ブルターニュの金融青年が言っていた通り、雨は相変わらず降り続いていた。というか、ますますその勢いを強めていた。私は落胆しながら部屋を出てキッチンに向かう。宿の庭では雨に濡れそぼった犬がわんわんとまとわりついてきた。見た所飼い犬のようだが、この宿で飼われているというワケではないようだ。この雨じゃ飼い主も心配している事だろう。さぁさぁお家に帰りなさい。 キッチンに入った私は、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを入れたカップに注ぐ。砂糖が無いかと棚を物色してみたのだが、残念な事にこの宿には砂糖が置かれていないようである。……と、その私の様子を見ていたジーナさんが、自前のスティックシュガーを渡してくれた。続けて隣のジャンさんが「それはスペシャルな砂糖だよ」と言う。ほんのり黄味がかったその砂糖は、黒砂糖のような甘い香りがして優しい味わいであった。 降りしきる雨に耐えしのぐべく、巡礼者たちは出発前に雨具の用意をする。私は上下セパレートのレインウェアにザックカバーというスタイルだが、ザックまですっぽり覆うポンチョタイプのカッパを着る人も多い。確かにポンチョタイプなら雨が背中からバッグに染みこむ事もないし、そちらの方が具合が良さそうである。 巡礼路はアルザック=アラジーゲの町を出てすぐ湖に出た。湖畔の未舗装路は草が生い茂り、容赦なく靴を濡らしていく。その水は靴の中にまで染み渡り、あっという間に靴下がびしょびしょになってしまった。いきなりこれでは、幸先が思いやられるというものだ。 最初は私が先行して歩いていたのだが、途中でジャン&ジーナさんに追い抜かされ、またKさんはいつの間にか姿が見えなくなっていた。私はてっきりジーナさんたちと一緒に歩いているのかと思っていたのだが。靴が濡れる草道を避け、車道のショートカットルートを行ったのだろうか。となると、既に先へ行ってしまったのだろう。 しばらく一人で歩いて行くと、ルヴィニー(Louvigny)という村に到着した。ここに来て雨がさらに強くなり、歩くのが少々辛くなってきたので雨宿りができる場所を探す。村の中心にある屋根付きのバス停には、ジャン&ジーナさんの姿があった。彼らもまたこの村で雨宿りをしていくようである。私もそのバス停にお邪魔しようかと思ったが、なんとなく遠慮してその少し先に建っていた教会で雨宿りをする事にした。 雨脚が若干弱まったようなので教会からのっそり出てみると、ちょうどジャンさん達も出発する所であった。私が彼らを避けて休憩していたと彼らの目には写ったのだろう、ジャンさんはやや悲しそうな、そして若干の非難を込めた感じの口調で「Join me」と言った。いやはや、返す言葉もありません。私は改めて、自分が精神的な引きこもり体質なのだなぁと実感した。どうも、なかなか人の懐に飛び込んで行く事ができないのだ。まったく、困ったものである。 再び雨脚が強まったものの今度は雨宿りできそうな場所が無く、私はただひたすら雨に打たれるがまま巡礼路を進んだ。既にザックのショルダーベルトはずぶ濡れになっており、間違いなくザックの中にも染みこんでいる事だろう。だが、荷物はあらかじめ小分けにしてビニール袋に詰めているので(これは去年の四国遍路で培った知恵だ)、まぁ、服とかが濡れる心配はたぶん無い……と思う。それよりも、一番の問題はカメラである。 私のカメラはやや大きめの一眼レフである。カメラバッグに入れて肩から吊り下げるスタイルで歩いているのだが、これ程の雨ではそのバッグにも雨が染みてしまう。ザックに入れてしまえば良いのだが、巡礼路の風景を取る事を優先したいという思いがあった私は、カメラバッグをタオルで巻く事でしのいでいた。……が、しのいでいるつもりで大してしのげてはおらず、この数日後、私は盛大に後悔する事となる。 