やはり、昨日の道間違えは痛かった。正規の巡礼路を歩かずフィジャックに来てしまったのは気持ちが悪いし、それに昨日どこで道を間違えたのかも突き止めておきたい。 私はフィジャックの入口にあたる橋を渡ると、そのまま巡礼路を逆走して東に向かった。今日はしっかり地図を見て、路肩の赤白マークを確認しながら慎重に進む。 ダム湖を過ぎたあたりで家が途絶え、そこからはかなり急な上り坂となった。朝っぱらからぜぇぜぇと荒い息を吐きつつ、昨日歩くはずだった道を行く。 坂を上り切った辺りで、アスファルトの道は未舗装の農道へと変わった。道を歩いているのは私だけで、巡礼路を逆走していてもすれ違う人は誰もいない。それはそうだろう、フィジャックの町から出ていく巡礼者ならともかく、朝っぱらからフィジャックの町に降りていく巡礼者などいるはずがない。 フィジャックの町を出てから一時間程歩いて、ようやく昨日道を間違えたT字路に到着した。その分かれ道に立つ道標を見て、なるほどここで間違えたのかと嘆息する。しかしまぁ、原因を突き止める事ができたので、心にかかっていたもやもやは晴れた。 再度フィジャックの町に下りて巡礼路を上り直すのは二度手間なので、昨日間違えた尾根沿いの道を再び行く事にする。少し早足で歩いたものの、正規の巡礼路(GR65)と合流するのに一時間かかった。フィジャックからここまで真っ直ぐ上って来たら、おそらく30分くらいだろう。ざっと見積もって一時間半のロスである。 昨日ミスした道を歩き直し、気分こそは晴れ晴れとしていたものの、残念ながら天気はあまり芳しく無く、途中で雨がパラついてきた。……と思ったら雲が切れて晴れ間が出たり、天気の移り変わりが異様に激しい。 ふと空を見上げてみると、低い位置に垂れ込めた雲が物凄い勢いで西から東へ流れていた。なるほど、雲の速度が早いのだ。 少し急ぎつつアスファルトの道を行くと、途中の電柱に四国八十八箇所のステッカーが貼ってあった。これは日本の遍路道に貼ってある道標のステッカーなのだが、なぜかサンティアゴ巡礼路上にも貼ってあり、この場所に来るまでにも何度か見かけていた。 四国遍路の存在をサンティアゴ巡礼者に広める為だとは思うが……これを貼ったのは日本人の遍路関係者なのだろうか、それともフランス人が貼ったものだろうか。後者ならまだしも、前者の場合は少しお行儀が悪いかな、という印象である。せめて許可を得て貼っているのなら良いのだが……。 11時少し前、私はフェセル(Faycelles)という村に着いた。ここからカジャルク(Cajarc)までの22.5kmは、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に含まれる巡礼路7区間のうち4番目の区間である。 これまで三ヶ所の世界遺産区間を歩いてきたが、それらの道に共通するのは、景観が良好であるという事と、比較的旧来の様相を留めた未舗装の部分が多いという事だ。世界遺産だからその価値がどうこうというのではなく、単純に歩いていて楽しい道なのである。さてはて、今回はどのような景色が見られるだろうか。 フェセルを出た直後、数人の女の子と共に歩くクリスティーナの姿を見かけた。彼女はコンクでオーノと別れてから、すぐに新たな仲間を見つけていたのだ。彼女の行動力とコミュニケーション能力は、まったくもって大したものである。 ここの区間は基本的に森林であり、その途中途中に牧場が点在するという感じである。牧場もしくは山道である事が多かったこれまでの世界遺産区間とは一味違った趣があり、地域の移り変わりを感じさせてくれる。 伝統的な石造の構造物も多く見られ、なかなかに雰囲気が良い。何も無い所にポツンと立派な水場が残っているのを見て、かつてはこの周りに何軒かの家が建っていたのかなぁ、などと想像を巡らしつつ歩くのが楽しい。 なかなか良い道ではあるものの、しかしながら問題点が一つ。既に時間は13時を回っており、そろそろご飯を食べたい所であるが、行っても行っても休憩できる場所が見当たらないのだ。腰を下ろそうにもベンチの代わりになるのは朽ちた石垣くらいだし、下草がボーボーなので地面に直接座り込む事もできない。 結局、私は森林を抜けた先の牧場に腰を下ろして食べる事にした。牧場は生えている草が短いが土は異様に柔らかいので(家畜のアレ的なものが堆積しているのだろう)できれば避けたい所であるが、まぁ、この際しょうがない。私は牧草の上にビニール袋を敷き、その上に腰を下ろして昼食を取った。 グレアルー(Grealou)という村に到着したのは15時頃である。なんかくたびれたので、今日はもう、ここまでにしようかと私は考えた。ガイドブックに書かれているジットを探して村をうろうろしていると、地元の若いご夫婦に呼び止められ、何を探しているのだと英語で尋ねられた。 