巡礼4日目:ソバージュ〜オモン・オーブラック(27km)






 いつもよりほんのちょっとだけ早い、朝7時半過ぎに私は宿を出発した。相変わらずな曇天に加えて、今日はさらに小雨までもがパラついている。ついてない。宿を出る前にもう一度昨日の猫と遊びたかったが、雨だからかその姿はどこにもなかった。ついてない。


寒空の下、ソバージュを後にする

 池へ流れ込む小川に架かる橋を渡ると、けたたましい犬の鳴き声が聞こえてきた。ソバージュで飼っているのだろう、柵に囲まれた広い領域の中、数匹の巨大な犬が喜び狂うように走り回っている。するとその横に停められた車から、大量の餌らしき荷物を抱えたおじさんが降りてきた。なるほど、餌の時間なのだ。

 餌をワシワシ貪る犬たちを横目に見つつ、私は林の中の道を行く。小雨は程なくして止んだが、分厚い雲に日を遮られた林は薄暗く、少々不気味だ。


平坦な道は足に優しい


車道沿いのサン・ロック教会

 しばらくすると、道は眺めの良い車道と合流。サン・ロック(St-Roch)という教会に着いた。せっかくなので内部を拝んで行こうと思ったが、朝早かった為か、残念ながらその扉はがっちり施錠されていた。ちぇっ。


サン・ロック教会を過ぎてからは、再び未舗装の道となる


待ち焦がれていた太陽の日差しを受け、牧場から再び山に入る

 松に囲まれた道を歩いていると、突如日が差し込んできて驚いた。ずっと曇りの日が続いていたので、まさかここに来て太陽が出てくれるとは思ってもいなかったのだ。もっとも、束の間の太陽ではあったが、それでもテンションは否応無しに上がり足取りが軽くなる。おかげでこの後に待ち構えていた山も楽に越える事ができた。まぁ、昨日の午後ゆっくり休んだおかげで蓄積されていた疲労が消えたという事もあるが。

 ソバージュを出発してから一時間半程経った頃、山を抜けてル・ルジェ(La Rouget)という集落に出た。昨晩からの断食でお腹が空っぽだったのでパン屋の一つでもあったら嬉しかったのだが、残念ながらお店の類は何もない小さな集落だった。


しょうがないからル・ルジェはスルーして先を急ぐ

 空腹を抱えたまま、お店のある町を目指してふらふら進む。そろそろ何か腹に入れないと、いい加減倒れてしまいそうだ。

 幸いにもル・ルジェからはそれほどキツい山道がなく、なだらかな牧場の道が続いていた。農道から車道に合流すると新興的な住宅が増え、町が近いことを感じさせる。

 その予感通り、程なくして比較的大きな町であるサン・タルバン・シュル・リマーニョル(St-Alban-sur-Limgnole)に到着した。ここは斜面沿いに建つ病院を中心とする町で、その麓にちょっとした市街地が広がっている。


サン・タルバンの町並み


病院の中にあるオフィス・ド・ツーリズモが入った建物

 歴史ある病院なのだろう、その敷地には古い建物も多く、特にオフィス・ド・ツーリズモ(観光案内所)が入っている建物はなかなか立派なものであった。受付の女性にスタンプを貰い、病院を出てお店がありそうな方へと向かう。

 町には立派な教会が鎮座しており、これもまた古いモノなんだろうなという感じがした。後世に増築や改築がなされている気もするが、内陣のあたりなんかは様式的に中世のものっぽい。


なんなか古そうなサン・タルバンの教会

 そこそこな規模の町だけあって目抜き通りにはお店がたくさん並んでおり、私はようやく念願のフランスパンを手に入れる事ができた。まだ11時半と昼食には少々早い時間ではあるものの、いてもたってもいられず広場のベンチでフランスパンを一心不乱にかじる。今朝の犬の気持ちが良く分かった瞬間だ。

 満足した私は、気分良くサン・アルバンを後にした。町を出てから山を越え、次のグラジエール・マージュ(Grazieres-Mages)という集落に着いたのだが、ここで私は一つミスを犯してしまう。早い話が、道間違えである。

 1日目に述べた通り、巡礼路では至る所に赤白のマークが描かれ、その道がGR65(ル・ピュイの道)である事を示しているのだが、実はフランスのハイキングコースにはこの赤白マーク以外にも様々な道案内マークが存在する。特に黄色のマークは赤白マークと併記されている事が多く、私はこの黄色マークもまた巡礼路を示すものだとばかり思っていた。


巡礼路には様々な種類の道標マークがある

 これもまた繰り返しになるが、赤白マークはGR(Grand Randonnee)、すなわち長距離のハイキングコースを示すものだ。ところが黄色マークはPR(Promenade & Randonnee)を示すもので、GRよりも短いハイキングコースに用いられるのである。PRはGRよりもコースが複雑で、GRと共通する所もあれば全然違う場所に行く所もある。

 私が道を間違えたグラジエール・マージュには左右に分かれるT字路があり、そのうち右側に黄色マークがあった。左側には特に何のマークも見えない。私はさも当たり前のように黄色マークの方へ行ったのだが、これが間違いだった。行けども行けども赤白マークは見えず、「あれ?間違えたのかな?」とも思ったが、黄色マークは点々と続いていたのでそれを信じて進んでいった。


