遍路49日目:中萩駅〜延命寺(19.4km)






 雨である。紛うことなき雨である。夜明け前からしとしと降り続けていたようだが、6時を回った途端に勢いを増し、まるで私の出発を妨げようとしているかのようだ。中萩駅のプラットホームにできた水溜まりにはひっきりなしに波紋が上書きされ続けており、心底うんざりとした気分になる。


朝食は食パンにハチミツをぶっかけて食べた
いわばトーストしないハニートーストだ

 我ながら、いつもに増して雑な食事である。最近、朝食はいつもバターロール系のパンを食べているのだが、昨日の夕方立ち寄ったコンビニにはそのような類のパンがすべて売り切れており、ついカッとなって食パン一斤とハチミツを購入してしまったのである。

 とりあえず三枚食べたら腹いっぱいになったものの、ハチミツはまだまだ残っているのでしばらく朝食はこのメニューになりそうだ。まぁ、ハチミツは疲労回復に良いだろうし、食パンは経済的にリーズナブルなので、私のような貧乏遍路に合った食事なのかもしれないが。

 雨が弱まるタイミングを見計らって出発しようと思ったのだが、勢いが衰えるどころかむしろ強まる一方で、今や出発を躊躇するくらいのレベルとなっている。とはいえ、いつまでも駅舎に籠っているワケにはいかない。駅利用者の迷惑にならない為にも、始発の列車が来る7時までには立ち去らなければ。


覚悟を決めて6時半に中萩駅を出発した
昨日に引き続き、旧讃岐街道を進んでいく

 私が次に目指すのは、いよいよ伊予国最後の札所である第65番札所の三角寺(さんかくじ)だ。伊予三島(現四国中央市)の南に聳える法皇山脈の中腹に位置しており。昨日参拝した第64番札所前神寺からは44.7kmとそこそこの距離である。

 既に10kmほど進んでいるので残りは約35kmだが、最後は山登りになるようなのでこの天気では到達は難しいだろう。遍路地図によると登山道の入口に戸川公園という東屋とトイレを備えた公園があるようなので、今日はそこを目指すとしよう。


巨大な銀杏の木を背に、古そうな宝篋印塔が鎮座していた

 この辺りは今でこそ普通の住宅街であるが、かつては数件の遍路宿が営業しており、またこの宝篋印塔の隣には遍路の接待を行う茶堂があったという。往時は遍路で賑わっていたのだろうが、現在は平日の朝であるにも関わらず人の姿はまったくなく、聞こえてくるのはアスファルトを叩く雨音だけだ。

 それにしても、やはり相当に酷い雨である。私の靴はゴアテックスのウォーキングシューズなので耐水性はあるものの、こうも激しい雨だと紐や靴下を伝って水がガンガン入り込んでくる。

 私は靴の濡れ具合の程度をレベルに分け、少しでも靴下に湿り気を感じたらレベル1、靴下の一部が濡れたと感じたらレベル2、半分以上濡れたらレベル3、全体が濡れたと感じたらレベル4、そして靴の中が水で飽和したらレベル5と定義しているのだが、今日は歩き始めてものの40分足らずでレベル5まで達した。歩く度にがっぽがっぽと音が鳴り、靴の中から水が漏れ出てくるという有様である。先日の雨で足の裏がふやけたままハードに歩くともれなくマメができると知ったので、今日はできるだけペースを落として行くことにしよう。


軒先で雨宿りをしつつ、少しずつ進む


喜光地(きこうじ)町ではアーケードの商店街を抜けた

 アーケードの遍路道とはこれまた不思議な感じであるが、こういう天気の日には屋根の存在が非常に嬉しい。看板に隠されがちであるがよく見ると古い町家も残っており、七夕の飾りも季節感があってなかなか良い雰囲気だ。ただし床がタイル敷きなので、靴が滑って危うく転びそうになってしまったが。


アーケードが途切れ、再び雨に打たれながら旧街道を行く
容赦のない雨に、だんだん辛くなってくる

 まだ出発して大した時間が経ってはいないが、既に先行きが怪しくなってきた感じである。なんせ全身ずぶ濡れ、まるでゾンビのようにべちゃべちゃと音を立てて歩いている状態なのだ。ザックにはレインカバーをかけているが、こうも強い雨では背中側から水滴が入ってくることを防げない。水を吸い込んだザックは肩に重くのしかかり、気力がどんどん奪われていく。

