6時30分に起きた私は、7時に朝食を取り、8時にジットを出発した。いつもなら遅くても22時には寝るはずなのに、昨夜は0時くらいまで起きていたのでいささか寝不足気味である。部屋独り占め&Wi-Fi使用可という、あまりに贅沢すぎる環境だった故の罠だ。 眠い目をこすりながらカテドラルの前まで来ると、そこにはたくさんの出店が並んでいた。今日は日曜日というワケでもないのに、市場が開かれるのだろうか。そういえば、昨日は特別な祝日だったらしく、町のスーパーは一軒を除いて全部閉まっていた。今日もまた、昨日に続く祝日だったりするのだろうか。フランスの祝日事情はよく分からない。 この市場では花、肉、衣料品など様々な商品を取り扱っていたが、特にイチゴの出店が目を引いた。目にも鮮やかな大粒のプリプリとしたイチゴはとてもおいしそうである。この辺りはイチゴ栽培も盛んなのだろうか。 私はイチゴの甘い香りに後ろ髪をひかれつつ市場を後にすると、巡礼路が続くヴァラントレ橋まで歩いた。今日は昨日と打って変わって天気が良く、石造のヴァラントレ橋は太陽の光に輝いている。あまりに美しいその光景に、私はしばしの間見入ってしまった。 結局、私がヴァラントレ橋を渡ってカオールの町を出たのは9時頃である。今日もそこそこの距離を歩く予定なのであまりのんびりしているワケにはいかないのだが、まぁ、見たいものは見たいのだからしょうがない。 ヴァラントレ橋を渡ってから、巡礼路は急な坂道を上って行く。ほぼ崖というべき急な斜面を、九十九折状に削って作られた道である。露出した岩は朝露に濡れて滑りやすく、足だけでなく手や全身を使ってよじ登って行くという感じであった。 この急坂を登り切った後は比較的な平坦な道となり、さらにしばらく歩くと車道に出た。道沿いにはブドウ畑が広がっており、カオールがワインの産地である事を改めて実感する。よし、今夜は絶対にカオールのワインを飲むとしよう。 さらに谷戸沿いの道を行き、坂を上るとロジエール(Rosiere)という集落に着いた。教会前の広場で少し休憩したのち、再び歩き出す。太陽が上がるにつれ徐々に暑くなってきているが、天気がすこぶる良いので気分は最高である。 ロジエールの少し先では、ジョンさんとマイティさんと会う事ができた。ジョンさんは電話をしている最中で、どうやら宿の予約をしているようである。 挨拶を交わした後、マイティさんが私に「ユードンミー?」と聞いてきた。私はその意味が分からず聞き返すと、どうやら「昨夜はよく眠れた?」という意味らしい(なお、正しくは「ビエン・ドルミー?」のようだが、私の耳には「ユードンミー?」と聞こえたのでそれで通す)。私はまだ少々眠気が残っていたが、マイティさんを心配させてしまうのもなんなので、「ウィー」と元気良く答えておいた。 私たち三人は、そのままの成り行きで一緒に歩く事となった。程無くして巡礼路は森の道に入ったが、そこは昨日の雨の影響か水浸しとなっており、歩くのに大変難儀した。 私たちは水たまりを避けるように足場の悪い脇の部分を歩いていたのだが、そこで先行するジョンさんが足を滑らし、バランスを崩して転倒してしまった。私は慌てて駆け寄ると、立ち上がろうとするジョンさんに手を貸す。 ジョンさんは倒れた際に手を強く突いてしまったらしく、手首を痛めてしまったようだ。「私たちはここで休憩していくから、君は先に行ってくれ」とジョンさんに言われ、私は再び一人で先を行く事になった。大丈夫なのだろうか、心配である。 私は正午少し前にラバスティッド=マルンアック(Labastide-Marnhac)という村へ到着した。この村にはレストラン兼雑貨屋といったような店があり、そこでキットカットと缶ビールを購入した。昼食のおともにしようと思ったのだ。 どこか座れる場所が無いかと探しながら歩いていると、道の向こうに一人の女性の姿が見えた。良く良く見ると、私と同じ東洋人のようである。向こうもこちらを見て立ち止まっている。とりあえず「ボンジュー」とでも言うべきか。私が言葉を探していると、その人はおもむろに「こんにちは」と日本語を発した。なんと、日本人だったのか。 この「ル・ピュイの道」で会った初めて日本人、そして久々に日本語を話せたたという嬉しさがあり、私は少々興奮気味でこの日本人女性「Kさん」と会話をした。