吹き付ける風が冷たい朝である。雨もいくらかパラついている。私は少々陰鬱な気分でKさんとジットを後にした。ジョンさんの話によると、今日もまた昨日と同じく雨模様のようである。地元の人に今日の天気を聞いたら、そう言われたのだそうだ。 ポンの村から出る際、Kさんは舗装路をそのまま直進しようとしたのだが、私が目ざとく横道に赤白マークを発見。Kさんにその旨を伝えて正しい巡礼路を進んだ。一人だと見落としがちな赤白マークも、二人いれば発見が容易である。これは複数人で歩くメリットと言えよう。まぁ、話し込んでいたりする場合には、二人とも見落としたりするのだが。 しばらくKさんと歩いていたのだが、やはり徐々にペースの違いが表れ、私はKさんからだいぶ遅れて歩く事となった。雨降りなので私のテンションは極めて低いが、それでも巡礼路沿いの風景には興味深いものが多い。それらを一つ一つ眺めて楽しみながら、なんとか歩く気力を作り出す。 最初は弱かった雨が徐々に強まり、私はカスティヨンの村で少し雨宿りしてから再び歩き出した。Kさんの姿はもはやどこにも見えない。まぁ、私は私のペースで行くとしよう。 村を出て未舗装の坂を下り切ると、やや幅の広い道路と合流した。そのまま道なりに進んで行く。道路の周囲には牧場が広がっているが、牛たちは雨を避けるように木の下に集まっていた。 上り坂の車道をずんずん登って行くと、どうも先ほどから赤白マークを見ていない事に気が付いた。またやってしまったかと思いつつも進んで行くと、丘の尾根沿いに連なる町、アルトエ=ド=ベラム(Aruthez-de-Bearn)に出た。私が歩いてきた車道と直交する左右の道には赤白マークが見える。 間違った道を歩いていた事は確かなようだが、結果的に正規ルートに合流したようである。このまま進んでも良いのだが、部分的にとはいえ正しい巡礼路を辿っていないままであるのはちょっと気持ちが悪い。私は引き返す事にした。 登ってきた坂道を下り、先ほどの牛たちを過ぎた辺りの横道に赤白マークを発見した。どうも、顔に当たる雨を避ける為に伏し目がちに歩いていたのに加え、牛に気を取られていた事で見落としたようだ。やはり一人分の目では、巡礼路を追うのに不足らしい。 建築様式や彫刻などを見るに、これもまたそこそこ古い教会のようである。特に柱頭に刻まれた彫刻が、どれも「やっちまったー」というような微妙な表情をしていて面白い。あぶない、あぶない、道を間違えたまま進んでしまっては、これを見逃す所であった。 面白彫刻を堪能した私は、アルトエの町に向かうべく車道を登る。この頃より雨勢はますます強まり、天候は土砂降りの様相を呈してきた。レインウェアを着ているものの、どこからともなく雨が服の中に染みこみ、風の強さと相まってかなり寒い。いやはや、これはかなり辛くなってきた感じだ。 しばらくタバコ屋の軒先で雨の様子をうかがっていると、ふとジョンさんが歩いてくるのが見えた。しかしマイティさんの姿は無い。はて、ジョンさんとマイティさんはいつも一緒に歩いているのではなかったのか。 私は彼を呼び止め、挨拶をした。ジョンさんもまた挨拶を返してくれたが、その表情はどこか浮かない感じだ。緊迫した面持ちで、どうも様子がおかしい。私が「何かあったんですか?」と尋ねると、マイティさんが足をケガして病院を探しているとの事だった。今日はこの町でストップすると言う。 私はジョンさんを見送った後、程無くして歩き出した。なんてこった、マイティさんがケガをしてしまったとは。この酷い雨だし、坂とかで足を滑らせたりしたのだろうか。ケガの程度はどのくらいなのだろう。大した事が無いと良いのだが……。 私は町の役場でスタンプを貰うと、その隣にあったスーパーに立ち寄り昼食を購入した。今日の目的地は、このアルトエから8km程の所にあるマスラック(Maslacq)である。小さな村のようなので大きなお店は無さそうだ。