観智院客殿

―観智院客殿―
かんちいんきゃくでん

京都府京都市
国宝 1959年指定


 京都は洛南、平安京の造営と共に創建された東寺(教王護国寺)。それは平安京の鎮護の為に朝廷によって建てられた官寺であり、また弘法大師空海が座した、高野山と並ぶ真言密教の根本道場でもある。鎌倉時代以降は大師信仰の発達と共に隆盛を極め、平安時代からの規模を失う事無く今にまで続いてきた。その中心伽藍北寄りに構えられている北大門から、境内北端の北総門に至るその路地は、櫛笥(くしげ)小路という名が付けられている。平安時代より道幅が全く変わっていないというその櫛笥小路に沿って、東寺の子院が数ヶ寺並んでいるのだが、そのうち別格本山にも定められている観智院の境内に、桃山時代に建てられた書院造の客殿が現存し、国宝に指定されている。




土塀越しに見る観智院客殿の大屋根(右)

 観智院は、南北朝時代の僧侶である杲宝(ごうほう)によって、延文4年(1359年)に創建された東寺の子院である。学僧であった杲宝は、真言教学の研究でその名を知られ、真言教学の中興の祖とも称されている。また杲宝は東寺の歴史を記した「東宝記(とうほうき)」を編纂した人物でもあり、それは杲宝の弟子である賢宝(けんぽう)によって完成された。その東宝記は東寺の歴史を紐解く貴重な史料として、今では国宝に指定されている。観智院は江戸時代になると、東寺のみならず真言宗全体の勧学院(僧侶の教育機関であり、学問の研究所)に制定され、数多くの優秀な学僧を輩出している。寺に伝わる書物も数多く、膨大な量の密教経典や資料が残されているという。




山門より観智院の内部を見る
連なる建物のうち、銅板葺きの屋根が客殿部分である

 観智院は慶長元年(1596年)に起きた慶長伏見地震によって被災し、その全ての建造物が倒壊してしまった。現在に残る観智院の客殿は、地震直後の慶長10年(1605年)、北政所(きたのまんどころ)こと豊臣秀吉の正室、ねねの寄進によって建てられたものだ。その規模は桁行が12.7メートル、梁間は13.7メートル、屋根は入母屋造の妻入で、建立時の屋根は薄板を重ねた杮(こけら)葺であったが、現在は銅板に葺きかえられている。正面右よりに軒唐破風が付属しており、右手の本堂へは桁行一間、梁間一間の中門が伸びている。同じく国宝である滋賀県園城寺の勧学院客殿、光浄院客殿と共に、桃山時代における住宅様式の典型を示し、当時の僧侶の居室の姿を今に伝えている。




中庭越しに見る観智院客殿
中央に見える障子の部屋が住職の居間である「羅城の間」だ

 観智院客殿は、元は住職の住居として建てられた建物である。内部は北側に三室、南側に二室の計五室から成り、それらの周囲には板張りの廊下が巡らされている。建物の外部と内部を仕切る建具は、書院造の建具として一般的な、框(かまち、戸の枠)の間に板をはめた、舞良戸(まいらど)だ。五室のうち北側の三室は、住職の居室として用いられていた部屋であり、居間の「羅城の間」、寝室の「暗の間」、そして「使者の間」が東から西へ連なっている。そのうち「羅城の間」には、付書院(つけしょいん)や帳台構(ちょうだいがまえ)などの座敷飾を見ることができる。帳台構とは、武者隠しに似た小さな出入口の事であり、それは隣の「暗の間」へと繋がっている。




「羅城の間」前より中庭越しに見る本堂
手前の客殿より、中門を経て本堂へと通じている

 客殿南側の二室は「上段の間」と「次の間」であり、そのいずれも客用の座敷として用いられていた部屋である。特に上手である「上段の間」には、床の間や違い棚といった座敷飾が設けられており、書院としての特徴を完備したものとなっている。なお、「上段の間」には、宮本武蔵が描いたとされる「鷲の図」の障壁画、および「竹林図」の襖絵が飾られている。これらは、武蔵が決闘によって倒した、吉岡家の一門から命を狙われていたその際、追っ手から逃れる為に観智院に身を隠していた3年の間に描いたものであると伝えられている。墨で描かれた迫力ある二羽の鷲と、二本の刀を交差するかのように兀立する竹は、確かに武蔵の気風をそのまま写したかのようである。




客殿前に広がる「五大の庭」

 客殿の南側には「五大の庭」という名の枯山水庭園が広がっている。これは、空海が唐から帰国する際に海が荒れた為、密教の法具である独鈷杵(どっこしょ)を投げ入れた所、海神が現れ、みるみるうちに海が鎮まったという伝説を元にして、昭和の時代に作庭されたものだ。なお、「五大の庭」の五大とは、客殿から中門を経たその奥の本堂に鎮座する観智院の本尊、五大虚空蔵菩薩像を示したものである。五体の虚空蔵がそれぞれの馬、獅子、象、ガルーダ、孔雀に乗っているこれらの五大虚空蔵菩薩像は、空海の孫弟子であり、山科安祥寺の開祖でもある恵運(えうん)が、唐の長安にある青龍寺から持ち帰ったものであるとされ、重要文化財に指定されている。

2007年04月訪問
2010年10月再訪問




【アクセス】

「京都駅」より徒歩約15分。
近鉄京都線「東寺駅」より徒歩約5分。

【拝観情報】

通常非公開。
春季(3月20日〜5月25日)、秋季(9月20日〜11月25日)の特別公開で拝観可能。
拝観料500円(教王護国寺金堂、講堂、宝物館との共通券は1000円)。

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