巡礼24日目:オーズ〜アルブラード・ル・オー(26.0km)






 朝食はドライフルーツ入りのシリアルとコーヒー、それと昨日のリンゴケーキであった。昨夜の夕食が終わった後、余ったケーキは明日の朝食にどうぞとマダムが言ってくれたので、ありがたく頂戴した次第である。甘さ控えめなので、朝食にもぴったりだ。

 7時半に宿を出て町の中心部へと赴き、飛んでいるフリーWi-fiを捉まえてインターネットをしてから8時過ぎに歩き出した。大変ありがたい事に、今日の宿もまた昨日のうちにKさんが予約を取ってくれている。なのでベッドが確保できないという心配が無く、急がず慌てず悠々自適に歩く事ができる。


ここ数日は晴天続きだったが、今日は曇り気味だ


バギー(カート?)が路上で売られていた

 オーズの町から出る途中、道路に止められていたバギーに1800ユーロ(約18万円)の値段が付けられていた。これは安いのか、そうでもないのか私には分からないが、畑や牧場の多いこの地域において、バギーの実用性はなかなか高そうだ。まぁ、実際に売られているくらいなのだから、需要もきっとあるのだろう。

 さて、オーズを出てから巡礼路はブドウ畑の道となる。コンドンと同様、このオーズの周囲もまたアルマニャックの産地であり、特にこの辺りで造られるものは「バ・アルマニャック」と呼ばれ、高級品として流通しているそうだ。


美しく並ぶブドウの木


ジットで一緒になったフランス系カナダ人女性がいた

 その道中では、同じ宿に泊まっていたカナダ人女性の二人組、それとKさんと顔を合わせた。Kさんは歩きながら縦笛を吹き、そのメロディと共に進んで行く。私も途中までは同行していたのだが、やはり歩くペースが違うので結局は先に行ってもらった。……と言うと体裁は良いのだが、実のところはKさんの歩行速度について行けなかっただけだ。


魚の養殖場だろうか、大きな池を横切る


牧場の舗装路を歩いてしばらく行くと、村に出た

 11時ちょうど、私はマンシェ(Manciet)という村に到着した。なかなか良い風情の村であるが、今日は平日なのにも関わらず、まるで休日であるかのように静まり返っている。町の入口にあるスーパーも営業しておらず、シャッターが下りていた。昼食用にビールを買っておきたかったのだが、残念ながらそれは叶わない望みのようである。


妙に静かなマンシェの町並み


アーチェリー場と思わしき、味わい深い木造の建物

 後から知った事であるが、どうやらこの日はキリストが昇天した日という事で祝日だったようである。村の教会ではちょうどミサが始まる所で、辺りには荘厳な鐘の音が鳴り響いていた。その入口では、正装した人々が連れだって中へと入って行くのが見える。


教会ではミサが行われようとしていた

 ミサの邪魔になるといけないので、私は早々に教会を出て先を急ぐ事にした。のどかな畑の景色を楽しみながら歩いて行くと、どこからか微かな笛の音が聞こえてきた。またKさんが縦笛を吹いているに違いない。姿こそは見えないものの、どうやらそれ程遠くはない場所にいるようである。

 私はKさんに追い付きたいと思っていた。Kさんに予約してもらった今日のジットだが、実はその詳しい場所が分からないのである。大雑把な場所を聞いているだけで、私はジットの名前すらも把握していないのだ。できればKさんと合流し、連れて行ってもらえれば嬉しいのだが……。少なくとも、ジットの名前くらいは聞いておきたい。


……が、結局追い付く事はできなかった


しょうがないので、私は自分のペースで歩く


畑をガリガリ耕すトラクターがカッコ良い

 牧場の道を歩いている最中、座るにちょうど良い大きな丸太を見かけた。時間は正午ちょうど。幾分腹も空いてきたので、そこに座って昼食を取る事にした。

 食事中には例のカナダ人女性二人組が追い付いてきたので挨拶をした。あれ、彼女たちは私の前にいたんじゃなかったっけ?よく分からないが、いつの間にか追い越していたようである。マンシェで休憩でも取っていたのだろうか。