 国領川に架かる橋を渡ってさらに進んでいくと、旧街道は国道11号線と合流し、やがて柏坂に差し掛かった。普段ならばたいしたことのない緩やかな坂道ではあるのだが、今の私にはちょっとの傾斜でも負担に感じてしまう。


まだ8時なのに、早くも心が折れそうな感じである


柏坂を越えてから、遍路道は旧街道と国道を交互に歩いていく
道標や石仏が多く目に留まり、少しだけ元気が出てきた

 平地からちょっとした山間に入ったことで市街地感が薄まり、遍路道として良い感じの風情になってきた。心なしか雨まで弱まってきたように感じ、どん底に沈んでいた私の心に希望の灯がともる。よーし、今のうちにできるだけ距離を稼いでおくとしよう。


緑のトンネルは雨が直接当たるのを防いでくれる


棚田を眺めながら坂道を上っていくと、やがて関ノ戸に到達した

 関ノ戸は新居浜市と四国中央市(旧宇摩郡土井町)の境に位置しており、かつては関所が置かれていたという交通の要衝だ。ここもまた遍路宿や茶堂が建ち並んでいたというが、現在はやはり静かな農村集落である。


関ノ戸を越えた途端、再び雨が強まってきた

 屋根から滝のように流れ落ちるほどの雨に、再び心がささくれ立つ。首筋から入り込んだ水が背中を湿らせて気持ちが悪い。さらに重さを増したザックが肩に食い込んで痛み、それをかばって妙な体勢で歩くものだから腰や脚にも負担が来てしまう。あー、キツイ、ツライ、シンドイ。そんな負の感情が高まっていくうちに、ふと意味不明な笑いが胸の奥底からこみ上げてきた。


おかしな笑い声を上げながらがむしゃらに歩く

 これぞ、まさに“笑うしかない”というヤツなのだろう。しかし、こんな状況であっても、笑っているとどこか楽しくなってくるから不思議なものだ。だからこそ、笑おうじゃないか。そう、無理矢理にでも笑うのだ。傍から見たらかなりの不審人物かもしれないが、構うものか。こんな日にわざわざ出歩くのは、どうせ酔狂者しかいないのだから。

 いくつかの集落を抜け、山に沿って続く高台の遍路道を行く。やがて木ノ川という古い家屋が並ぶ集落に辿り着いたのだが、その中心部に位置する集会所の敷地には「三度栗大師堂」という小堂が鎮座していた。


三度栗伝説が残る、木ノ川集落の三度栗大師堂

 大師堂と呼ばれてはいるものの実際は地蔵菩薩を祀るお堂であり、正確には三栗山地蔵院という名のようだ。かつて空海がここを通りがかった際に子供たちから栗を貰い、お礼としてこの地域の栗の木が年に三回実を結ぶようにしたという、いわゆる三度栗の伝説が語られている。

 集会所の軒下にベンチが設えられていたので、雨宿りがてら休憩をしてから木ノ川の集落を後にする。そのまま道なりに進んでいくと遍路道はJR予讃線の線路を渡り、伊予土井の中心市街地へと入っていった。


踏切の横で花を咲かせるアジサイを横目に旧街道を進む


程なくして四国別格二十霊場の12番札所にあたる延命寺に到着した

 伊予土井の商店街入口に境内を構えている延命寺は、奈良時代に行基によって創建されたと伝わる古刹である。平安時代には空海が訪れて松を植えたとされ、山門の向いには「いざり松」と呼ばれる直径5m、枝張り東西30m、南北20mにも及ぶ巨松が存在した。残念ながら明治43年(1968年)に枯死してしまったとのことで、現在は幹の部分のみが屋根に覆われて保存されている。


現在の「いざり松」、かつてはさぞや立派な松だったのだろう

 枯れてもなお迫力がにじみ出ているいざり松であるが、私の意識はそれよりも隣に建つ東屋に釘付けとなっていた。テントを張るに十分な広さがあるうえ、市街地の中にありながらもいざり松など視界を遮るものが多く、通りからあまり目立たない。トイレもすぐ側にあるし、野宿スポットとして最適すぎる東屋なのだ。私は思った。「あ、今日はここまでにしよう」

 このような素晴らしい東屋を見つけてしまった以上、もう悲惨な雨の中を歩き続けたくはない。とはいえ時計を見るとまだ正午過ぎと、寝床の確保にはあまりに早すぎる時間であるのも事実である。とりあえずは腹が減ったので、ザックを下ろして昼食休憩にすることとした。


