早朝のカジャルクは霧に包まれていた。夜明け直後の薄暗い中にあっても、パン屋は既に店を開け営業を始めている。私は二人の先客がパンを買うのを待ってから、バゲットを二本購入して店を出た。 宿で朝食を取り、いつものごとく午前8時に出発する。町の入口にあるエピスリー(雑貨屋)が開いていたので、私は牛のイラストが描かれた小さな紙パック入りの牛乳らしきものを購入した。歩きながらパックを破り、口に流し込んでみると、それは想像以上にドロリとした食感である。うわ、こりゃぁ、牛乳じゃなくて生クリームじゃないか。 私は一瞬顔をしかめたが、まぁタンパク質には変わりないだろうと思い、それを一気に飲み干した。しかしやはり生クリームは生クリーム。私は少々胃のむかつきを覚えながら空のパックを街角のゴミ箱に捨て、いまだ朝霧が晴れぬ巡礼路を進んで行った。う〜ん、なんとも残念な歩き出しである。 今日はどうも、いささか体が重いような気がする。さっきの生クリームの影響というよりは、昨日の疲れがまだ残っているような感じだ。確かに昨日はかなりの距離を歩いたし、特に後半は急いでいた為に早歩きだった。一晩では回復し切れないくらいの疲労がたまっているのかもしれない。今日はできるだけ先へ、行ける所まで行きたいと思っていただけに、いささか心配である。 カジャルクの郊外に広がる畑から崖上へと上がり、それから巡礼路はしばらく車道を行く。途中の集落を越えると牧場が広がっており、そこには家畜のエサ用トウモロコシが積み上げられていた。なかなか面白い光景だ。 牧場を抜けてロット川に架かる橋を渡り、ガイヤック(Gaillac)という村から山道に入る。結構険しい上り坂だが、ここさえ登り切ってしまえばしばらくは高原のなだらかな道になるはずなので、気分は比較的楽である。 この坂道ではできるだけ疲れをためないよう、路肩に咲く花や、複雑に張られた蜘蛛の巣などの自然美を観察したりしながら、私は意識的にゆっくり登った。 標高が上がるにつれ徐々に霧が薄くなり、高原の車道に出た頃には青空が見えていた。霧の上は実に素晴らしい天気だったのだ。 谷下へと続く左手は相変わらず霧に覆われており様子がうかがえないものの、高原が広がる右手は遥か彼方まで森林が続いており、生い茂る木々の中にいくつかの集落が見えた。ここからはこの森林地帯を行くのだろう。うん、良い感じである。 休憩込みで一時間程車道を歩き、それからは予想通り森と牧場の道になった。小石が転がる未舗装路は少々歩き辛いものの、苔むした古い石垣や緑鮮やかな木々が生い茂り、おまけに天気も良く、爽快な気分で足取りが軽い。今朝の体のだるさが嘘のようだ。 12時少し前にダラ(Dalat)という集落に着いた。そろそろ昼食にしようかなと、座れそうな場所を探しながら歩く。ダラを出て少し進むと、牧場の中に一本の木が立っており、その下にちょうど良く椅子になりそうな石がゴロンと転がっていた。私はそれに腰掛け、今朝カジャルクで買ったフランスパンをかじる。 これが素晴らしくうまかった。とっくに冷めているのに、外はパリっとしていて中はふっくらモチモチ。小麦の香りが口の中に広がり、ハチミツなどを塗ったりしなくても、そのままパクパクいけてしまった。 食事を終え牧場を後にした私は、さらにいくつかの集落を越えてリモージュ(Limogne)という町に辿り着いた。ここは比較的大きな所であり、オフィス・ド・ツーリズモや立派なスーパーもあったのだが、到着した時間はちょうどランチタイムに入った頃であり、残念ながらいずれも開いてはいなかった。 手持ちの食料がフランスパンの残りだけになってしまっているので、この町で食料を調達しておきたい所ではあるのだが、今日はできるだけ距離を稼いでおきたいという思惑もあって、ランチタイムが終わるのを待つ事はできない。 まぁ、ガイドブックによればこの先にあるヴァレール(Varaire)という町にも何かしらのお店があるようなので、そこに泊まるか、あるいはさらに先へ行くにしてもそのヴァレールで食料を仕入れれば良いだろう。私はそう考えた。 リモージュからは牧場と森の道を歩き、ヴァレールに到着したのは15時過ぎである。ヴァレールは想像していたより小さく、まぁ、せいぜい小村程度の規模である。これまでの経験から鑑みるに、このくらいの規模の村にはお店が一軒も無い事が多い。私は少し心配になった。 村の中央広場にまでやってくると、ちゃんと広場の奥に赤い看板のお店が見えた。あのマークは日本でもおなじみ、フランスでは比較的小規模の町によくあるエピスリー(雑貨屋)「スパー」である。おぉ、ガイドブックに書いてある通り、ちゃんと店はあった。 えぇー、そりゃないよ。ランチタイムの時間はとっくに終わっているはずである。