話を聞くと、私がリヴァンアック=ル=オーのジット・コミュナルで見せてもらったゲストブックの書き込みも、このKさんによるものであった。3日間の差があったので追い付けるとは思っていなかったのだが、KさんはフィジャックからGR65を外れてロカマドゥールという町まで歩き、そこからバスでカオールに戻ってきたのだそうだ。それで私との差が縮まったのである。 先へ行くというKさんと別れ、私は役場裏の芝生で昼食を取った。青空の下、ビールを片手にフランスパンとバナナを食べ、なかなか良い気分である。さぁ出発しようかと思ったその時、ジョンさん夫妻がやってくるのが見えた。お二人もここで昼食にするようだ。ジョンさんに「手は大丈夫ですか?」と聞くと、やはり「大丈夫、大丈夫」と繰り返す。う〜ん、本当だろうか。私は少々心配になりながら、ラバスティッドの村を出た。 午後の太陽は容赦なく私の肌をジリジリと焦がし、畑の中の道は目に痛いほどに白かった。私は首にかけていた手ぬぐいを頭に巻き、流れ出る汗を結び目の端で拭いながら歩く。今後は間違いなく帽子が必要になりそうだ。どこかの町で買わなければ。まったく、ついこの間まで摂氏5度の世界にいたというのに……。 私は一人、そんな事をぼやきながら歩いて行く。程無くしてロスピタレ(Lhospitalet)という集落に着いたのだが、ここには私以外に巡礼者が全くおらず、少々不気味な感じがした。赤白マークは続いているので、巡礼路から外れていると事はないと思うが……。 さらに歩くと、前方にジョンさん夫妻の姿が見えた。ラバスティッドを出てから、私はジョンさんたちに抜かされた覚えはない。何で彼らが先にいるのだろう。ただでさえ茹だり気味だった私の頭は、その謎によってますますオーバーヒートした。 後日にルートを確認して分かった事なのだが、正規の巡礼路であるGR65はロスピタレを経由せず、ショートカットする形で次の町へと続いていた。私は途中でロスピタレを経由する迂回ルートに入ってしまったのだ。まぁ、どちらの道にも赤白マークがあり、それらが導く先は同じなのだが、要するに、また道間違えである。どうりでロスピタレに巡礼者がいなかったワケだ。 まだ作物が植えられていない広々とした畑の中の道を行き、16時にラスカバン(Lascabanes)という村に到着した。ジョンさんたちはここに宿の予約を取っているとの事で、私もまた今日はここまでとする事にした。 ジョンさんたちは教会に付属するジットに泊まるというが、残念ながら既に満員で私の分のベッドは無い。ジョンさんは自分のガイドブックから素泊まりが可能なジットを探してくれ、そこに行けば良いと教えてくれた。 ジョンさんの話だと村の中心から少し離れているとの事であったが、実際行ってみるとそれは意外と近く、簡単に見つける事ができた。このジットのマダムは英語ができないが、いつものように「ドンミー(寝る)」を連呼し、無事宿泊の意志を伝える事ができた。 私が持つガイドブックによると、このラスカバンには店があるとの事だったが、村の隅から隅を探しても店の類などありゃしない。しょうがないので少々割高だが、ジットで販売していたレトルト食品とサラミ、それとビールを購入した。できればカオールワインを飲みたかったが、売っている店が無いのだからしょうがない。明日におあずけである。 レンジでチンしてもらったそのレトルト食品は、小豆のような黒い豆の料理であった。妙にしょっぱく、まぁ、食べられなくはないが、あまりおいしくはない。とりあえずかき込んで腹に収める。 続いてサラミを取り出すと、遠くにいた二匹の犬が飛ぶようにこちらへ寄ってきた。私の方を見つめ、舌を出してハッハッハッと催促する。サラミなんて塩分の多いモノを、ワンちゃんにあげる事はできない。やらんやらんと言っても犬たちには理解できるはずもなく、彼らは悲しそうな目をしながらサラミを食べる私を見ていた。少しだけ心が痛むがしょうがない。私もワインを我慢しているんだから、お前さんたちも我慢してくれ。 このジットは麦畑に囲まれていた。まだ速い時期なので黄緑色ではあるものの、夕日に照らされて輝く色は黄金だ。風が吹いては飴のような光沢を放つ穂がなびき、さわさわと心地良い音を立ててくれる。明日も、良い日になりそうだ。 Tweet |