巡礼25日目:アルブラード・ル・オー〜エル・シュル・ラドゥール(25.0km)






 朝7時、宿代の会計を終えた私はすっかり軽くなってしまった財布を握りしめ、涙にくれながら朝食を貪り食った。まぁ、建物は非常に立派だし、夕食も朝食もなかなか豪華だし、そもそもジットではなくオテルと表記されているくらいだし、それなりのお値段かなとは思っていたものの、いや、しかし、一泊34ユーロは痛かった。

 私が泊まったのは通常の客室ではなく従業員部屋だったので、その分少しくらい割引があるかなと期待をしていたものの、それは全くの希望的観測にすぎなかった。みんなと同じ、きっちりぽっきり34ユーロである。いやはや、これはこれまでに泊まった宿の中で最高金額である。ちなみに、フランスにおける私の一日の予算は25ユーロだ。


食事はとてもおいしかったのだけど

 そんな私の心情を反映しているかのごとく、今日は今にも雨が降ってきそうな曇天である。8時に荷物をまとめて宿を出ようとしていたところ、ちょうどKさんも出発する所だったようで一緒に歩く事となった。

 昨日歩いた車道を今度は西へ行き、国道を経て木々が生い茂る未舗装路に入る。しばらく歩いていると、一昨日オーズの宿で一緒になったドイツ人の親子(とは言え、子どもの方も私と同じくらいの年齢である)が私たちを追い抜いて行った。父親の方は身長が2mくらいある大きな人で、長い木の棒を突いて歩いているのが印象的だった。


びっくりするほど背の高いドイツ人親子

 林の道を抜けてランヌ・スビラン(Lanne Soubiran)という集落に入る。教会が建っていたのでそれを見学していると、ツナギを着たおじさんに声を掛けられた。「日本人か?」と聞かれたので「はい」と答えると、自分は空手を習っているのだという。


屋根の形が面白いランヌ・スビランの教会


煙突掃除の仕事をしているというツナギのおじさん


空手の教本を見せてくれた

 フランスでは日本の武道が盛んに行われており、特に柔道の競技人口は日本を上回る程であるという。私もこれまで何度か町中に柔道の看板が掲げられているのを目にしており、柔道がフランスに根付いているという実感はあった。空手もまた同じなのであろうか。しかも、子どもばかりではなく大人までもが習っているとは、大した浸透具合である。

 確かにこのおじさん、ガタイが良くて胴着が似合いそうである。見せてくれた教本の挿絵がなぜかパンダだったりするのは、まぁ、ご愛嬌だろう。我々日本人の多くが欧州文化の区別がつかないのと同様、欧米人の多くもまた東洋文化の区別ができないものだ。


ランヌ・スビランを出ると再び林に入る


林を抜ければ畑の道だ

 私は道すがら、Kさんと巡礼のあれこれについて話をした。Kさんは今回で3度目のサンティアゴ巡礼なのだそうで、この「ル・ピュイの道」を歩くのも2度目だという。ただ、前回は途中で足をケガしてしまった為、そこからは交通公共機関を使って町を渡り歩いたのだそうだ(スペイン内は全て歩いたらしい)。今回はそのリベンジであるという。

 林を出た所で私は休憩を取り、Kさんは先に進んで行った。私は一人でのんびり、トラクターを走らせてきたおじさんと挨拶を交わしたりしながら畑の道をテクテク歩く。人と歩くと会話が楽しいが、一人だとマイペースに景色を堪能しながら歩く事ができる。どちらもそれぞれの魅力があるものである。


さらに歩く事一時間


ルラン・ラビュジョルに到着した

 11時に着いたルラン・ラビュジョル(Lelin-Lapujolle)では、教会裏の広場で休憩している巡礼者が多々見られた。「ル・ピュイの道」後半は歩きやすい平らな道が続く為に巡礼者が増えるとKさんが言っていたが、確かにそのようである。

 ここまで来ると相当な数の巡礼者が歩いているようで、ジットの確保はまるで椅子取りゲーム状態である。もはや予約無しだとベッドにありつく事は不可能らしく、Kさんがわざわざ私の宿を取ってくれたのもその辺りを心配してくれての事だ。なるほど、宿の予約が無くても何とかなるだろうという私の見込みは非常に甘いものだったらしい。


この辺りから巨大な散布機が見られるようになった


線路沿いの真っ直ぐな道を行く


凹凸の少ない平らな土地である

 ルラン・ラビュジョルからは坂道を下り、それからは直線的な道をひたすら歩いた。水を撒く為のものなのだろう、車輪の付いた巨大な散布機が現れたにはびっくりしたものだ。このようなダイナミックな機械が設置できるのは、広々とした平らな土地である故だろう。