以前滞在したエスペラックのエピスリーのように、夕方から開くとか、そういう事だろうか。いや、でもこのお店は一応チェーン店だしなぁ。とは言え、ここはかなりの田舎だし、営業日が変則的であっても不思議じゃないような……。 思わぬ誤算に様々な思考を巡らしつつガイドブックを開く。それによると、ここから先の村にはお店の類は皆無のようである。ここで食料を調達しない事には、これ以上先に進む事はできない。すなわち、今日はもうこの村に泊まる事で決定だ。 まぁ、もう結構な時間だし、このまま宿に入っても良いだろう。そう思った私は、この村に一軒だけあるジットを訪れた。ジットのマダムは英語ができなかったが、「ドンミー(寝る)」という単語とジェスチャーで泊まる意思を伝え、何とかベッドを確保する事ができた。 夕食はどうするのかとマダムに聞かれたので、私は「スパー」と言ってさっきのお店を指差した。しかしマダムは首を振って「ドゥマン」と言う。ドゥマンは確か……そうだ、「明日」という意味である。って事は……あのお店は明日まで開かないという事か? スパーが営業してくれない事には、今夜の夕食はもちろん、明日の朝食、昼食までもが危うくなってしまう。しょうがない、最悪あの店が明日の朝になっても開かないケースを考えて、夕食と朝食はこのジットのレストランで食べ、手持ちのフランスパンは明日の昼食用に取っておく事にしよう。 これは後で知った事であるが、フランスのお店は日曜日が午前中のみの営業で、月曜日は全休である事が多いらしい。そしてこの日は月曜日。まぁ、要するに、定休日だったワケである。 シャワーを浴びて洗濯物を干してしまうと、この小さな村ではやる事が何もない。とは言え、何もせず時間を浪費するのは癪なので、私はとりあえず散歩に出てみる事にした。元は貯水用に作られたものだろうか、古そうな石造りの池に浮かぶアヒルを眺めながら教会の前に来ると、ちょうど神父さんが入口の鍵を開けている所であった。 神父さんに続いてその教会の中に入って行くと、私の姿を認めた神父さんは「巡礼者ですか?」と英語で聞いてきた。私は「はい」と答えると、「スタンプを押しましょうか?」と言う。おぉ、この教会ではスタンプを貰う事ができるのか。私はありがたく巡礼手帳を差し出し、スタンプを押していただいた。 ほくほく顔でジットに戻ると、そこには数日前にコンク付近の巡礼路で会ったスペイン人のおじいちゃんがいた。私に「ブエン・カミーノ」と言ってくれた、あのおじいちゃん巡礼者だ。おじいちゃんもまた私を覚えてくれていたようで、少し嬉しかった。 私はスペイン語が分からないし、おじいちゃんは英語が分からない。会話こそ成り立たなかったものの、おじいちゃんはジットの庭先に生えていた草を指差して、それが食べられるものである事を私に教えてくれたりした。その葉っぱを少しちぎって噛んでみると、なんとも爽やかな清涼感が口の中に広がる。なるほど、この草はミントだったのか。 なお、このおじいちゃん、もう何度もサンティアゴ巡礼路をやっている凄い人で、過去にはローマからサンティアゴまで歩いた事もあるそうだ。私がその事実をしって驚愕したのは、もう少し先の事であるが。 ジットの夕食は当然ながらフランス料理であった。フランス料理とは言っても、日本のフレンチレストランで食べるような気取ったものではなく、庶民的な家庭料理に近いものだ。しかし、きっちりコースで出てくるあたりはさすがである。 そもそも、なぜフランス料理は一品ずつコースで出てくるのだろうか。私はこの食事でその理由を知る事ができた。フランスの人々は、食事の合間の会話をとても大事にするのである。 スープを飲んでおしゃべり。ワインをグラスに注ぎ、「サンテ」と乾杯をしておしゃべり。ワインを飲んでその味についておしゃべり。次の料理が出てくる間におしゃべり。料理を食べ終わっておしゃべり。デザートを食べてさらにおしゃべり。これらの会話はフランス料理の一部であり、その会話を楽しむ為に料理をコースで出すのだ。私はそう解釈した。 しかしまぁ、フランス語をしゃべられない身としては、そのような料理の合間はどうも時間を持て余し気味である。それでもみんなカタコトの英語で私に話題を振ってくれたり、余った料理を食え食えと私によそってくれたりと、大変親切にしてくれた。おかげで腹がはちきれそうなくらいに満腹である。料理もおいしかった。 夕食後はみんなそろって宿の会計だ。二食込みの宿泊費は30ユーロである。昨日と今日、二日合わせて60ユーロオーバーと、かなりの痛手だ。店が開いてなくてしょうがなかったとは言え、さすがの私も二日続けての豪遊は猛省である。今後は店が休みである可能性も踏まえ、食料を大目に用意しておく必要がありそうだ。 Tweet |