不動院金堂

―不動院金堂―
ふどういんこんどう

広島県広島市
国宝 1958年指定


 安土桃山時代、毛利輝元(もうりてるもと)によって広島城が置かれ、それ以降も中国地方の中核都市として栄えた広島市。その市街地は、太田川およびその支流によって形成された、三角州の上に開かれている。真言宗の仏教寺院、新日山不動院は、その太田川の支流が分岐する地点、三角州の根元に位置している。僧侶の身でありながら、有力な戦国大名となった安国寺恵瓊(あんこくじえいけい)が再興したその境内には、室町時代後期に建造された禅宗様の仏殿が鎮座している。太平洋戦争において、広島に原爆が投下された際にも、奇跡的に大きな被害を受ける事無く残ったその仏殿は、中世有力禅宗寺院における仏殿の姿を今に伝えるものとして、国宝に指定されている。




中世禅宗様仏殿で、最も規模が大きな不動院金堂

 不動院の創建時期は正確には分かっておらず、江戸時代の享保7年(1722年)に当時の住職である覚幢が著した「新山雑記」においても、開基は空窓という僧侶であると記されているのみで、その由緒は不明である。しかしながら、本尊の木造薬師如来坐像(重要文化財)は平安時代後期の様式が見られる檜の寄木造であり、寺院の創建もその頃と考えられている。その後の南北朝時代、室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)と直義(ただよし)の兄弟は、後醍醐天皇を始めとした建武の新政以降における戦没者を弔う為、日本各国に安国寺(あんこくじ)と利生塔(りしょうとう)の寺塔をそれぞれ設置した。この時、安芸安国寺とされたのが、のちの不動院となるこの寺院である。




扇垂木や詰組など、禅宗様の特徴を網羅している
前面を吹き放ちとしている点はユニークである

 尊氏、直義兄弟に安国寺の設置を勧めたのは、臨済宗の禅僧である夢窓疎石(むそうそせき)であり、安芸安国寺もまた臨済宗の寺院であった。以降は安芸武田氏の菩提寺として栄えたが、戦国時代、武田氏は毛利氏によって滅ぼされ、安国寺もまた戦火で灰燼に帰した。その際、武田氏の人物が一人、出家してこの安国寺に入っている。後の安国寺恵瓊である。恵瓊は元亀3年(1572年)に安国寺の住持となり、寺の復興に尽力した。関が原の戦い後に恵瓊が斬首されると、広島城に入った福島正則(ふくしままさのり)が尾張から宥珍(ゆうちん)を招いて安国寺の住職とし、その際に真言宗へと改められ、また本尊を不動明王とした事から、以降は不動院と呼ばれるようになったのだ。




不動院金堂の側面
花頭窓や弓欄間もまた禅宗様の典型的特長だ

 現在の不動院金堂は、その天井に描かれた龍画の墨書銘より、天文9年(1540年)に建立された事が判明している。元は大内義隆(おおうちよしたか)が山口に創建した、香積寺(こうしゃくじ)の仏殿であったというが、恵瓊が安国寺を復興するにあたり、天正年間(1573〜1592年)に移築したという。その仏殿は、禅宗と共に宋から日本に伝来した建築様式である禅宗様で建てられており、しかも現存する中世の禅宗様建築の中では最大の規模を誇るものである。その身舎(もや、建物本体の事)は桁行三間に梁間四間で、屋根は杮(こけら)で葺かれた入母屋造。屋根の下には裳階(もこし)と呼ばれる庇が巡らされており、外観では二重の屋根を持つ建物のように見える。




吹き放ち部分に見られる海老虹梁や手挟には、若葉の彫刻が施されている

 不動院金堂の特徴は、基本的には禅宗様仏殿の特徴に準じている。軒下は三手先の組物を隙間無く配した詰組。軒裏は屋根も裳階も、垂木を放射状に配した扇垂木である。前面のみ、裳階下に壁を設けない吹き放ちとするが、これは他の禅宗様仏殿に見られない特徴だ。正面の建具は中央三間に桟唐戸をはめ、両脇間には両端が真っ直ぐに下がった古式の花頭窓を開いている。柱は上下を丸くすぼめた粽柱で、柱と礎石の間には礎盤を入れている。側面全体と前後の一部には弓欄間を設け、採光と風通しを図っている。また裳階と身舎を繋ぐ海老虹梁や、裳階の手挟には、若葉をモチーフにした植物の彫刻が施され、意匠性にも富んだ室町時代末期らしい禅宗様建築となっている。




金堂よりも時期の早い、室町時代中期に建てられた鐘楼(重要文化財)
不動院は広島市内における紅葉の名所でもある

 内部は床を張らない土間とする。前より二間を外陣、その後ろ一間を内陣とするが、外陣の部分は柱を省略し、広い礼拝空間を作り出している。組物により持ち上げられた天井は8.6メートルと高く、平らな鏡天井は外陣、内陣で二分されているが、これもまた他の禅宗様仏殿に見られない特徴である。なお、不動院には金堂以外にも多数の古建築を有している。境内入口に建つ楼門(建築的には二重門である)は、桃山時代の文禄3年(1593年)に建てられたもの。金堂の右方に建つ鐘楼は、室町中期の永享5年(1433年)に建てられたもので、いずれも重要文化財。またた銅製の梵鐘は高麗製で、恵瓊が将来したものであるとされており、これもまた重要文化財の指定である。

2009年10月訪問




【アクセス】

アストラムライン「不動院前駅」より徒歩約3分。
「JR山陽本線広島駅」より広島バス高陽線で約20分「不動院バス停」下車、徒歩約3分。

【拝観情報】

境内自由。

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