私がガイドブックを見せると、そのジットは村を出た先にあるのだと言う。私はその言葉に従い、グレアルーの村を出て巡礼路を先へと進んだ。 その途上では、ブドウ畑を目にする事ができた。まだ季節が早い為か、芽吹いた直後で葉が小さいものの、その葉の形は立派にブドウの木である。しかもワイン用の、背の低い種類の木だ。この辺りではワイン作りが盛んなのだろうか。 さらに進むと、道の傍らに面白い形の石造構造物があった。二枚の立てた石の上に一枚の大きな石を乗せた、ドルメン(先史時代の支石墓)である。 非常に興味深いモニュメントであるが、崩壊の危険性がある為か周囲にロープが張られて間近で見る事ができず、またドルメンの内部にビニールのようなものが詰まっているのが少し残念だった。 このグレアルーにあるドルメンは、中世のサンティアゴ巡礼において道標の役目を担っていたと考えられており、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成要素となっている。また、このドルメンのすぐ側にある石造の十字架は、巡礼路(フェセル〜カジャルク間)の一部という扱いでこちらも世界遺産だ。 私がドルメンの写真を撮っていると、後ろから一輪車おじさんとWi-Fiおじさんがやってきた。彼らは今日も二人で歩いているようである。私は「これはドルメンですよね?」と尋ねると、Wi-Fiおじさんは「そう、ドルメン」という。また、「ドルメン」とは「テーブル・ストーン」という意味なんだとも教えてくれた。なるほど、確かにその形状は石のテーブルだ。 二人と別れ、緩やかな坂道を下っていると、雨がかなり強い勢いで降り出してきた。先程から黒っぽい雲が空を覆い始めていたので覚悟はしていたものの、やはり来てしまったか。私は少し早足で道を行き、その先にポツンと見えた農家の軒下に避難すると、ザックからレインウェアを引きずり出して着込んだ。 ふとその農家の壁に貼ってあった紙を見ると、どうやらここが私の探していたジットらしい。周囲を見渡しても牧場と森以外に何もない、少々辺鄙な場所である。う〜ん、ここに泊まるのはなぁ。それにもう少し行けば次の町に出る事だし……。というワケで、私はこの先のカジャルクまで歩く事にした。 レインウェアを着たのは良いものの、雨は程なくしてあっさり止んだ。すると気温が上がり出し、レインウェアが凄く蒸れる。私はレインウェアの上着だけ脱いでザックにしまうと、それを待っていましたとばかりに再び雨が降り出した。 雨が降ったり止んだりを繰り返す、嫌がらせのような天気に翻弄されながら、私はかなりのハイペースで山道を下って行った。時間は既に16時を回っており、早くカジャルクに着かないと宿が取れなくなってしまう可能性があるからだ。私は焦っていた。 眼下にカジャルクが見えてからは早いものだ。目的地の場所を視覚的に確認した私は、気力と落ち着きを取り戻し、意気揚々と坂道を下りて行く。 かなり急いだ甲斐あって、カジャルクの町に到着したのはちょうど17時であった。ジット・コミュナルのベッドにもまだ空きがあり、まぁ、何とか事なきを得た感じである。 とまぁ、無事ベッドを確保する事ができたので、夕食でも買に行こうと町へ出てみると、おかしな事にスーパーなどのお店が全部閉まっているではないか。営業しているのはカフェのみである。「あれ、今日は月曜日じゃなかったっけ?」と手帳を見直してみると、なんと今日は日曜日であった。 私は、フィジャックでお祭りをやっていた昨日が日曜日だとばかり思い込んでいた。故に、今日の夕食分の食料は全く用意していないのである。巡礼中は曜日の感覚が狂ってしまうのが困った所だ。しょうがない、今夜はカフェで食べるとしよう。 カフェに入って食事を頼もうとすると、こっちに来てくださいと奥のレストランに通された。ピザとビエール・グランデ(大ビール)を注文し、出てくるのを待つ。日曜日なだけあって、レストランの客入りはそこそこ良いようだ。地元の人らしきご夫婦が、おいしそうなフランス料理を食べていた。 出てきたピザはかなり大きなサイズで驚いた。ハムとオリーブと、あとなんか諸々がトッピングされており、チーズの香りがかぐわしい。私はこれでもかとばかりにオリーブオイルを振り掛け、ガツガツと食べる。うん、うまい。うまい……のだが、やはりちょっと大きすぎた。それにこれだけこってりしたものを食べるのは久しぶりであったし、オイルを掛け過ぎたのか、最後の方は少し胸焼けがした。 ちなみに、お値段はビールと合わせて20ユーロ程。今夜のジットが12.3ユーロなので、かなりの大盤振る舞いだと言える。まぁ、たまにはこういう贅沢も良いね、と自分に言い聞かせたが、財布の中身はだいぶ寂しくなった。 Tweet |