された貴重な社として重要文化財に指定されている。

2007年11月訪問




【アクセス】

京阪電気鉄道宇治線「宇治駅」から徒歩約15分。
JR奈良線「宇治駅」から徒歩約30分。

【拝観情報】

拝観無料、拝観時間は9時〜16時30分。

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