北野天満宮 本殿、石の間、拝殿及び楽の間

―北野天満宮 本殿、石の間、拝殿及び楽の間―
きたのてんまんぐう ほんでん、いしのま、はいでんおよびがくのま

京都府京都市
国宝 1959年指定


 学問の神として名高い菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る北野天満宮は、九州の太宰府天満宮と共に、全国天満神社の本宮として知られている。桃山時代には豊臣秀吉によって開かれた北野大茶会の舞台にもなり、現在では受験生を始め数多くの参拝客で賑わっている。また梅の名所としても著名だ。その境内には、絢爛豪華な装飾が施された桃山建築の社殿が建っているが、これは秀吉の息子である豊臣秀頼(よとよみひでより)によって、慶長12年(1607年)に造営されたものである。それは同じく慶長12年に建てられた仙台の大崎八幡宮社殿と共に現存最古の権現造社殿であり、本殿と拝殿、それらを繋ぐ石の間、及び拝殿の東西に付属する楽の間が国宝に指定されている。




雪の北野天満宮参道と三光門(さんこうもん)

 平安時代、中流貴族の出身であった菅原道真は、宇多天皇に重用され右大臣にまで上り詰めた。しかし、そのとんとん拍子の出世を妬まれ、また中央集権的な道真の政治方針に藤原氏などの有力貴族が反発し、ついに道真は左大臣であった藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言によって言われ無き罪を背負わされ、大宰府に左遷されてしまう。道真は失意のまま延喜3年(903年)にこの世を去った。都に異変が起きたのは、その後の事である。まず、道真左遷のきっかけを作った藤原時平が39歳という若さで病死。続いて醍醐天皇の皇子である保明親王、その息子である慶頼王もまた病死した。さらには平安京内裏の清涼殿に雷が落ち、数多くの公卿や官人が死傷してしまう。




装飾著しい北野天満宮の拝殿
道真を主祭神とし、道真の長男である中将殿と、正室の吉祥女を祀る

 それらの凶事が道真の怨霊による祟りであると考えた朝廷は、道真の罪を赦免し、正二位の贈位を行うなど名誉の回復を図った。さらにはその怨霊を鎮める為、延喜19年(919年)に大宰府の道真墓所に太宰府天満宮を、天暦元年(947年)には都に北野天満宮を築いたのだ。これが両天満宮の起こりである。なお、北野天満宮が鎮座するその地には、かつては火雷天神(からいてんじん)という地主神が祀られていたという。落雷を起こした道真はその火雷天神と同一視され、融合し、雷を司る天神となったのだ。生前の道真は優れた学者であり歌人でもあった事から、中世以降は怨霊ではなく学問の神として崇敬を受け、また落雷は雨を呼ぶ事から農耕の神としても信仰された。




透塀(すきべい)に囲まれた本殿
左手に接続されているのは、本殿と拝殿を繋ぐ相の間だ

 豊臣秀頼が造営した現在の北野天満宮の社殿は、拝殿と本殿を相の間で接続した「エ」の字型の平面を持つ権殿造(ごんげんづくり)である。権現とは東照大権現、すなわち徳川家康の事であり、権現造は後に家康の廟である東照宮に用いられた事からその名が付いた神社の建築様式だ。北野天満宮の社殿は、拝殿の左右にそれぞれ楽の間が接続し、そこから中門にあたる三光門まで回廊が連なり拝殿前の空間を囲っている。また本殿は彫刻が施された連子窓の透塀によって囲われており、その背後には平唐門の後門(うしろもん)が構えられている。これらのうち回廊、三光門、透塀、後門は国宝ではないものの、その全てが重要文化財に指定されている。




漆と彫金が鮮やかな軒唐破風
欄間には天満宮の使者である牛が彫られた蟇股が据えられている

 本殿の規模は桁行五間に梁間四間、石の間は桁行三間に梁間一間、拝殿は桁行七間に梁間三間、楽の間はそれぞれ正面の桁行が二間、背面の桁行が三間、梁間二間となっている。屋根はいずれも檜皮葺で、入母屋造の本殿と拝殿を、切妻造の相の間が貫く形である。このような複雑な形状だと屋根の棟数が多くなる事から、八棟造(やつむねづくり)とも呼ばれている。本殿の西側には脇殿が付属し、そこには三間の庇が付く。また拝殿の正面には七間の向拝が付属している。正面の屋根には巨大な千鳥破風(ちどりはふ)が、その手前にはさらに軒唐破風(のきからはふ)が設けられているのだが、どちらの破風も黒漆が塗られ、彫金で飾り立てられた極めて荘厳華麗なものである。




拝殿に接続されている楽の間を後方より見る

 北野天満宮の社殿は彫刻の数も豊富である。特に蟇股(かえるまた)のモチーフは極めて多様で、軒唐破風の蟇股に天満宮の使者である牛が彫られている他、麒麟や獏などの幻獣、馬や虎などの動物、黄安(こうあん、亀仙人)や王子喬(おうしきょう、鶴仙人)などの人物、桃や瓜などの植物などを見る事ができる。また、木鼻には獅子と虎が、手挟(たばさみ)にも鳳凰や半人半鳥の迦陵頻伽(かりょうびんが)などが彫られ、それらはいずれも極彩色に彩られている。内部の柱などもまた漆で仕上げられ、重厚かつ荘厳な雰囲気だ。石の間は拝殿や本殿よりも一段低く作られた石敷きであり、天井を張らずに化粧屋根裏とするなど、平安時代に原型を持つという権現造の古式を示している。

2008年02月訪問




【アクセス】

京福「白梅町駅」より徒歩約5分。
「京都駅」より京都市バス50、101系統で約30分「北野天満宮前バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

拝観無料。
開門時間は夏季が5時〜18時、冬季が5時30分〜17時30分。

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