そういえば、朝食は何時からなのだろう。同室の人たちが起き出した6時半、私もまたベッドを出たのだが、食堂に行ってみると電気が付いておらず、テーブルの上には何の準備もされていなかった。しょうがないので玄関から外に出て、時間を潰す事にした。キリっとした朝の空気が、室内の暖かさに慣れた身を震わせる。 目を覚ますにはちょうど良いと思い、そのまま庭のベンチに座ってぼーっとしていると、巨大な車両がエンジン音を立てて山道を走ってくるのが見えた。何だろうと眺めていると、それはゴミ収集車であった。 フランスのゴミ収集はなかなか合理的だ。まずゴミ捨て場には大きなゴミ箱が置かれており、人々はその中にゴミを捨てる(蓋付きなのでカラスなどの動物にも漁られる事がない)。収集車は車の背後にそのゴミ箱をセットして、後はスイッチを押せばゴミ箱がひっくり返り、中のものがすべて収集車に収まるという仕組みだ。 そんなゴミ収集の様子を見学していると、いつの間にか食堂は人で溢れかえり、既に食事の用意も整っていた。時計を見るとおおよそ7時半。私もまた席に付き、フランスパン、シリアル、コーヒー、オレンジジュース、ヨーグルトといった朝食をいただいた。 その後、一息付いてから8時半に出発。今日も天気は曇りだが、まぁ、雨じゃないだけマシといったところだろう。 サン=プリヴァ=ダリエからは再び谷を越え、それからは比較的緩やかな山道となった。同じくサン=プリヴァ=ダリエに泊まった人を追い越したり追い越されたり、景色を見ながらのんびり歩く。 途中、林の中の道で二人連れの男性に声をかけられた。そのうちの一人はオランダ人で、何とオランダから徒歩でサンティアゴを目指しているのだそうだ。既に二ヶ月歩いており、ル・ピュイでようやく全行程の半分だという。 当然ながら中世の頃は鉄道やバスなどなく、巡礼者は自分の町から徒歩でサンティアゴを目指した。そしてようやくサンティアゴにたどり着いてからも、自分の町に帰るにはやはり歩かねばならない。今でもそれに倣い、自宅から歩く巡礼者がいるとは聞いていたものの、こうも普通に遭遇するとは思いもよらなかった。いやはや、凄いものである。 出発から一時間程歩いた所で、ロシュギュート(Rochegude)という集落に着いた。眺めの良い岩山の上に位置するこの集落には、物見の為に使われていたのであろう塔と、小さな礼拝堂が存在する。いずれも古いもののようで、なかなか良い雰囲気の村である。 この礼拝堂が建つ場所は、谷下から一気にせり上がる崖っぷちである。故に眺めが良く、周囲の山々を一望する事ができる。しかしながらそれは、ここから先の道のりが大変なものであるという事を示す、その証左でもある。 事実、ロシュギュートからの下りは急坂かつ岩肌がむき出しとなっており、歩くのが非常に厳しい。ゆっくり少しずつ下りていかないと滑って危ないし、その危険を顧みず無理して急ぐと膝がガクガク笑う事となる。 なんとか無事に山道を下り切ると、そこには比較的平坦な土地が広がっていた。しかし谷底はさらに下にあるようで、牧場の奥には切り立った断崖が見える。まさかアレを越えて行くんじゃないだろうな……と思ったら、そのまさかだった。 巡礼路は谷をずんずん下りていき、谷底にあるモニストロール=ダリエ(Monistrol-d'Allier)へ到着。ここはこれまで通った集落の中では比較的大きな町で(とは言っても、普通の感覚ではせいぜい村レベルなのだけど)、なんと鉄道の線路も見える。もっとも、どのくらいの頻度で列車が来るのかは知らないが。 町の中心まで歩くと「MARIAE」の看板も見え、私はここぞとばかりに飛び込みスタンプを頂く。面白かったのは、私がスタンプをもらっているのを見て、我も我もと入ってくる人が多かった事だ。役所でスタンプを押すというのは、それほどメジャーな事でもないのだろうか。 その後、谷底の川に架けられた鉄橋を渡った先にパン屋があったので、昼食用に挽肉的な具が入った惣菜パンを三個、それとバナナを購入した。 谷を下りたら今度は上らなければならない。崖沿いの山道を、ぜーはーぜーはー、死にそうになりながら上って行く。 途中、やや幅の広い舗装路に出たのだが、その際に自転車がシャーと下りてきて私の前で急停車。