 時間は正午を回っており、そろそろ昼食休憩を取りたいところではあるが、残念ながら休むに適した場所が見当たらない。しょうがないので巡礼路の脇に転がっていた丸太に座って食べる事とした。よっこらせと腰掛けた木は腐っており、それはメキョメキョと情けない音を立てて崩れ、私は思わず後ろにずっこけてしまった。


コンニチハおばさん御一行と再会


川端に建つかわいい建物が気になった


大きな町の郊外には大きなスーパーがあるものだ

 今日の目的地はエル・シュル・ラドゥール(Aire-s-l'Adour)という町である。地図にもそこそこ大きな町として描かれていたが、このスーパーを見る限り想像以上に発展した町なのだろうと思う。

 大きなスーパーは物価が安くてありがたい。私はスーパーの入口脇にザックを置くと、夕食分の食料を買い込んだ。ついでに500mlの缶ビールも一本。スーパーの建物の影でプルタブを起こし一人乾杯をする。汗をかいた後のこの一杯、いやぁ、たまりませんなぁ。


中庭がカッコいい建物を横目に歩く


様々な国の国旗で飾られた橋を渡れば


エル・シュル・ラドゥールの中心部だ

 私はまず、橋を渡ったその左手に建つオフィス・ド・ツーリズモに入り、スタンプと町の地図を頂いた。そのカウンターは非常に混み合っており、特に巡礼者らしき一人の男性がいつまでも係員とあーだこーだ話していた。どうやらこの男性、ジットがすべてが満室で泊まる場所が無く困っているようだ。この町は特に宿を取りにくいらしく、しょうがなく手前の町で泊まったり、次の町まで歩く人も少なくないという。私は宿の予約の大切さを噛み締めながら、オフィス・ド・ツーリズモを後にした。

 町中でKさんと再会した私は、そのままジットへ向かう事にした。Kさんが言うには、本当は今日のジットには泊まりたくなかっのたが、そこしか空きが無かったのだそうだ。なんでも、前回の巡礼で泊まった時に少々嫌な思いをした宿らしい。

 到着したジットの主人は、ぶすっとした表情を崩さないまま話をする人でちょっと怖く思ったが、よくよく話を聞いてみると、まぁ、割と普通な感じであった。……少なくとも、最初はそう思っていた。ところが宿のあちらこちらに「門限は9時半」とか「節水」とか張り紙が細かく貼られており、それには少々不気味な雰囲気が漂っていた。


カテドラルでは巡礼者ミサが行われた

 18時からは巡礼者ミサが行われるという事で、Kさんはカテドラルに出かけて行った。それには私も興味があったので、ちょっと見学しに行った(が、想像以上に参加者が少なく、チキンな私は参加せず遠巻きで見守っただけだ)。このカテドラルではスタンプを押して貰う事もでき、私はそれだけ頂いて退散する事にした。

 またこの町にはもう一つ大きな教会が存在する。町の中心部から巡礼路の坂を登り詰めた所にあるサント・キトリー教会である。


町を見下ろす高台にそびえるサント・キトリー教会


塔が印象的な教会だ

タンパンの彫刻もなかなか

 この教会は11世紀から12世紀にかけてロマネスク様式で建てられ、13世紀にゴシック様式で改築されたそうだ。元は修道院が隣接しており(現在、修道院の建物は学校として使われているようだ)、巡礼者の救護を行っていたらしい。その歴史と建物の価値から、このサント・キトリー教会は世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成要素の一つとなっている。

 残念ながら内部の拝観は時間が定められているようで入る事はできなかったが、なかなか印象的な外観を持つ教会であった。私は再び坂を下り、宿に戻って夕食を食べた。


いつものスパゲティにほっとする

 ここ数日は豪華な夕食ばかりだった為、自分で作るスパゲティになんとなく懐かしさを覚えてしまう。本当はワインを飲みたかったのだが、昨日の宿がかなりの予算オーバーだった為、今夜は泣く泣くビールである(大瓶で1ユーロ少しと安い)。

 食後は町に出てフリーWi-fiでネットをし、それから20時半に宿へと戻った。……が、なんと玄関には鍵が掛けられており、入る事ができなくなっているではないか。まだ門限まであと一時間はあるというのに、締め出されてしまったというのか。

 門の取っ手をガチャガチャやっていると、二階の窓が開いて宿の主人が顔を出した。そして「What are you doing?」と言う。私はその言い方に少しカチンときたものの、とりあえずは「中に入りたい」という旨を伝える。すると主人はのろのろと降りてきて施錠されていたドアを開けた。後からKさんに聞いた話によると、宿泊客の中に朝5時に出発したいという人がおり、主人は「なら俺はもう寝る」と門限前に扉を閉めてしまったそうだ。

 あぁ、Kさんが言っていたのはこういう事だったのかと、私は少々苦い思いをしながら寝室へ上がった。