本願寺大書院庭園

―本願寺大書院庭園―
ほんがんじおおしょいんていえん

京都府京都市
特別名勝 1955年指定


 宗祖親鸞(しんらん)の教えを継ぐ弟子たちによって確立された鎌倉時代の新仏教、浄土真宗。念仏を唱えれば分け隔てなく誰でも救われるというその教義は、庶民を中心に広く受け入れられ、各地に一向宗と呼ばれる門徒勢力が台頭した。それは総本山である本願寺に莫大な財をもたらし、戦国時代になると本願寺は大名というべき力を有するまでに至った。本願寺の境内には、色彩鮮やかな金碧障壁画によって飾られた、桃山様式の流れを汲む江戸時代初期建造の書院が現存しており、信仰に支えられた本願寺の力を見て取れる。その本願寺大書院において、最も広大な面積を誇る「対面の間」の東に面し、江戸時代初期に作庭された中庭が広がっており、特別名勝に指定されている。




本願寺の文化財配置図
緑色で塗られた部分が虎渓の庭だ

 本願寺の書院を構成する「対面の間」や「白書院」は、一説によると豊臣秀吉が築城した伏見城から移築されたものだという。書院庭園もまた、元は伏見城の書院に作られたもので、その後に本願寺の現在位置に移築されたと伝わっている。本願寺はかつて、大阪の石山本願寺(現在の大坂城がある丘)を手放す代わり、現在の本願寺がある京都堀川六条を秀吉から与えられたというよしみもあり、本願寺には書院を始め、飛雲閣や唐門など、伏見城や聚楽第(じゅらくだい、秀吉の邸宅)から移築されたと伝わる建造物が多い。しかし、それらは伝説の域を出ておらず、真偽の程は定かではない。書院庭園の作者は伏見の朝霧志摩之助とされるが、この人物もまた実在が疑われている。




本願寺の境内東側には濠が残る
二つの門とそれらを繋ぐ塀は重要文化財である

 本願寺書院の庭園は、古来より「虎渓の庭」と称されてきた。これは中国にある廬山(ろざん)の景勝地の一つ、虎渓という渓谷を模している事から付けられた名だ。廬山とは、四世紀に慧遠(えおん)という高僧が東林寺を建立し、白蓮社(びゃくれんしゃ)と呼ばれる念仏集団を結成した事に始まる中国仏教の聖地である。中国浄土宗発祥の地という事もあり、浄土真宗総本山の庭園に相応しいモチーフと言えよう。また、廬山に篭り、二度と虎渓の橋を二度と渡るまいと誓った慧遠が、訊ねてきた儒教の陶淵明(とうえんめい)と道教の陸修静(りくしゅうせい)を見送る際、話に夢中になるあまり虎渓を渡ってしまい、それに気づいた三人は大笑いしたという「虎渓三笑」の故事に因むともいう。




御影堂の前に建つ御影堂門は正保二年(1645年)の建立だ

 この「虎渓の庭」は、左奥にそびえ建つ御影堂を借景とし、その巨大な入母屋屋根の妻面を廬山に見立てるという、非常にユニークな枯山水庭園である。その廬山の下には、巨大な立石を配して枯滝組とし、枯滝組の袂には大き目の玉石を配して荒々しい奔流を表現している。またこの枯滝組は、釈迦と両脇侍を模した三尊石でもある。庭園中央左寄りには亀島が、右寄りには鶴島が配され、その周囲に海を表す白砂を敷いた枯池が広がっている。水を用いない枯山水であるにも関わらず、この庭園はまるで池泉庭園のように護岸の石組が組まれている点も興味深い。庭園の中央奥には蓬莱連山の石組を置き、庭園を囲むように植栽を施して、虎渓の雄大かつ深遠な風景を醸している。




阿弥陀堂前の銀杏と、延宝6年(1678年)に完成した本願寺経蔵(重要文化財)

 亀島と鶴島は、その名の通り亀と鶴の形を模した島だが、この庭園ではその形状を表現するのに西欧的意匠である蘇鉄が用いられている。蘇鉄は大きく成長する木であるが、この庭園では石組の上に土を敷いて植える事で、石組が蘇鉄の成長を抑制しているのだ。なお、京都には数多くの庭園が存在するが、蘇鉄が用いられている庭園は、この本願寺大書院庭園と二条城二之丸庭園、それと桂離宮の庭園の計三ヶ所だけである。桂離宮を造営した智仁親王(としひとしんのう)の娘である梅宮は、本願寺13世門主良如(りょうにょ)の妻であり、その関連性がうかがえる。南国原産の蘇鉄は寒さに弱く、冬になるとその保護の為に"こも"が巻き付けられるのも、特徴的である。




本願寺境内の南東隅に位置する太鼓楼(重要文化財)
幕末には本願寺を屯所としていた新撰組の刀傷が残るという

 また、亀島と鶴島には軽快な反りを持った切石の橋が架けられており、それぞれの島に配された石組や蘇鉄などと共に、この庭園ならではのリズムを作り出している。なお、石組に用いられている岩石は、紀州産の緑泥石片岩だ。緑泥石片岩は、ほのかに緑色を帯びたツヤのある色石で、白砂や木々の緑と相まって、庭園の色彩をより華やかなものにしている。以上のように、この「虎渓の庭」は、限られた面積の中に数多くの景観要素をふんだんに盛り込んだ、派手で大胆な枯山水庭園に仕上がっている。豪奢なものを好んだ桃山時代における庭園様式の気風を良く表しており、またそれは秀吉好みの意匠でもある。桃山の様式を継ぐ江戸時代初期の枯山水庭園として、類稀なるものだ。

2010年12月訪問
2011年01月再訪問




【アクセス】

「京都駅」から徒歩約15分。
「京都駅」から京都市バス9系統、28系統、75系統などで約3分、「西本願寺前バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

拝観には予約が必要(1日2回、午前は10時30分から、午後は14時30分から)。

【関連記事】

本願寺書院(対面所及び白書院)、黒書院及び伝廊、北能舞台(国宝建造物)
本願寺唐門、本願寺飛雲閣(国宝建造物)
本願寺阿弥陀堂、本願寺御影堂(国宝建造物)
二条城二之丸庭園(特別名勝)
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)(世界遺産)