林の中にポツンと建つ教会

 昼食を終え再び歩き出すと、巡礼路は牧場から林へと入って行った。周囲に家の無いうら寂しい林の中、一棟の教会が建っている。外観は少々怖い感じがしたが、内部は意外にも清潔に保たれており、電気も通っているらしく明かりも灯されていた。

 その入口にはホウキで掃かれた跡も見られ、地域の人々によって大事にされている感じがひしひしと伝わってくる。そのような地元の人々の心が巡礼路沿いに建つ膨大な数の教会を維持しており、ひいては巡礼路の維持に繋がっているのではないかと思う。


父親が荷物をカートで運ぶ、家族連れの巡礼者


この地域はまだ作付け前の畑が多く、景色が少々寂しい


丘を登り詰めるとノガロの町が見えた

 14時半頃、私はノガロという町に到着した。ここもまたマンシェと同様に静まり返っており、通りに立ち並ぶ店もそのすべてが閉まっていた。まぁ、例え平日でもこの時間はまだランチタイムなので、店は閉まっているのだが。

 私は教会前の広場に腰を下ろした。さて、これからどうしたものかとガイドブックを開く。私の記憶にある今日の宿についての情報は、ここノガロから2km程離れた所にあるアルブラード・ル・オー(Arblade-le-Haut)という村にあるという事だけだ。

 ざっくり町を見た感じではKさんの姿はどこにも無かった。もうノガロを出てアルブラード・ル・オーへ向かった後だとしたらしょうがないが、まぁ、昼食時でのカナダ人女性との再会の例もあるし、私の方が先にここまで来たという可能性は無きにしも非ずである。私はとりあえず教会を見学する事にした。この町に着いた巡礼者は、きっと教会に立ち寄るはずである。教会にいれば再会できる可能性も上がるだろう。そう思った。


町並みを抜けた所にそびえるサン・ニコラ・コレジアル


ロマネスク様式のアーチが残っている


祭壇の壁画も鮮やかだ

 この町の中心である教会は、12世紀にロマネスク様式で建てられたサン・ニコラ・コレジアルである。その内部には彫刻や壁画が多数残っており、また教会の裏手には、元は回廊であったと思われるアーチの遺構が残っている。こちらもまた彫刻が素晴らしい。

 しばらく教会を見学していてもKさんは姿を見せず、もう先に行ったのだろうと私は結論付けた。しょうがないので私もアルブラード・ル・オーに向かうとする。ノガロを出た巡礼路は車道のまま丘を駆け上り、そこからは林の中の未舗装路となった。


遠くで甲高いエンジンの音が鳴り響いている

 ノガロにはF1にも使われるサーキットがあるらしく、巡礼路を歩いている途中にも度々エンジン音が聞こえてきていた。どこにも車の姿が見えないのに轟いてくるそのエンジン音に、私はびっくりすると共に少々不気味に思った。

 一時間程歩いた頃、私は未舗装路を出て大きな国道に行き当たった。ん、少し嫌な予感がする。地図を開いて現在地を確認してみると、やはりと言うかなんと言うか、アルブラード・ル・オーを盛大に通り越してしまっていた。

 アルブラード・ル・オーは巡礼路上にあるのではなく、巡礼路を少し外れた位置にある。その為途中で横道に入らなければならなかったのだが、どうやらそれを見落としてしまったようだ。私ははぁと一つため息をついて、その車道をノガロ方面に歩く。30分後、ようやく私はアルブラード・ル・オーに辿り着いた。


それらしき宿を見つける事もできた

 アルブラード・ル・オーは何軒かの農家がまばらに並んでいる程度の小さな村である。私は宿の名前も知らずにその宿を見つける事ができるかずっと心配していたが、それは全くの杞憂であった。そもそもこの村には一軒しか宿が存在しないのだから当然である。

