瑠璃光寺五重塔

―瑠璃光寺五重塔―
るりこうじごじゅうのとう

山口県山口市
国宝 1952年指定


 南北朝時代から室町時代にかけて、中国地方に栄華を誇った大内氏。周防の豪族であった大内氏は、その勢力を拡大するさなか、南北朝時代の1360年頃に山口盆地へと拠点を移し、京都を模した町作りを行った。幕府に帰服し、周防などの守護職を務める一方、大内氏は宋や朝鮮、琉球などとも盛んに交易を行い、膨大なる富を蓄えていく。その様な背景の下、山口には京都と大陸の文化を融合させた、独自の大内文化が花開いた。応仁の乱が勃発すると、大内氏は公家や知識人を積極に保護し、当時の山口は「西の京」と称される程の一大文化圏であったという。大内氏は戦国時代に滅びたものの、現在の山口市にある瑠璃光寺には、大内文化を今に伝える華麗な五重塔が聳え立つ。




現在の瑠璃光寺本堂(右)

 山口盆地中心部の山裾に位置する瑠璃光寺の境内地は、元は大内義弘(おおうちよしひろ)が創建した香積寺(こうしゃくじ)という寺院があった場所だ。義弘は南北朝の統一に尽力し、大内氏を最盛期に導く礎を作った人物であるが、応永6年(1399年)に室町幕府に対して応永の乱を起こし、足利義満(あしかがよしみつ)によって討たれてしまう。家督を継いだ義弘の弟、大内盛見(おおうちもりみ)は、兄の菩提を弔うべく、その香積寺に五重塔を建立した。盛見は五重塔の完成を見る事無く、永享3年(1431年)に九州の少弐氏、大友氏との戦いにおいて戦死するものの、五重塔は嘉吉2年(1442年)に無事完成を見た。その塔こそ、現在の瑠璃光寺五重塔なのである。




塔身が細身で美しい、瑠璃光寺五重塔

 五重塔が瑠璃光寺の所属となるのは、江戸時代に入ってからの事だ。瑠璃光寺という寺院は、大内氏の支族である陶氏の陶弘房(すえひろふさ)が応仁の乱において戦死した際、その菩提を弔う為に、弘房夫人が文明3年(1471年)に創建した寺院として、現在の山口市仁保に存在した。戦国時代になると、陶晴賢(すえはるかた)の謀反をきっかけに大内氏は滅亡し、中国地方は毛利氏の領土となったが、関が原の戦いにおいて西軍総大将を務めた毛利氏は、江戸幕府により大幅な減封を科せられ、萩へと押し込められてしまう。その際、毛利氏の居城と共に香積寺もまた、萩へと移転した。その後の元禄3年(1690年)、五重塔のみが残る香積寺跡地に瑠璃光寺が移ってきたのである。




純和様でまとめられた、五重塔の初重部

 そうして瑠璃光寺に受け継がれた五重塔は、かつて山口盆地に栄えた大内文化の傑作と称され、斑鳩の法隆寺五重塔、京都の醍醐寺五重塔と共に、三名塔の一つに数えられている。植生豊かな庭園の中に建つその五重塔は、極めてスレンダーで華麗に見える。約31.2メートルという高さの割に、初重の幅は5メートルと塔身が細く、また屋根の軒が非常に深いのと、初重の高さが5メートルと高いのも、塔をスラリと見せている要因であろう。初重には高欄無しの切目縁、二重には高欄付きの縁を巡らしているが、三重以上には縁が無い。また一重目の両脇間には盲連子(めくられんじ)がはめられているが、二重以上の脇間には存在せず、各重ごとに意匠が異なる、意匠豊かな塔となっている。




二重には逆蓮頭の欄干が備わるが、三重以上には見られない

 その屋根は檜皮によって葺かれ、柱は長押によって固められている。軒裏は二軒の繁垂木で、全てが平行垂木である。組物は三手先で、中備は間斗束。建具も板戸であるなど、基本的には日本古来の建築様式である和様で建てられているが、二層の高欄に見られる擬宝珠(ぎぼし)は、上部が尖った禅宗様の逆蓮頭(ぎゃくれんとう)であるなど、大陸由来の禅宗様もごく一部に取り入られている。塔の内部は、初重から立つ心柱の周囲に四天柱が設けられ、それらを取り込むように禅宗様の円形須弥壇が据えられ、阿弥陀如来坐像と大内義弘坐像を安置している。塔婆において、円形須弥壇を設ける例は他に無く、大陸との交易により独自に発展した、大内文化の塔ならではの特徴である。




毛利敬親らが眠る、瑠璃光寺横の香山墓所

 毛利氏が萩へ移封されて以降、山口は暫く藩政の中心地から外れていたが、幕末になると長州藩は再び山口に藩庁を移し、山口は討幕運動における拠点となった。瑠璃光寺に隣接した木々生い茂る山の斜面には、明治4年に没した長州藩の第13代藩主、毛利敬親(もうりたかちか)を始め、その家族が眠る香山(こうざん)墓所がある。この香山墓所は、萩にある旧天樹院(てんじゅいん)墓所、大照院(だいしょういん)墓所、東光寺(とうこうじ)墓所と共に、萩藩主毛利家墓所として、国の史跡に指定されている。土饅頭の前に墓碑が置かれたその墓所へと至る石畳の参道は、足音が周囲の石垣や石段に反響し、美しい音が返ってくる事から、うぐいす張りの石畳と呼ばれている。

2010年10月訪問




【アクセス】

JR山口線「山口駅」より徒歩約40分。
JR山口線「山口駅」よりJRバス、および防長交通バスで約8分「県庁前バス停」下車、徒歩約10分。
JR山口線「山口駅」より山口市コミュニティバス「香山公園五重塔行き」で約15分、終点下車すぐ。

【拝観情報】

境内自由。

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