厳島神社社殿

―厳島神社社殿―
いつくしまじんじゃしゃでん

広島県廿日市市
国宝 1951年指定


 広島県の南西部、「安芸の宮島」とも呼ばれる厳島に鎮座する厳島神社は、古くより瀬戸内海を行き交う人々の信仰を集めてきた海上交通の守護神である。最高峰である約535メートルの弥山(みせん)を御神体として祀っており、その北西麓に切れ込んだ入江の奥に朱塗りの社殿群が築かれている。本社本殿を中心に摂社など複数の社殿を回廊で接続したその建築様式は、平安時代の貴族邸宅に用いられていた「寝殿造(しんでんづくり)」を踏襲したものだ。海に浮かぶように築かれた厳島神社の社殿群は、弥山の豊かな自然環境と相まって他に類を見ない特異の宗教景観を作り出しており、平安時代における信仰の在り方や貴族文化を今に伝える存在として貴重である。




早朝の厳島神社本社社殿
背後の自然と共に厳かかつ神秘的な風情を醸している

 弥山の山頂付近には白い花崗岩の巨石が数多く露出しており、これらは神が降臨する磐座(いわくら)として神聖視されてきた。かつては厳島の全域が禁足地とされており、故に厳島神社の社殿もまた陸上ではなく入江の海上に築かれている。厳島神社の創建は推古天皇元年(593年)、この地域を治める豪族であった佐伯鞍職(さえきのくらもと)が神託を受けて社を築いたことに始まると伝わる。平安時代末期の仁安3年(1168年)には、太政大臣にまで上り詰めた平清盛(たいらのきよもり)により寝殿造の社殿が造営され、現在に見られるような姿となった。厳島神社は平家一門のみならず皇族や貴族の参詣も多く、随所に雅やかな平安文化の趣きを残す社殿となっている。




玉垣で覆われた本社本殿(右手前)とその前に建つ拝殿(左奥)

 平清盛が造成した社殿は、鎌倉時代の建永2年(1207年)に起きた火災によって焼失している。8年後の建保3(1215年) に再建されたものの、それもまた貞応2年(1223年)に焼失した。現存する主だった社殿は、仁治2年(1241年)に再建されたものである。ただし、本社本殿のみ戦国時代の永禄12年(1569年)に毛利元就(もうりもとなり)の家臣である和智誠春(わちまさはる)兄弟が立て籠もって切られ、流血によって穢れたことから元亀2年(1571年)に建て直されている。厳島神社の社殿は海上に建つという立地条件から幾度となく波風の脅威にさらされてきたものの、時々の権力者の庇護を受けて被害を受ける度に修理補修がなされ、現在まで維持されてきた。




客神社拝殿を経て本社祓殿へと繋がる東回廊
西回廊と共に永禄6年(1563年)から慶長7年(1602年)にかけて修造された

 厳島神社の社殿群は、本社を中心に複数の摂社、舞台などの付随建造物、それらを繋ぐ回廊で構成されている。そのうち国宝に指定されているのは本社の「本殿・幣殿・拝殿」(「玉垣」と「左右内待橋」が附けたり指定)と「祓殿」(「高舞台」「平舞台」「左右楽房」「左右門客(かどまろうど)神社本殿」が附けたり指定)、摂社である客(まろうど)神社の「本殿・幣殿・拝殿」(「玉垣」附けたり指定)と「祓殿」、および「東回廊」と「西回廊」だ。これら以外の「摂社大国神社本殿」「摂社天神社本殿」「朝坐屋(あさざや)」「能舞台」(「橋掛及び能楽屋」が附けたり指定)「揚水橋」「長橋」「反橋」は重要文化財に指定されている。




舞楽の奉納が行なわれる高舞台から本社祓殿を見る
高舞台は横幅約5.2メートル、奥行き約6.4メートルの規模だ

 社殿群の中核を担う本社は「本殿・幣殿・拝殿」および「祓殿」が一直線上に配されている。祓殿の前には屋根のない板張りの「平舞台」が築かれており、その中央には黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄を持つ「高舞台」が設置されている。また平舞台の海側には「門客神社」と「楽房」が2棟ずつ左右対称に配されおり、舞台の一部として神秘的な風情を醸している。また本社の延長線上、沖合約200メートルの地点には厳島の象徴ともいえる高さ約16.6メートルの大鳥居(重要文化財)が聳えている。現存する大鳥居は八代目、明治5年(1875年)に築かれたものだ。大鳥居から平舞台までは水路が掘られており、かつて貴人は船で大鳥居をくぐり、平舞台から本社へと上がって参拝していた。




東回廊に接続する摂社客神社の社殿
背後には塔之岡に建つ千畳閣と五重塔が見える

 摂社客神社もまた本社と同じく「本殿・幣殿・拝殿」および「祓殿」が一直線上に配されている。しかしながら本社とは直行する向きに建てられており、その背後には応永14年(1407年)に築かれた「五重塔」(重要文化財)や天正15年(1587年)に築かれた「千畳閣」(重要文化財)が建っている塔之岡を望むことができる。このうち千畳閣は豊臣秀吉が戦没者供養のため毎月千部経を読経する儀式を執り行うべく建てた大経堂であるが、完成前に秀吉が死去したため工事が中断され、天井や畳が張られず未完成のままとなった。寺院建築であるものの、明治初頭の神仏分離令によって五重塔と共に厳島神社に帰属されることとなり、現在は「末社豊国神社本殿」として秀吉を祀る神社になっている。

2009年02月訪問




【アクセス】

JR山陽本線「宮島口駅」から「宮島口桟橋」まで徒歩約5分、または「広電宮島口駅」から「宮島口桟橋」まですぐ。「宮島口桟橋」から「宮島桟橋」まで連絡船で約10分、「宮島桟橋」から「厳島神社」まで徒歩約15分。

【拝観情報】

拝観料300円、拝観時間6時30分〜18時(冬季は6時30分〜17時)。

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廿日市市宮島町(重要伝統的建造物群保存地区)


【参考文献】

厳島神社|国指定文化財等データベース
世界遺産一覧表記載推薦書 厳島神社
・講談社MOOK 国宝の旅
国宝・世界遺産 嚴島神社【公式サイト】