本願寺書院(対面所及び白書院)、本願寺黒書院及び伝廊、本願寺北能舞台

―本願寺書院(対面所及び白書院)―
ほんがんじしょいん(たいめんじょおよびしろしょいん)
国宝 1952年指定

―本願寺黒書院及び伝廊―
ほんがんじくろしょいんおよびでんろう
国宝 1956年指定

―本願寺北能舞台―
ほんがんじきたのうぶたい
国宝 1953年指定

京都府京都市


 鎌倉時代初期、親鸞(しんらん)の教えを継ぐ弟子たちによって展開された浄土真宗。念仏を唱えれば阿弥陀如来の本願によって救われるという簡素明確な教義のもと、浄土真宗は瞬く間に庶民に広まり、各地に一向宗と呼ばれる門徒集団が形成された。それらを束ねていたのが、浄土真宗の総本山本願寺である。本願寺は莫大な影響力と資金力を有し、戦国時代には一大勢力として織田信長らと対立した。現在の本願寺は豊臣秀吉より与えられた京都堀川六条の地にあり、その境内には桃山時代から江戸時代初期に建てられた、本願寺の権力と財力をうかがわせる豪奢な建造物が残されている。そのうち境内中枢にあるものとして、書院、黒書院、北能舞台が国宝に指定されている。




対面所への入口である書院玄関(重要文化財)

 書院は大きく分けて、客の応接を行う対面所と、門主が賓客を招く白書院から構成されている。このうち対面所は、元和4年(1618年)に建てられた。本願寺は元和3年(1617年)の年末に大火が起き、飛雲閣など一部を除いてほとんどの建物が焼失してしまっている。それ故、本願寺に残る建造物は大火後に再建、または移築されたものが多いのだ。元々、対面所は別の場所に建てられていたというが、寛永10年(1633)に現在位置へ移築され、その際に白書院と組み合わされ一つの書院に改められた。いずれの部屋も、金碧鮮やかな障壁画や、技巧を凝らした欄間彫刻によって飾られており、絢爛豪華な桃山文化の流れを汲む、江戸時代初期を代表する書院建築として知られている。




虎の間(重要文化財)へ直接通じる玄関
虎の間には、虎と豹の板絵が残る(かつて豹は虎の雌と勘違いされていた)

 書院内で最大の面積を占める対面所は、203畳もの規模を持つ壮大な広間である。その部屋の奥には、帳台構(ちょうだいがまえ、警備が詰める武者隠しへ繋がる扉)を備えた上段が設けられ、さらにその右手には付書院と違棚を備えた上々段がある。上段と下段を分かつ欄間には、コウノトリの透かし彫りが施されており、それ故この対面所は「鴻の間(こうのま)」とも称される。壁や襖等には、狩野派の渡辺了慶(わたなべりょうけい)が描いた障壁画で飾られ、天井は文様が施された格天井。上段と上々段は特に格の高い折上格天井である。なお、対面所向かいの前庭には南能舞台があるが、この能舞台に描かれた松は、暗い対面所内からのみ松が見える隠し絵の手法で描かれている。




左が南能舞台(重要文化財)の屋根、右が書院の屋根である

 対面所の西隣には「雀の間」があり、「雁の間」「菊の間」と続いて白書院に至る。白書院は「三の間」「二の間」「一の間」から成り、いずれも優れた欄間彫刻、障壁画で飾られている。「一の間」には床や違棚、付書院、帳台構が備えられ、典型的な書院の様相を見せる。なお、白書院の東側にある「装束の間」は、韃靼(モンゴル)狩猟図で飾られているが、寺院において殺生の絵が描かれるのは珍しい。各部屋を囲む廊下は「狭屋の間」と称され、天井画として「北狭屋の間」には様々な花の絵が、「東狭屋の間」には書物の絵が描かれている。枯れやすい種類の花の茎に湿らせた和紙が巻かれていたり、書物の中に鼠避けの猫が混じっていたりと、当時の粋な気風が随所に見受けられる。




宝暦10年(1760年)以前に建てられたとみられる大玄関

 書院の北東端には伝廊が接続され、黒書院へと続いている。黒書院は13世門主良如(りょうにょ)の私室として明暦3年(1657年)に造営されたもので、規模は桁行が約11メートル、梁間は約12メートル。杮(こけら)葺きの寄棟造であり、庇が巡らされた二重屋根を持つ。内部は主室である「一の間」を中心として、「二の間」「茶室」「鎖の間」「広座敷の間」などが存在する。部材には粗木が用いられ、柱や天井は漆で黒く塗られている。黒書院と呼ばれるのはその為だ。欄間は幾何学模様。壁や襖には狩野探幽(かのうたんゆう)の筆と伝わる水墨画が張られている。白書院が荘厳華麗な桃山様式の建築であるのに対し、黒書院は瀟洒で軽快なたたたずまいの数奇屋造風書院建築である。




大玄関前に構えられた大玄関門
左右に門番屋を持つ重厚な門で、弘化4年(1847年)に建てられた

 前述の通り、対面所の前庭には南能舞台が存在するが、白書院の前庭にもまた北能舞台が存在する。本願寺坊官の下間(しもつま)氏が、徳川家康より与えられた能舞台を本願寺に寄進したものと伝わっており、懸魚に残る墨書より天正9年(1581年)の造営とされる。これは、現存する能舞台としては最古のものだ。舞台を中心に、右手には脇座が、左手奥には橋掛が付属するといった能舞台の要素を網羅しながらも、屋根は小ぶり、かつ橋掛も簡素であるなど、江戸時代に能舞台の様式が定型化する以前、古式の能舞台を今に伝えている。なお、北能舞台の周囲には七つの甕が埋められ、こぶし大の「なめり石」が敷き詰められている。これは、声の響きを良くする為の工夫である。

2010年12月訪問
2011年01月再訪問




【アクセス】

「京都駅」より徒歩約15分。
「京都駅」より京都市バス9系統、28系統、75系統などで約3分、「西本願寺前バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

書院、北能舞台の拝観には予約が必要(1日2回、午前は10時30分から、午後は14時30分から)。黒書院は北能舞台前からその外観が見られるが、内部の拝観は一切できない。伝廊は書院内から透かし戸越しにのぞく事ができるが、照明はなく暗い。毎年5月21日の宗祖降誕会では、5000円以上の懇志で対面所から能を鑑賞できる。

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