11時半頃、私は半分死んだような満身創痍の状態でフィッシュ=リュマユー(Fichous-Riumayou)という村に到着した。その中心には教会が建っており、雨宿りができそうな雰囲気だったのでその屋根の下に入ったら……案の定、そこにはたくさんの巡礼者で賑わっていた。長身のドイツ人親子をはじめ見知った顔もちょくちょくある。雨だと休憩する場所が限られてしまうので、どうしても皆同じ場所に集まるようだ。 私はびしょ濡れのレインウェアを脱ぎ、軒先に吊るしてしばらく干した。ストックを持っている人は、そのストックを器用に利用して物干し竿代わりにしている。お昼時という事もあってここで昼食を取っている人も多く、私もまたフランスパンをかじった。こうして皆で肩を並べて休憩していると、なんとも妙な一体感が生まれるものだ。あぁ、さっきジャンさんが言いたかったのは、こういう事だったんだなと理解する。 相変わらず雨は降り続いているが、やや空が明るくなったように見えたのでこれで雨も治まってくれるかと思いきや、そんな事はまったくなかった。レインウェアの中は汗と熱気でむれにむれ、靴やザックは水を吸ってその重みを増し、ホント嫌になる。 ユザン(Uzan)という村で休憩した時には、さぁ出発しようと立ち上がると私が座った後に水たまりができていた。このびしょ濡れ状態ではビニール袋など何の役にも立たないのではないだろうか。荷物が大変な事になっている予感がしてますます気が重くなる。 ジュ=ダルザック(Geus-d'Arzacq)で何度目かの雨宿りをしていると、後ろからコンニチワおばさんの一行がやってきた。彼女らが言うには、Kさんが後ろを歩いているので待ってあげればいいんじゃないとの事である。あれ?てっきり先に行ったものとばかり思っていたのだが、そうではなかったのか。 とりあえずはコンニチワおばさんの言う通りにしばらく待ってみたが、来る気配が無いので私は先に行く事とした。ありがたい事にちょうど雨が止んでおり、この機を逃すワケにはいかないと判断したのだ。 今日のジットはポン(Pomps)という小さな集落のジット・コミュナル(公共宿)である。体育館の施設を改装したものらしく、私が案内されたベッドルームは元シャワールームで部屋の奥には頭をもがれたシャワー口が並んでいた。ベッドは体育館内までにも置かれており、おそらく予約をしていなかった人なのだろう、何人かがそこで横になっていた。うーむ、こんなだだっ広い体育館だと、朝方は物凄く冷え込みそうである。 ザックはびしょ濡れなのにも関わらず、荷物を出してみるとビニール袋が功を奏しておおむね無事だった。しかしビニール袋に入れていなかった寝袋は水浸しであり、しょうがないので水気をタオルで拭いてから床に置いて干す事にした。 しばらくしてKさんが到着し、そしてその後にはなんとジョンさんとマイティさんが入ってきた。おぉ、オヴィラのジットで別れて以降一週間ぶりの再会である。他にも長身のドイツ人親子、それと昨日の宿で一緒になったドイツ人姉妹(この女の子二人はKさんと仲良くなっていた)などのメンバーがそろっている。いやぁ、楽しいものだ。 ここはジット・コミュナルにしては珍しく、ディナーを提供する宿であり(おそらく村にレストランや店が一軒も無い為だろう)、夕食は自炊組と宿飯組とに分かれて食べた。私は当然ながら自炊組であり、ジョンさん夫妻と一緒にスパゲティを茹でて食べたのだが、しばらくして宿のマダムが我々の元に現れ、余ったからとハンバーグをご馳走してくれた。これはなんとも嬉しいおすそ分けある。いつもの食事がとても華やかなものになった。 その後はジョンさん夫妻と話をしたりしながら、充実した時間を過ごす事ができた。この日は強い雨の中の行軍という事もあり肉体的にも精神的にもかなりきついものがあったのだが、こうした人との関わりはそれを癒し、私のモチベーションを支えてくれた。 Tweet |