厳島

―厳島―
いつくしま

広島県廿日市市
特別史跡 1951年指定
特別名勝 1951年指定


 広島県の南西部、本土から幅1キロメートル足らずの大野瀬戸を隔てた広島湾に浮かぶ厳島は、自然信仰の対象として先史時代より神聖視されてきた「神の島」である。標高約535メートルの弥山(みせん)を最高峰とし、周囲約30キロメートルの南北に長い楕円形を呈しており、北西岸の入江には弥山を御神体とする厳島神社が鎮座することから「宮島」とも称されている。海に浮かぶように築かれた厳島神社の社殿群は、背後に広がる自然環境と調和した特有の信仰景観を見せており、江戸時代より天橋立や松島と共に日本三景のひとつに数えられてきた。現在は島の全域が国の特別史跡および特別名勝に指定されており、また瀬戸内海国立公園の範囲にも含まれている。




潮が満ち引きする入江に寝殿造の社殿が連なる厳島神社

 航海の神として信仰を集めてきた厳島神社の創建は推古天皇元年(593年)、この地域を治めていた豪族である佐伯鞍職(さえきのくらもと)が社殿を築いたことに始まるという。史料上の初見は平安時代に編纂された『日本後記』における弘仁2年(811年)7月7日条の「伊都岐嶋神」であり、当時より安芸国有数の神社であったことが分かっている。平安時代の末期には多大な権力を有した平清盛(たいらのきよもり)の庇護を受け、仁安3年(1168年)には寝殿造を取り入れた現在に通じる社殿が建立された。平家が力を増すにつれて厳島神社もまた栄え、承安4年(1174年)には後白河法皇、治承4年(1180年)には高倉上皇の御幸があるなど、皇族や貴族の参詣により都の文化がもたらされた。




明治時代になるまで厳島神社の別当寺であった「大聖院」

 元暦2年(1183年)の「壇ノ浦の戦い」によって平家が滅亡してからも、厳島神社は時の権力者から篤い崇敬を受けて存続していった。現在も厳島神社には平家をはじめ様々な著名人が奉納した宝物が数多く残されており、中でも金銀を贅沢に用いた「平家納経(国宝)」は装飾経の白眉として知られている。また厳島は神仏習合の島であり、厳島神社を中心としつつも数多くの仏教寺院が存在する。特に「大聖院」は弘法大師空海が大同元年(806年)に開いたとされる古刹であり、厳島神社の別当寺として祭祀や法会を執り行っていた。また厳島神社の西側に隣接する「大願寺」は建仁年間(1201〜1204年)頃の開山と伝わっており、社殿の修理造営を取り仕切っていた。




浜通りから「塔之岡」を望む
「厳島の戦い」において陶隆房が本陣を置いた高台である

 戦国時代になると、中国地方から北九州にかけて多大な勢力を誇った大内氏の実権を家臣の陶隆房(すえたかふさ)が簒奪し、それに安芸国の最大勢力であった毛利元就(もうりもとなり)が反旗を翻す。弘治元年(1555年)には両者によって厳島を戦場とする「厳島の戦い」が勃発。現在の桟橋付近、今伊勢神社の位置にあった毛利方の宮尾城を攻め落とすべく陶軍が厳島に布陣した。毛利軍は圧倒的に寡兵であったものの、陶軍に気付かれないよう夜に紛れて北東岸の包ヶ浦から厳島へと密かに上陸し、夜明けと共に奇襲をかけて陶氏の大軍を撃破し隆房を自刃に追い込んだ。この戦いにおいて毛利氏は大内氏の領土を獲得し、中国地方を統一する足掛かりとなった。




手付かずの原生林に囲まれた弥山への登山道

 江戸時代になると厳島は門前町や港町としての整備がさらに進み、より多くの参詣者を集め、政治経済の拠点としても栄えていった。しかしながら明治時代には神仏分離令によって附属寺院の多くが失われ、厳島神社もまた社家組織が解体され、数多くの僧房や社家屋敷が失われることとなった。鉄道や道路など陸上交通の発達によって港町としての機能も失われ、商業地としての門前町は衰退してしまう。一時は荒廃していたが、国や県の政策として観光や木工業の振興が推し進められると、廃寺や屋敷の跡地、眺めの良い海岸沿いや高台に旅館や別荘といった近代和風建築が造営されるようになる。明治中期以降は参詣地から観光地としての性格を強めつつ、再びの賑わいを見せるようになった。




弥山の山頂付近に露出する巨石群

 厳島の地質は主に花崗岩で構成されており、弥山の山頂付近には白い巨石が数多く露出している。これらの巨石群は神が降りるための磐座(いわくら)と考えられており、厳島が「神の島」と呼ばれる所以である。また弥山北側の斜面には、厳島神社の社叢として古くから斧を入れることなく保護されてきた原始林が広がっている。その植生はモミの大木が多く、山頂付近ではツガ林が発達している。またクロバイやウラジロガシなどの照葉樹が豊富であるのも特徴だ。暖温帯林を代表する原始林として高い価値を有するのみならず、厳島の景観にとっても重要な要素であることから、「瀰山原始林」として約158ヘクタールが国の天然記念物に指定されている。

2009年02月訪問




【アクセス】

JR山陽本線「宮島口駅」から「宮島口桟橋」まで徒歩約5分、または「広電宮島口駅」から「宮島口桟橋」まですぐ、「宮島口桟橋」から「宮島桟橋」まで連絡船で約10分。

【拝観情報】

島内散策自由。
厳島神社は拝観料300円、拝観時間6:30〜18:00(冬季は6:30〜17:00)。

【関連記事】

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廿日市市宮島町(重要伝統的建造物群保存地区)
松島(特別名勝)
天橋立(特別名勝)

【参考文献】

厳島|国指定文化財等データベース
厳島神社|国指定文化財等データベース
・月刊文化財 平成30年5月(656号)
国宝・世界遺産 嚴島神社【公式サイト】
廿日市市宮島町伝統的建造物群保存地区保存活用計画
広島県の文化財 - 瀰山原始林|広島県教育委員会