久能山東照宮本殿、石の間、拝殿

―久能山東照宮本殿、石の間、拝殿―
くのうざんとうしょうぐうほんでん、いしのま、はいでん

静岡県静岡市
国宝 2010年指定


 天下分け目の関ヶ原を制し、以降265年間続く泰平の礎を築いた徳川家康は、死して東照大権現(とうしょうだいごんげん)という名の神となった。久能山東照宮は、家康が最初に埋葬された地である久能山の山頂において、江戸幕府二代将軍徳川秀忠(とくがわひでただ)が元和3年(1617年)に築いた家康の霊廟である。全国に東照宮は数多くあれど、この久能山東照宮はその中で最も早く造営された、いわば東照宮の元祖ある。その社殿は、後に築かれた日光東照宮にも引けを取らないほど荘厳華麗なもので、また権現造(ごんげんづくり)と呼ばれる形式の社殿が全国に普及するきっかけとなった建築でもある。その建築的価値と建築史的価値が相まって、2010年に国宝指定された。




久能山東照宮の社殿裏手に建つ廟所宝塔(びょうしょほうとう)
家康は一旦ここに埋葬され、一年後に日光へ改葬された

 元和2年(1616年)、駿府城(すんぷじょう)にて家康が死去すると、遺体はその遺言通り、駿府城に程近い久能山に埋葬され、一周忌後に下野国は日光へと改装された。駿府湾を見下ろす位置に険しくそびえる久能山は、飛鳥時代より久能寺という寺院が建ち、戦国時代には駿府に侵攻した武田信玄によって、その頂に久能山城が築かれた要害の地である。家康もまたこの久能山を重要視しており「久能城は駿府城の本丸と思う」という言葉を残している。東照宮が建立された後は、久能山総門番という役職が置かれ、それには徳川四天王の一人として名高い榊原康政(かきばらやすまさ)の兄、榊原清政(さかきばらきよまさ)の血筋である榊原家宗家が就いて、代々管理を行っていた。




楼門から社殿を望む
国宝に指定された社殿の他、現存する建物は全て重要文化財である

 久能山東照宮の参道は、駿河湾を望む久能山の南側から始まる。急斜面を九十九折に上る1159段の石段を登り終えると、そこには一の門が構えられている。これは久能山城時代の大手門跡であり、石垣が積まれた鉤型の虎口には門衛所が配され、警備の為の与力が詰めていた。社殿は久能山城の本丸があった最深部に位置しており、その入口には楼門がそびえ建つ。楼門から社殿に至る参道の両脇には、神楽殿、神饌所、鼓楼、それと伝説的彫刻家である左甚五郎(ひだりじんごろう)の作とされる神馬像を納めた神厩が並ぶ。また、神楽殿奥の高台には神庫と末社の日枝神社本殿が鎮座する。かつては五重塔も存在したが、それは明治の廃仏毀釈により破却されてしまった。




日枝神社本殿前から東門越しに見る久能山東照宮社殿
入母屋造の本殿及び拝殿を相の間で繋いだ構造が良く分かる

 久能山東照宮の社殿は、本殿と拝殿を石の間で接続した「エ」の字型の平面を持つ権現造である。権現造は久能山東照宮に採用された事で全国に広まった社殿建築の様式で、権現造という名も家康の神号である東照大権現から取られたものだ。権現造のルーツは、奈良時代の仏教寺院に用いられていた、二棟の建物を前後に配する双堂(ならびどう)にあるという。それが神社に取り入れられ、前殿(まえどの)と後殿(うしろどの)を相の間で連結した八幡造(はちまんづくり)となり、権現造へと発展した。八幡造と権現造は二棟の建物を相の間で繋ぐ構造こそ同じだが、八幡造は前殿と後殿を含めた全体が本殿であるのに対し、権現造は本殿と拝殿を接続した複合社殿であるという違いがある。




拝殿の向拝部分
黒漆で塗られた部材に煌びやかな彫金や彫刻が良く映える

 久能山東照宮の造営は、家康が重用していた初代京都大工頭(大工を総轄する役職)、中井正清(なかいまさきよ)によって行われた。正清は法隆寺大工の出身で、徳川家に関する数多くの建築物を手がけた人物である。久能山東照宮の社殿は、数多くの彫刻や飾金具によって彩られ、また複雑な形状がうまくまとめられ、荘厳ながらも洗練されたたたずまいを見せている。華麗な桃山様式の特徴を残しながら、江戸時代の建築へと変化する、その過渡期の様相を示す遺構としても貴重だ。本殿内部には三間の厨子が据えられており、その中央には主祭神である徳川家康、その両脇には相殿(あいどの、主祭神と共に合祀される神)として、織田信長と豊臣秀吉の二人が祀られている。




中国の故事「司馬温公の瓶割」をモチーフとする拝殿正面の蟇股の彫刻
久能山東照宮は2001年から2009年まで平成の大修理が行われ、往時の輝きが蘇った

 建物の規模は、本殿が桁行三間に梁間三間、拝殿は桁行五間に梁間二間、それらを繋ぐ石の間は桁行一間に梁間一間である。屋根は本殿と拝殿が入母屋造で、石の間は両下造(りょうさげづくり、建物に隣接し、妻面を持たない切妻造)だ。拝殿の正面には堂々たる千鳥破風が付属し、その下には三間の向拝が設けられている。創建当初、屋根は檜皮で葺かれていたが、寛永17年(1640年)に黒漆を焼き付けた銅瓦(木製の瓦に銅を張ったもの)葺に改められた。建物もまた総漆塗で、組物や蟇股(かえるまた)、長押(なげし)、桁などには色鮮やかな極彩色が施されている。また向拝の手挟(たばさみ)は牡丹と菊が、蟇股には中国の故事が彫られているなど、彫刻も見事だ。

2010年12月訪問




【アクセス】

JR東海道線「静岡駅」より静岡鉄道バス「久能山下」行きで約35分(あるいは「東大谷」行きで約25分、終点で「久能山下」行きに乗り換えて約10分)「久能山下バス停」下車、徒歩約15分。

JR東海道線「静岡駅」より静岡鉄道バス「日本平」行きで約35分「日本平バス停」下車、日本平ロープウェイで約5分。

【拝観情報】

拝観料500円。
拝観時間は4月〜9月が9時〜17時、10月〜3月が9時〜16時。

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