突然、赤白マークが見えなくなった

 20分歩いても赤白マークが見当たらないのでさすがにおかしいと思い引き返したのだが、「道を間違えたかもしれない」という不安は精神的をガリガリ削っていく。結局はT字路を左に曲がるのが正解で、その少し先にはちゃんと赤白マークが存在した。目があまり良くない私は、T字路の位置からそのマークを認識する事ができなかったというワケだ。

 フランスのサンティアゴ巡礼路においては、少しでもおかしいと思ったらすぐに戻って赤白マークを確認するのが吉である。黄色マークには絶対に従ってはならない。二つ上の写真にある青マークやオレンジのマークに至っては、何を意味するのかも不明である。


道迷い直後の山道はかなり堪えた

 グラジエール・マージュからは山道の連続で、精神的に参った私にさらなる追い討ちを食らわせた。

 急な上り坂の後は比較的なだらかな丘の道が続き、今度は急な下り坂。そしてまた急な上り坂――といった具合である。このうちなだらかな丘の上の部分はまだ楽なのだが、上りと下りがかなり大変なのだ。

 私はかなりグダグダな状態で歩いていたが、そのような中、路上で見かけるちょっとしたモノが、僅かな癒しを与えてくれた。


「ST JACQUES(サンジャック)」はサンティアゴのフランス語である

有刺鉄線を巻かれて泣いている?

 谷間の川沿いにあるレ・ゼストレ(Les Estrets)で休憩した後、水道で顔を洗って気合を入れ直し、再び山を登る。

 今日はこの先のオモン・オーブラック(Aumont-Aubrac)という町まで行くと決めてある。ソバージュからの距離は27km。これまでは一日20km前後とやや短めの距離で一日を終えていた為か(そしてこのレ・ゼストレがソバージュから20kmぐらいの地点だ)、少々ダレてきた感は否めない。喝が必要だ。


レ・ゼストレに架かる良い雰囲気の橋


傾斜が緩やかな部分は牧場、それ以外は森林だ

 くたびれた足を何とか動かし歩いていると、突然後ろから軽快な足音が近づいてきた。すわ何事かと振り返ってみると、一人の男性が巡礼路を走ってくるではないか。「ボンジュー」と挨拶を交わすのも一瞬の事、男性は再び足取り軽く走り去っていった。巡礼と言えば歩きばかりだと勝手に思い込んでいたのだが、このようにランニングで行く人もいるのかとちょっとした驚きである。巡礼の方法は様々だ。

 さらに丘をひたすら歩き、オモン・オーブラックまで残り2km程の地点に来た。人家も見えてきてあと一息といった所ではあるのだが、この最後の最後が精神的にも体力的にもなかなか辛い。

 そのような中、前方に一組のご夫婦が見えた。前方を旦那さんが歩き、その後ろを奥さんがついて行く。ただ、どうも奥さんの様子がおかしい。下りや平らな場所ではスタスタ歩いているのだが、上りに差し掛かると足を止め、頻繁に深呼吸をしているのだ。それがわずかな上りでも、である。


杖を突いて休むご夫人。大丈夫なのだろうか

 私はそのご夫婦に追いつき、抜き際に「ボンジュー」と挨拶すると「ハロー」と返してくれた。聞こえてくるご夫婦の会話を聞く限り、話している言葉はフランス語であるようだが、英語もできる人たちらしい。英語を話せるフランス人はそれほど多くはないので、奥さんの深呼吸の事も相まって、かなり印象に残ったご夫婦だった。


なんとかオモン・オーブラックに到着

 16時、私はようやく今日の目的地であるオモン・オーブラックに到着した。とりあえずはオフィス・ド・ツーリズモに寄り、スタンプと町の地図を貰う。

 この町にはジット・コミュナル(公共ジット)が無いようで、必然的に私営のジットに泊まる事となるのだが、地図を見てもその位置がよ良く分からない。とりあえず、一番目立つところにある広場前のジットに入ってみたのだが、満室だと断られてしまった。しょうがないので、その宿のおばちゃんに他のジットの場所を聞き、そこへ行く。


立派な建物のオーブラック・オテル

 次に訪ねた宿はなかなか立派な建物で、「Aubrac HOTEL」の文字が掲げられていた。HOTEL(オテル)はその文字のままホテルの意味だ。「えー、何でホテルなんだよー」という言葉が出たが(当然ながらホテルは宿泊費が高い)、もしやと思いレセプションで聞いてみると、普通にジットとしても営業していた(素泊まり12ユーロ)。さっきのおばちゃん、疑ってゴメン。


ジットの部屋はホテルの屋根裏だ

 巡礼四日目ともなると顔見知りもボチボチ出てくるもので、私の隣のベッドには先日のオランダ人男性と一緒に歩いていた男性がおり、今日の行程を祝して握手を交わした。

 また私が夕食のスパゲティを茹でようと食堂に向かうと、同じくスパゲティを茹でているご夫婦がいた。一緒にご飯を食べたこのご夫婦は、フランス北西部のブルターニュ地方から来たそうで、お名前はジョンさんとマイティさんだ。これは後ほど知った事だが、お二人とも大学で英語の先生をしていたそうで、フランス人にしては珍しく英語がペラペラである。ブルターニュ地方の事や私の事なんかを話し、盛り上がった。

 他にも、オーストリア人のオーノとドイツ人のクリスティーナのカップルなど、後の私に大きな影響を与える巡礼者と出会ったのもこの宿だ。