食パンがなくなったので、ハチミツを直に飲む

 最初は朝食と同じくトーストしないハニートーストを食べていたのだが、食べ切ってもいささか物足りなさがあったのでハチミツを飲むという暴挙に出た。血糖値が急上昇して空腹感はなくなったものの、やはり少々胸焼けが……。

 もう少し人としてまっとうな食事を取るべく、伊予土井の駅前にあるスーパーへと赴いた。口直しのメンチカツとおやつ用の水大福、それと夕食のチキン南蛮弁当を購入して東屋に戻る。寝床の確保は早い者勝ちなので、私が東屋を離れているうちに他の人に取られないかと少し心配だったが、このような天気にあってもさすがにこの時間足を止める遍路はいないようで、無事再確保できた。


時間を潰す為、納札に住所氏名を書き続ける

 今日はもうこの東屋から動く気はないが、さすがに真っ昼間からテントを張るわけにもいかないので夕方まで時間を潰す必要がある。そんな時に最適なのが納札の記名作業だ。

 納札には月日と氏名住所の記入欄があるのだが、使う度に書いていては面倒なので私はあらかじめ書いておくことにしている。しかし納札の消費は思いのほか早く、気付いたら記入済みのものが無くなっており、慌ててその場で書いて渡すということも珍しくない。時間はたっぷりとあるので、残りの納札すべてに署名してしまおうという意気込みだ。

 文字をひたすら書き続けていると指が痛くなり、まるで小学生の頃にやっていた漢字の書き取りのようだ。いや、どちらかといえば写経だろうか。一心不乱に書いているうちに、ポロっと悟りが開けちゃったりしないだろうか。


休憩に先ほど買っておいた水大福を食べる

 松山のスーパーで見かけて以来、ずっと気になっていた和菓子である「水大福」を買ってみた。餅の代わりに求肥を緩くしたようなふよふよでやわやわな生地(こんにゃく粉と寒天で作られているようだ)でこし餡を包んでおり、ほんのりユズの風味が香って非常に美味である。水大福という名の通りとてもみずみずしくて見た目も涼し気なので、夏の暑い時期に冷やして食べると最高だろう。滴る雨を見ながら食べるのもオツなものではあるのだが。

 そうこうしているうちに16時を回ったので、まだ少し早い時間であるもののテントを張らせて頂くことにした。いつも通りエアマットを膨らましてから寝袋を広げると……うわ、冷たい! なんと、雨が背中からザックの内部へと浸入し、寝袋を濡らしてしまっていたのである。かなりぐっしょりと水浸しになってしまっており、寝るのに支障が出そうなレベルなのだ。


タオルで拭くものの、湿った寝袋はまったく乾かない

 これには正直めげそうになった。雨は私の歩行を妨害するだけでは飽き足らず、体力回復の要である寝袋にまで魔の手を伸ばしてくるとは。寝袋の防水対策を怠っていた私にも否があるとはいえ、あまりに陰湿な嫌がらせである。

 少しでも水気を吸い取ろうとタオルで拭いていると、突然テントの外から「木村さん」と声が掛かった。なんとこの雨の中、西条市に住む読者の方が駆けつけて下さったのだ。


しかもお菓子をたくさん頂いてしまった

 なんとも嬉しいお接待に、私はただただ恐縮しっぱなしだ。お礼の言葉と共に、今しがた記名したばかりの納札を手渡す。先日の三坂峠では「一六本舗」のタルトを頂いたが、こちらは「ハタダ」の栗タルトだ。遍路道沿いには一六本舗のお店が多いが、ハタダのお店もまた時々目にしていたので気になっていたのである。しっとりとしたユズ風味の生地に、どっしりとした栗がゴロンと入っていて実に素晴らしく美味であった。

 再び寝袋と格闘していると、またもや「すみません」とお声が掛かり、今度は近所にお住まいの方と思わしきご婦人からお菓子と飲み物を頂いた。さらには警備員をされているという屈強な体格の読者さんまでお越しいただき、私がいつも朝食に食べているパンと、それと使い捨てカイロを差し入れて頂いた。湿った寝袋では寒い夜になるんだろうなと思っていたタイミングでのカイロに、本当、涙が出そうになるくらいに嬉しかった。

 こうも多くの方々にお気遣い頂き、改めてそのご厚意とご縁に感謝感謝である。結局寝袋は濡れたままであったものの、日が暮れてからも暖かな夜を過ごすことができた。ありがたし、実にありがたし。