何だ、と思ったその刹那、自転車に乗っていたおじさんが「ジャポネ?(日本人か?)」と聞いてくる。「ウィー(はい)、ジャポネ」と答えると、おじさんは嬉しそうに「ジャポネ、ジャポネ」と連呼しながら道を下って行った。 ここら辺では日本人が珍しいのだろうか。自転車おじさんの真意は良く分からないが、まぁ、悪くは思われていなかったようだ。 急な上り坂を越え、エスクリュゼル(Escluzels)という集落に到着。ようやく平坦な道になるのかなと思いきや、ところがどっこい、そこからもさらに長い長い上りの山道が続いていた。先ほどよりは道幅が広く、傾斜も急ではないのが幸いだが。 エスクリュゼルから一時間程歩いた頃だろうか、突如として視界が開け、牧場の集落モントロール(Montaure)に出た。ちょうど12時半を回っていた頃だったので、その牧場で先程買ったパンを食べて昼食とする。 ここは非常に眺めの良い場所であるが、谷から吹き上げる風が冷たいのが珠に傷だ。歩いている時なら何の問題も無いのだが、休憩しているとその寒さがいささか身に染みる。私はパンを食べ終えると、早々に立ち上がり先を急いだ。 モントロールからはしばらく舗装された車道を行く。とは言え、車などめったに通らない、そんな農道然とした道ではあるが。 寒い寒いと思っていたら、それもそのはず、この辺りは標高1000mを越えており、雪もいまだ溶け切らずに残っているではないか。まさかこの巡礼路で雪を見る事になるとは。 何となく楽しい気分になったので(関東出身の私は雪を見ると否応なしにテンションが上がるのだ)、私はそれを掴んで握ってみる。半ば溶けかかっている雪はジャリジャリと荒くザラメ状だ。そして当たり前ではあるが冷たい。食べてみようかとも思ったが、やや泥が混じっていたのでそれはやめておいた。 ここフランスでは、どんなに小さな集落でもその入口には必ず十字がが祀られている。これは巡礼路を歩き始めてから知った事だ。 これらの十字架は、日本におけるお地蔵さんや道祖神のように集落を守護する為のものだろうか。あるいは教会の無い小さな集落において、信仰の中心を担うものなのだろうか。石像のものもあれば、鉄製のものもあり、その様式は様々であるが、いずれも花で飾られているなど、住民によって大切にされている感がある。 牧場沿いの尾根道を下りていくと、道の向こうにやや規模の大きな町が見えてきた。開けた盆地の中に広がるその町はソーギュ(Saugues)。本日の目的地である。 ソーギュに着いた私は、町の中心にある観光案内所「オフィス・ド・ツーリズモ(Office de Turismo)」に入り、スタンプを貰うと共にこの町のジットについて尋ねてみた。 そこそこ大きな町なだけあってジットも何件かあるようだが、私は「ジット・コミュナル(Gite Communal、公営ジット)」を選択。ジットには自治体が運営する公営のものと、私営のものがあり(ちなみに、昨日泊まったサン・プリヴァ・ダリエのジットは私営だ)、当然ながら公営の方が安い(公営は素泊まりしかなく10〜15ユーロ、私営は素泊まりの場合で15〜20ユーロ、二食付きの場合は30〜40ユーロ)。 公営ジットは常駐している係員的な人がおらず、宿に着いたら空いているベッドを確保し、部屋の扉に自分の名前を書く仕組みの所が多い。係員は夕方にやってきて、宿泊者の巡礼手帳にスタンプを押し、料金を徴収するのだ。私はその事を知らず、宿に着いたもののどうすれば良いのか分からず最初は戸惑った。結局、同室となった男性に教えてもらい、事なきを得たのだが。 ちなみにこの宿は11.5ユーロ。昨日の宿と比べると随分安く、心底ほっとした。キッチンも自由に使えるので、私はスーパーでスパゲティを買い、それを調理して(とは言っても、茹でるだけだけれど)ワインと共に食べた。 夕食のテーブルには宿の使い方を教えてくれた男性の他、何度もサンティアゴ巡礼をしており、今回はカミーノ・デル・ノルテ(スペイン北部沿岸沿いの巡礼路)を行くというスペイン人女性、犬と一緒に歩いている女の子とそのお母さんなどが同席しており、色々話を聞く事ができてとても楽しい食事となった。 Tweet |