 ただ、その宿は物凄く立派である。っていうか、オテル(Hotel)と書いてある。オテルはその文字通りホテルの意味で、ジットより高い宿泊施設である。しかし、まぁ、序盤に泊まったオモン・オーブラックのジットもオテルと書かれていたし……と門をくぐる。


内部もジットとは思えない程に立派である

 宿のマダムは私を見るなり「コンプレ(満室)」と言いかけたが、私がKさんの名前を出すと納得したように頷き、部屋へ通してくれた。しかしそこは普通のベッドルームではなく、ドアに「PRIVE」と書かれた謎な部屋であった。


通されたのは(おそらく)従業員用の部屋だった

 「PRIVE」はプライベートという意味である。通常は「私的なエリアだから立ち入っちゃダメよ」という意味で掲げられる文字だ。つまりここは客室ではなく、おそらくは従業員用の部屋なのではないかと思う。きっと通常の客室がすべて埋まっており、苦肉の策としてこの部屋が用意されたのだろう。私はどんな部屋でも全く問題無いのだが、なかなか面白い体験ではあった。

 シャワーを浴びて洗濯物を洗い、それを干そうと庭に出ると、そこにはKさんはもちろん、ピエールさんやコンニチワおばさんといった、いつものメンバーがそろっていた。おぉ、巡礼路から外れたこの宿にも、これだけ顔馴染みな人が集まるとは。皆、結局行きつく先は同じなのである。


この宿は二食付きであった

 私は自炊する気まんまんであったが、キッチン使えるかという私の問いにマダムから返ってきた言葉は「ノン」だった。しょうがない、今日もまたスパゲティはお預けか。祝日でスーパーが開いていなかった為、ワインを買っていなかったのは幸いだった。

 夕食は19時に始まり、まず出てきたのはアペリティフのアルマニャックである。さすがは産地なだけあるなぁと思いつつキュっと飲み干す。懐も温まり「さぁ、いでよ最初の料理!」と意気込んでみるが……しかし、料理はなかなか出てこない。アレレと周囲を見渡してみると、他のメンバーは皆談笑しながらチビチビやっていた。あぁ、そうだ、フランス料理は会話を楽しむ為に料理が出てくる間が長いのであった。

 フランス語を話せない私は会話に加わる事がなかなかできず、時折英語で振られる言葉に返事をするのみである。しょうがないのでツマミのナッツやポテトチップをパリパリやりながら料理が出てくるのを待ったが、結局最初のスープが出てきたのは食事が始まってから20分後であった。それからメインディッシュの肉料理にデザートのクラフティと、すべての料理が終わったのは21時近くである。


角煮っぽいメインディッシュなど、料理は大変美味でした

 食事が終わった後、宿の主人が一枚の紙を宿泊客に渡し、その内容を一文ずつ読むように促していた。おそらく、昔からあるサンティアゴ巡礼者の誓いとかお祈りとか、そのような類だと思う。その紙は私にも回ってきたが、当然ながら私はフランス語を読む事ができない。受け狙いで「フニャフニャフニャ」と大声で言ってみたら、ピエールさんたちが爆笑してくれた。私は「ジュヌ・コンプランパ・フランセ(フランス語分かりません)」と言葉を付け加え、隣の人に紙を回した。


「巡礼者の誓い」的な文をみんなで読んだ

 食事の後は少し外を散歩をして宿に戻ると、Kさんがメモ紙を取り出して私に渡してくれた。それには、町の名前と宿の名前が列挙されていた。なんと、これから数日分の宿を予約してくれたのだという。おぉ、これはありがたいと思う反面、そこまでして頂いて申し訳が無いという気にもなる。

 それと最近思う事なのだが、毎日予約済みの宿を目指してそこまで歩き、何の苦労も無くベッドを取る事ができるというのは、何となくベルトコンベアに乗って運ばれているような気がしないでもない。人のご厚意に与っておきながら大変におこがましい事ではあるが、自分が主体となって旅行しているという気分が少々薄くなっている感じがする。しかし、それらの予約が無かったら間違いなく路頭に迷う事になっていたワケで……とまぁ、この日は今後の身の振り方をぼんやりと考えながら床に就いた。