私は昼食のついでに晩酌用のワインも買っておく事にした。多少荷物が重くなるが、致し方ない。 昼食を取れる場所を探しながら歩いて行くと、通りに沿って建つ病院を見かけた。ジョンさん夫妻は、無事ここにたどり着けたのだろうか。ひょっとしたら、彼らはここでリタイアなんて事には……。 降りしきる雨の中、濡れ鼠になって歩いていると、町の外れに屋根付きのバス停があったのでそこに入った。そこで昼食を食べていると、道の向こうから見覚えのある女性が歩いてくるではないか。オーズのジットで一緒になった、カナダ人女性の二人組である。彼女たちもまた休める場所を探していたらしく、私が座っていたベンチに腰掛けた。 パンをかじりながらカマンベールチーズとサラミを食べる私を見て、女性のうちの一人が「ワインが必要ね」と言った。確かにこれは昼食というよりはワインのつまみだなぁと思った私の頭に、一つはじけるものがあった。あぁ、そうだ、ワインを飲もう。 女性たちが立ち去るのを見計らい、私は先ほど買ったワインを取り出した。この沈んだ気分を変えるにはもはやこれしかないだろう。私はコルクを抜くや否や、ラッパ飲みでぐびぐびと胃の中にワインを落とす。急速に酔いが回り、体温が上昇する。ボトルを一本飲み終えた頃には、すっかり雨は気にならなくなっていた。というか、雨に打たれるという現状が妙に楽しく思えてきた。 アルコールでハイになった私は、そのまま元気良く腕を振り、笑いながら雨の道を進んで行った。雨が降っているのがおかしい。道が雨で濡れているのがおかしい。顔に叩きつける雨がおかしい。もう何もかも、すべてがおかしい。 かなり飛ばしたペースであったが、アルコールとは偉大なもので疲れをあまり感じていない。とは言うものの、ずっと雨に濡れっぱなしというのも問題だと思ったので、途中の教会で休憩を取る事にした。 ポーチの石段に座って少し休んだ後、立ち上がるとその場所には水たまりができていた。タオルで体を拭くが、絞っても絞っても水が無くなる事が無い。レインウェアのポケットには水が溜まりタポタポ揺れていた。これはちょっとやりすぎただろうか。そう思った途端、気持ちがみるみるしぼんでいった。 マスラックは想像通り小さな村であった。しかし道は入り組んでおり、Kさんに予約してもらったジットをなかなか見つける事ができない。アルコールの反動で疲労がどっと体にのしかかり、足取りも重い。ゾンビのようにふらふらと徘徊し、ジットを探す。 そのジットはバス会社を運営するお宅がやっているらしく、庭には大きな格納庫があった。ドアの前に立つと、先に到着していたKさんが出迎えてくれた。どうやら窓から私の姿を見たらしい。大変ありがたいが、私のテンションは地に落ちたままだ。 絨毯が敷かれたベッドルームはなかなか快適だったが、シャワーは驚くほどにぬるかった。エピスリー(雑貨屋)が一件あるという事だったので、ちょうどインクが切れかかっていたボールペンを購入したら、なぜか2.5ユーロもした。ワインも売っていたが、手頃な値段のものはロゼしかなかった。 妙なイライラが募っているのを感じた私は、人目を避けるようにジットを抜けて村の中心にある教会に向かった。何という事の無いよくあるタイプの教会ではあったが、静寂に包まれた堂内の椅子に座っていると落ち着いてくるから不思議なものだ。 しばらく一人でぼーっとした後、教会を出てジットに戻る。それからキッチンでお湯を沸かし、スパゲッティを茹でて夕食とした。ロゼワインを飲み(今度はちゃんとグラスについで飲んだ)、私は再び元気を取り戻した。 食事を終えた後、私はベッドに寝転びながらルートマップを開く。フランスの「ル・ピュイの道」もいよいよ佳境に差し掛かっている。あと4日でサン=ジャン=ピエ=ド=ポールに到着するだろう。フランスにいる時間はもう長く無い。 今日はどうも気が滅入る事の多い一日だったが、明日はまた気を取り直して頑張ろう。そう思った。 Tweet |